あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(後編)・愛媛その7

2006-11-07 21:06:06 | 初めての四国遍路
 第2日 2004年11月14日(日) 曇後雨
 <44番大宝寺~45番岩屋寺>
 =二つの峠越えと、へんろ道の上り下り=
 
 4時50分起床、5時25分朝食。おかみさんから、大きなおむ
すびを一つもらい6時に出発。まだ外は暗い。天気予報から、
今日は雨を覚悟して出る。

 田渡川沿いの国道379号を進む。寒そうなのでジャンパーを
着て出たが、30分も歩くと暑くなり脱いだ。明るくなった国道の
周囲、杉林と清流の谷間を進む。

 本村の分校跡らしいところに、小田町郷土資料館があった。
中田渡の三差路にある、新田八幡宮の境内は紅葉が見頃だ。

 趣ある中田渡の小集落を抜ける。民家の玄関に下がっていた
温度計をのぞいてみたら11℃だった。

 県道42号を分ける堂ノ浦の三差路に、新しい薬師堂が立って
いた。そばにトイレもある。

 
 落合でトンネルを抜け、国道と分かれて右折、県道42号に入る。

 車の行き違いがやっとの細い県道で、歩道もないが車は少ない。
モロヘイヤに似た大きな草木に、赤紫の花が下がっている。
なんだろう。

 瀬音を聞きながら渓流沿いに緩い上り道が続く。浮船集落のとこ
ろだけ2車線で歩道もあった。


 棚田の背後に民家が並ぶ大込を過ぎたら、ポツポツしてきたので、
スパッツを付け雨用のズボンをはく。ザックカバーもしたが、本降り
にはならなかった。

 本成では、自宅前の作業小屋で、ご夫婦が親指くらいの太さの
松を整えている。聞くと、正月用の門松だという。

 毎年11月初めから作業を始めており、整えた枝は出荷まで生け
簀(いけす)に漬けて鮮度を保つという。この集落では同じ作業を
何組ものご夫婦でやっていた。


 三島神社は、紅葉が見ごろである。


 イチョウがかなり落葉した厄除大師下を過ぎ、畦々(うねうね)で
三差路を左に上がると、傾斜が強まり汗が出る。

 「大宝寺7.8km」の表示のある「四国のみち」の標識横から
山道へ。小さい沢を渡りヒノキ林を上がって下坂場峠に出た。
再び県道に下り、緩やかに下ると宮城である。

 T字路にある葛城神社の、モミジやイチョウがきれいな彩り。
葛城橋を渡り、鴇田(ひわだ)峠へのへんろ道へ。

 しばらくは1車線の舗装路を上がり、峠まで1kmの表示のある
ヘヤピンカーブのところから高原状の草道に。

 杉落ち葉の上り道、弘法大師が、空腹と修行の足りなさに、
だんじり(じだんだ)を踏んだという「だんじり岩」があった。

 ひとしきり大汗をかいてヒノキ林の中の鴇田峠に着いた。峠の
標高は800m、昭和30年(1955)頃まで茶屋があり、久万
(くま)への主街道として賑わったという。

 嘉永4年(1851)12月の「四国四十度大願成就」碑があり、
そばにベンチもあったので腰を下ろし、大おにぎりを7分目くらい
食べる。

 杉林の下り道、苔むす大杉の下に石仏が2つ並んでいた。
やがて県道に出て、さらに下ってゆくと、眼下に久万高原町の町
並みが広がる。

 水道の加圧弁の建物横から草道を下り、久万町の集落に出る。
国道33号を横断し、東側の旧道を北に少しで右折する。

 この辺りに食堂か弁当を売る店が無いか探したが、見つから
ない。

 小さい川を渡ったところに大宝寺の山門があり、さらに1km
近く進むと、大宝寺門前の売店があり、キンカン茶と干しいも、
もちのお接待をいただいた。

 すぐ後に若い男性と女性の歩き遍路が来たが、女性は店には
寄らずに行った。

 44番大宝寺は、苔むす大杉の間を上がり、大わらじの奉納
された山門をくぐり、大イチョウやモミジの色づく石段の上にある。

 本堂と大師堂に参拝して読経。3月16日の43番岩本寺以来
8か月ぶりの参拝である。

 納経後、今日例会で歩いているカントリーウオークメンバーへ
のメッセージを、SMさんに携帯メールして寺を出た。

 東に進み、杉木立の下の土道を上がって下り、峠御堂トンネル
東側の県道に出る。1kmほどで河合の住吉神社横に下り、東に
向かう。パンでも売ってないかと店を探したが、無いのであきら
める。

 少し先から、県道の南に平行するへんろ道へ。田んぼの横を
進む草道。久万高原ふるさと旅行村入口の見えるあたりで、残っ
たおむすびを食べて淋しい昼食とする。

 いったん県道に出て、すぐ「八丁坂入口」の表示で再びへんろ
道に。落ち葉がいっぱいの山道。

 細い清流に沿って進み、流れを離れて石止めの階段を上がり、
尾根に出たのち下る。逆打ちの男性遍路と行き交う。

 道筋にはリンドウやノコンギクが咲いている。へんろ地図を持っ
た逆打ちの若い女性遍路も来た。トイレのある八丁坂入口に着き、
T字路を右折して八丁坂にかかる。

 延長2.8kmの急坂は、昔から修行のへんろ道。

 再び大汗をかいて上り、坂上のベンチで休憩した。道標は、
岩屋寺へ1.9kmを示す。


 ところどころにモミジのきれいな稜線を上り下り。「まむし注意」
の札もある。やがて北斜面をトラバースするようになり、さらに
下ると太い杉木立の下に番外12明王の石像とのぼりが並んで
いた。

 真っ赤な不動明王を祭ったお堂があり、背後の大岩に食い込
んでいる。

近くには逼割(せりわり)行場というのがある。岩屋寺開山の
法華仙人が弘法大師に痛力を見せた跡と伝えられるところで、
大きな岩の裂け目をくさりとはしごでよじ登り、頂上の白山大
権現に詣でる山岳修験者の行場になっているという。


 さらに杉木立の下を下り、薄暗くなって45番岩屋寺に着く。
大きな大きな岩を背後にした山岳道場らしい荘厳な雰囲気だ。

 17時も近いので急ぎ納経。納経所で歩き遍路へのお接待と
して、お茶と干しイモなどをいただいた。

 杉木立下の石段や急坂をかなり下って川のそばに出た。車で
来た遍路は川向こうで車を下り、この坂を上がらねばお参り
できない。膝や足の不自由な人にはかなり厳しい霊場であろう。

 橋を渡ったら、とうとう本降りになった。屋根の着いたバス停
でポンチョを被り雨の県道を国民宿舎に向かう。それにしても、
ここまでよく降らずに持ってくれた。

 途中から新しい歩道が出来ていたが、小石をコンクリートで固
めた舗装。雨の時は滑りやすいし、固くて歩きにくい。歩く人の
ことを考えない設計に腹が立った。

 17時22分、国民宿舎古岩屋荘に着く。早速コインランドリーで
洗濯、温泉の源泉は13℃のようだが、沸かした湯は温かくて
ツルツル。久しぶりに10kg近い荷を背負い、山道を含め31km
歩いて筋肉痛の肩や足をもみほぐす。

 食堂に行ったのは18時40分過ぎ。料理は一番安い値段にした
が、8品あり十分。夕食後、2日分のレポートをメモして、21時
30分に就床した。

〈コースタイム〉さかえや旅館6:00ー堂の浦の薬師堂7:07~10ー
落合(県道42号へ)7:30ー大込の分校跡8:00~08ー三島神社8:25
~30ー畦々の三差路9:00ー下坂場峠9:25ー宮成の三差路9:40ー
鴇田峠10:35~49ー44番大宝寺12:00~45ー住吉神社13:38ー狩場
(昼食)13:52~14:00ー八丁坂下14:45ー八丁坂上15:07~16ー45番
岩屋寺16:12~45ー国民宿舎古岩屋荘17:22

(距離 31km、地図(1/5万) 久万、松山南部、歩行地 小田町、
 久万高原町、歩数57,600)
 
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四国遍路道ある記(後編)・愛媛その6

2006-11-06 23:21:56 | 初めての四国遍路
 間もなく2度目の四国遍路に出かけますので、途中で中断と
なりますが、一昨年秋に歩いた四国遍路(後編)を始めます。

 前半の遍路では、初めてデジカメを買って持参したのですが、
メモリが少なかったので、1日に10枚前後しか撮影できません
でした。そこで後半は、予備メモリを買い足しましました。
 写真は、前半より多くご覧いただけるかと思います。

 ===========================

 四国遍路後半は、春の区切り、43番札所明石寺と44番大宝
寺の間、愛媛県内子町を2004年11月13日にスタートし、88
番大窪寺に11月下旬~12月上旬の結願(けちがん)を目指して
歩くことにした。

 春の遍路の際、40番観自在寺で、「トレッキング・ザ・空海」と
いう催しに誘っていただいたYさんが、高知県でのNPOの仕事
を終えられ、11月3日から逆打ち遍路中と聞いた。

 途中でYさんと、どこで行き会えるかも、大きな楽しみである。

 第1日 2004年11月13日(土) 晴
 =柿実る小田川沿いに=

 2ヶ月前に予約購入した超割航空券にて、東京・羽田空港9時
25分発のANA585便に乗る。出発便の混雑で20分近く遅れ、
松山空港到着も予定の10時45分が、11時過ぎとなった。

 連絡バスでJR松山駅に行く。予定の内子線の列車に乗るには
急いで昼食をする必要がある。駅構内で(場違いの感もする)
喜多方ラーメンを食べ、12時3分発1両のワンマンカーに乗る。
乗客のほとんどは高校生だった。


 13時3分、内子駅に下りた。前半の区切り以来、約8か月ぶり
である。

 今日は、お寺へのお参りはないので白衣は着ないことにした
が、日よけのため菅笠はかぶった。

 駅を出ようとしたら、男女の歩き遍路が来た。今日ここで区切
り打ちという、京都の男性と神奈川の女性。お接待でもらったと
いうパック入り海苔巻きをいただく。

 昼食は食べたばかりと言ったのだが、お2人も昼食後にもらっ
たようだった。10分ほど話して出発する。


 内子町の中心街には、前回寄った住まいと暮らしの博物館や、
下芳我家など、古い造りの家が残っている。


 町外れのY字路を左に入ったら、向こうからレトロバスが来た。

 珍しいので写真を撮っていたら、バスが止まり運転手が、道が
違うことを教えてくれた。

 Y字路まで戻り、橋を渡ってすぐ先を左に進み、次のT字路を
右折して進んだら、また自家用車が止まり、道が違うと言う。

 再度戻って言われた道を進み、道の駅のそばに出た。町を
抜けるのに20分近くロスしたろうか。出だしから2度も間違える
ようでは、この先が思いやられる。

 でもその先は、小田川沿いの国道379号をひたすら進む
だけ。干し柿を吊した家に秋を感じる。七反から長野へ向かう
辺り、ミゾソバが咲き、初めてこの花の名を知った新潟・村上を
思い出す。

 川の土手には、10月の台風の際の増水状況がうかがえる、
布やビニール片が、現在の流れより5m以上も上に引っかかっ
ていた。

 梨、桃、柿の直売所を過ぎ、長岡山トンネル(392m)に入る。
天井が高く、照明が明るくて広い歩道があるので安心して歩け
る。この国道は、トンネルだけでなく歩道の幅もずっと広いので
助かる。

 トンネルの先に、「お遍路無料宿」と書かれた建物があった。

 そっと戸を開けてみたら、野宿で回っているという男性遍路氏
が休んでいた。私も入って休憩させてもらう。

 彼は、昨日、一昨日は駅やバス停に泊まったが、寒くて寝られ
なかったので、今日は早いがここに泊まるという。10月13日に
出発し、台風の日は、徳島県神山町で雨宿り先を追い出され
たりしたことなどを聞く。

 もらった海苔巻きを差し上げたら大変喜ばれた。私も食べ切れ
そうになく、始末に思案していたのでよかった。

 上和田の田んぼ、青々と伸びたひこばえに固い粒が付いてい
た。柿畑には柿がたわわに実り、この先、小田町との境界付近
まで、内子町内は柿畑が多く、色づいた柿の紅葉がよい彩りを
見せていた。


 夫婦で木を切って薪にしている家がある。近くの大瀬電話交換
局は谷間にあり、パラボラアンテナが南方の山上に向いていた。

 15時を過ぎると、日陰は涼しくなった。明応寺や大瀬郵便局
のある成屋集落は、狭い通りに旧街道らしい家並みが続く。


 県道241号を北に分ける河口橋バス停は、丸太組みの待合
室。近くに「曽我五郎、十郎首塚まで徒歩20分」の表示があっ
たが、暗くなりそうなので寄るのはあきらめた。


 日が傾き、コンクリート壁面に自分の影が長く映る。


 石積を過ぎると歩道は無くなった。川登の分校跡らしいところ
に、筏(いかだ)流しの里資料館があったが、ここも時間の関係で
寄らずに通過する。

 千人宿大師堂のそばの、柿の葉がきれい。楽水大師堂前の
小田川カーブ点には、筏流しの里の写真が貼ってあった。

 付近の斜面の柿畑も、柿色の紅葉がよい。


 小田町に入って間もなく、田渡川を渡ったT字路の向こうに、
今日の宿、さかえや旅館があった。17時18分に着いた。

 埼玉に比べ日没がかなり遅い。快晴だったこともあり17時
過ぎまで明るく、経度の違いを実感する。

 遍路宿らしいひなびた旅館。急階段を上がって2階の部屋に
入る。風呂は、脱衣所と洗い場と浴槽の間に仕切りがない。

 2階のトイレは方形でなく変形の落とし便で古色蒼然。でも、
おかみさんが「けんちゃん」と呼ぶご夫婦は仲が良さそうで
適度な話好き。

 夕食は、地元産だという里芋、シュンギク、椎茸などの煮物と、
サンマ焼き、アジ焼き、卵とじうどんなど盛り沢山。食べきれ
ないので、サンマ焼きは朝食に回してもらうことにした。食後の
デザートは、やはり柿だった。

 この宿の名、へんろ地図には、「徳岡旅館(さかえや旅館)」と
なっている。聞くと、著者の宮崎さんが、姓の徳岡も旅館名と
したようで、表の看板どおり「さかえや旅館」が正しいとのこと
だった。

 夕食後、おかみさんに、明日のコースのことを聞き、明後日の
距離のことと考え合わせ、明日の宿を国民宿舎として、予約した。
宿の室内からは携帯は通じず、そばの橋の上から電話する。

 21時前就床、部屋には暖房が無く寒いが、布団は暖かかった。

〈コースタイム〉内子駅13:15ー道の駅14:00ー石浦バス停14:40ー
へんろ無料宿15:00~10ー大瀬郵便局15:54ー千人宿大師堂
16:14ーさかえや旅館17:18

(距離 15㎞、地図(1/5万〉大洲、久万、歩行地 愛媛県内子
 町、小田町、歩数 26,600)
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第29回日本スリーデーマーチ(第3日)

2006-11-05 22:25:02 | ウオーキング
 日本スリーデーマーチ最終日の今日も、好天になりました。
今日は、20kmコースに参加し、8時18分にスタートしました。

 今日のコースは、中央会場から西南方向を回る「都幾川・千年
谷ルート」です。

 一昨日の帰路も通過した唐子中央公園では、商工祭を開催中。

 市の農産物などを直売している一角で、つきたての餅のサー
ビスをしていたので、多くのウオーカーごちそうになりました。

 30km、50kmコースとの分岐を過ぎ、都幾川(ときがわ)の
「おとうか橋」を渡ります。

大水の時には橋が水没してもよいように、欄干のない冠水橋に
なっています。

 その先は、林間の急な上り坂が続くので、ペースを乱さぬよう
ゆっくりと上がりました。それでも気温が高めなので汗が出ます。


 上がり終えた愛弘学園のところがチェックポイント。その先は
前方の山並みを見ながら谷津田の間に下りました。

 岩殿(いわどの)の集落に入り、門前町を進んで、山を背にした
坂東三十三観音第10番札所・岩殿山正法寺に上がります。

 古い本殿の周囲は、精巧な彫刻に彩られています。境内には、
かやぶきの鐘楼や、根元から何本もの枝を伸ばした大イチョウ
が立っています。

 ここで、先日の中山道ウオークでお世話になった、隊長のIさん
ほか数人の皆さんと出会いました。

 冬ザクラの咲く物見山公園の林間から、高い展望塔の立つ埼玉
県平和資料館前を通過し、東京電気大学に向かって下ります。

 大学では、年一度の文化祭「鳩山祭」を開催中。ウオーカーも
盛んに呼び込まれて、立ち寄る人がたくさん居ました。

 さらに下って東に進んで、千年谷公園に入りました。

 ここでは毎年、チャリティとん汁サービスがあり、昼食の最適地
です。

 たくさんのウオーカーが芝生広場で昼食を楽しみました。


 公園の西側では、東松山太鼓の力強い実演も見られます。

 桜並木が色づく広い住宅地を抜け、関越自動車道を越えて
高坂駅前まで進みます。歩道には彫刻家・高田博厚の作品が
数十ならんでいます。

 駅前を左折して北に向かい、都幾川右岸に広がる田園地帯に
出ました。都幾川土手に向かう、長いウオーカーの列が延々と
続きます。


 関越自動車道そばで、谷川岳から湧出したという冷水のサー
ビスがありました。午後の日差しが暑かっただけに、この冷水
は、のどにしみとおりました。

 この日だけの仮橋で都幾川を渡り、田園地帯を東北に進み、
国道254号を歩道橋で越えました。


 そのすぐ北では、かかしコンクールの入賞かかしが並んで、
ウオーカーを歓迎してくれていました。


 東松山の市街地に入り、完歩祝賀パレードの始まった通り
を進んで、14時過ぎにゴールしました。


 会場では間もなく、パレードの先頭を進んできた埼玉県警の
音楽隊の演奏が始まりました。

 会場のパラソルの下で、都内のウオーキングの催しで一緒
だったSuさん、Seさんご夫妻に会い、3日間の完歩を祝し
乾杯し、後着のFさんも交えて16時近くまで歓談しました。

 なお、3日間の参加者数は以下のとおり約8万5千人でした。


(天気 晴、距離 22km、歩行地 東松山市、歩数 35,200)



 
 


 
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第29回日本スリーデーマーチ(第2日)

2006-11-04 21:59:04 | ウオーキング
 日本スリーデーマーチ第2日の今日は、ときどき薄日が射す
程度の曇り空。昨日同様、歩くにはちょうどよい陽気でした。

 第2日のコースは、東松山市松山第1小の中央会場を出て、
東側の吉見町方面に向かう「吉見百穴・森林公園ルート」です。

 今日も30kmコースに参加し、7時10分にスタートしました。

 東松山の町を東に抜け、市ノ川を渡ると岩の斜面に幾つもの
穴の見える「吉見百穴」があります。

 古墳時代後期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴式の墓で、
現在219基が確認できるとか。国指定史跡になっています。

 ここで20kmコースと別れ、大沼、天神沼の2つの沼の北を
通過して、吉見町の農村地帯に入ります。

 吉見中の近くに息障院というりっぱな寺院がありますが、寄り
道するウオーカーは少ないようです。

 息障院のあたりは、源範頼(みなもとののりより)の館跡と伝え
られています。全盛期の戦国時代~江戸時代は、末寺120余り
を数え、隆盛を極めたようです。

 巡礼道といわれる急坂を上がって少し下がり、坂東三十三観音
第11番札所岩殿山安楽寺に入ります。

 「岩殿観音」の名で知られた古寺で、本堂や三重塔、仁王門は
埼玉県の文化財に指定されています。


 北側にある八丁湖公園には、カモがたくさん到来していました。
湖の北岸の広場で、給水サービスをいただきました。


 この先のコースは、比企丘陵の一角なので、住宅地や林間など
を何度か上り下りします。

 かなり急傾斜の道を下って、月中川沿いに住宅が並ぶ殿山地区
に入り、殿山自治会館で、給茶や漬け物サービスをいただきました。


 その西北、東平(ひがしたいら)は、梨畑の多いところ。

 平野市民活動センターでは、毎年、東平梨組合の方々による、
梨の接待をいただいています。

 今年も、組合員の皆さん総出で、たくさんの梨をむいて用意して
下さり、食べたいだけいただくことが出来ます。30kmコースだけ
のうれしいサービスです。

 梨畑の間を抜けると、広々とした開拓地のようなところに出ます。

 その一角の芝地に、富士山をかたどったものがありました。
ウオーカーを歓迎してつくって下さったようです。

 近くの林の中に残る、国指定史跡の登り窯・大谷瓦窯跡(おお
たにがようせき)下を通過します。

 さらに丘陵を上り下りして、オランダ風車の回る大岡市民活動
センターに着きました。

 ここでも、つきたての、からみ餅やあんころ餅のサービスがある
のですが、歩みの遅い私が着いた時には、もう終わっていました。


 時刻も12時を少し過ぎてしまいましたが、いつも昼食をしている
森林公園まで急ぎ、中央口を入ってすぐのところで先着していたS
さんと一緒に、遅くなった昼食をしました。

 Sさんは、このブログでも紹介した、昨年、今年と英国・コッツウォ
ルド・ウェイを一緒に歩いたメンバーの一人です。

 ところで今日は、昨日の疲れがとれず、スタート直後からピッチが
上がりません。20kmコースに行けばよかったと後悔しながら、歩き
続けましたが、後続の人に抜かれるばかりでした。

 昼食後、足のストレッチをしたら、少しは楽になりました。


 以後はSさんと一緒に、いつも昼食をした芝生広場(上の写真)など
を回って森林公園を抜け、緑道を森林公園駅前まで進み、15時前に
なんとかゴールすることが出来ました。


 帰途、市民会館で開催中の「韓国一周友情ウオーク」の写真展を
観覧しました。

 撮影された金井三喜雄さんは、日本スリーデーマーチの報道写真
を毎年撮影されている元朝日新聞の名カメラマン。私が毎年参加
している中山道ウオークでも、すばらしい写真をたくさんいただいて
います。

 会場を出て間もなく、別のウオークの仲間・4人と会い、駅に向か
うと、まるひろ通りで「よさこい陣屋まつり」中。

 関東各地から集まったグループが、よさこいソーラン節を次々に
披露していました。

(天気 晴一時曇り、距離 33km、歩行地 東松山市、吉見町
 歩数 49,000)


 

   

 

 
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第29回日本スリーデーマーチ(第1日)

2006-11-03 21:33:18 | ウオーキング
 今日から3日間、埼玉県東松山市を中心に、日本最大で、国際的
なウオーキング大会「日本スリーデーマーチ」が開催されております。

 スタート・ゴールとなる中央会場は、東武東上線東松山駅から10分
余りの松山第1小学校校庭。コースは、50km、40km、30km、
20km、10km、5kmなどがあります。

 今日は、中央会場を出て、東北方面を回る、「和紙の里・武蔵嵐山
ルート」です。私は、30kmコースに参加しました。

 30kmコースの出発は朝7時、会場に到着したのが7時頃だった
ので、参加者は続々とスタート中、私は7時13分に出発しました。

 西に向かい、東武東上線の隣駅、森林公園駅前を過ぎると、農村
地帯に入ります。

 快晴でさわやかな日和、刈り入れの済んだ田んぼや、キクの咲く
庭などを見ながら、切れ目無くウオーカーの列が進みます。


 5km地点の羽尾集会所では、暖かい甘酒のサービスがありました。


 市ノ川の清流に沿って進み、嵐山町(らんざんまち)の鬼鎮(きじん)
神社で30km、20kmコースが分かれます。

 この神社は鬼の神様で、「鬼に金棒」の金棒が社殿の前に並んで
います。受験の神ともいわれ、受験シーズンには、多くの受験生が
お参りに来ます。

 武蔵嵐山駅に近い「ちさん団地」を通過し、田園地帯や林間を抜け
て、小川町に入ります。

 国道254号沿いにある道の駅・埼玉伝統工芸会館がチェックポイ
ント。通過したことを証明するシールをもらいます。

 飲食物や小川町の伝統工芸品・和紙、野菜などを販売するテント
店が出ていて、参加者のよい休憩ポイントです。

 30kmコースは、ここがスタートから最遠地点なので、折返しに
かかります。

 しばらくは都幾川(ときがわ)沿いに進みますが、下里集落から
先は、広々とした田園地帯が続くので、私のお好みの道筋です。


 嵐山渓谷の清流を見下ろしながら進んで、菅谷館跡(すがや
やかたあと)が昼食地。

 50km~20kmコースの人たちが合流して、芝生広場は賑やか
でした。海外からのウオーカーも大勢見られました。

 午後は、「原爆の図」で知られる丸木美術館や、唐子(からこ)
中央公園を経て、中央会場に戻ります。

 あちこちで、キクの花が見頃でした。柿も秋空に映えています。


 ペースの遅い私は、午前中からどんどん皆さんに先を越されました
が、何とか15時前にゴールすることが出来ました。

 中央会場は、ゴールの後を楽しむ人たちで賑わっていました。
気温も20℃をちょっと超えたくらい、からっとした陽気で、絶好の
ウオーキング日和でした。

 今日の参加者数は、下記のとおりです。


(天気 快晴、距離 32km、歩行地 東松山市、嵐山町、小川町、
 歩数 49,000)

 

  

 


 

 

 

 


 
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日本スリーデーマーチ第一日

2006-11-03 15:44:41 | Weblog
〓第29回日本スリーデーマーチ、一日目は、武蔵嵐山から小川町方面の30キロコースを歩きました。
快晴でさわやかな秋空のもと、気持ちよく秋の彩りを楽しみ、今、東松山駅から帰途に着くところです。
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四国遍路道ある記(前編)・愛媛その5

2006-11-02 21:32:23 | 初めての四国遍路
 今日は、東京・京橋で開催中の『「どんぐりの会」風景画展』と
いう絵の作品展を見に行きました。カントリーウオークの仲間、
Tさんも出品していると聞いたからです。

 13人の作品展でしたが、いずれも日本の自然を、やわらかな
タッチで描いていて、心が洗われるような作品でした。

 そのあと、近くの八重洲ブックセンターで、四国遍路に必要な
2万5千分の1と5万分の1地形図を数枚購入しました。

 いまレポート中の、2年前の四国遍路の際、購入を漏らした
ところと、最近発行された部分です。来週末あたりから、2度目
の遍路に出かける予定なので、買ってきたのです。

 四国遍路(前半)のレポートは、今日が最終回です。

 ==========================

 第27日 2004年3月17日(水) 晴後曇
 =内子駅で前半の区切り=
 
 5時45分起床、ふるさと旅館の暖房は利きが良く、暑いので
夜半に切って毛布も外してちょうどよかった。

 6時30分朝食、6時58分、今朝もTさんと一緒に出る。女性
一人と多摩市の区切り打ちの男性は早立ち、逆打ち遍路氏は
まだ食堂に来なかった。

 きのうまでと比べると今朝は暖かい。きょうも交通量の多い
国道56号を西に向かう。500m余りで線路の北側の旧道に
入り、新谷町の古い町並みを抜ける。

 帝京第五高の先、北斜面の栗林にいっぱい咲く菜の花が、
黄色いじゅうたんのよう。矢落橋を渡って国道に戻ると、車が
途切れなく続く。

 五十崎(いかざき)駅のそばでへんろ標識に従い左手に入る。
すぐに草の道となり、柔らかな感触が足に優しい。こういう道
がへんろ道として続いているとよいのだが…。

 間もなく内子(うちこ)町。車道に出てすこし上がり、運動公園
の間を抜ける。

 8時半前、内子駅入口に着き、Tさんと多摩市の男性に別れた。

 Tさんとは8日間も同宿し、4日前からはほとんど一緒に歩き、
大変お世話になった。この先元気に歩かれ、無事結願をお祈り
する。

 私は、ここが今回の区切りである。内子駅に行き、時刻表を
借りて調べ、帰りのジパング切符を購入、ロッカーに荷を預けて
2時間ほど内子町を観光することにした。
 
 =内子の町並みを巡る=
 
 駅は町はずれにあり、町並みは駅の北北東に伸びている。

 まず内子座に行く。大正5年(1916)に建てられた木造2階建て。
老朽化で取り壊しになるところを、町民の熱意で昭和60年10月、
復元工事を終え再出発、現在は年間7万人が訪れ、80日近く
劇場として活用されているという。

 枡席、回り舞台、花道などが、木のぬくもりある造りで出来ており、
よく大正時代の演芸場としてのふんいきを醸し出している。

 東に進んで商店街に入る。図書館前に安達玄杏碑があった。
幕末~明治の医者で、育英の先覚者だったという。



 商店街を北に向かい、八幡神社前にある商いと暮らし博物館に
入館する。明治からの薬商、佐野薬局を町が博物館として公開
しているもの。

 大正の頃の商家の暮らしを、間取りに合わせ当時の道具と人形
を配して再現している。良くできた正面の人形に、入ったときに
思わず声を掛けてしまった。


 伊予銀行のそばの交差点を左に入った緩い坂のあたりから、
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された八日市・護国
地区である。

 電線を地中に埋め、昔ながらの白壁の古い家並みが両側に
続いている。

 内子町は、江戸後期から明治時代にかけて、和紙と木蝋(ろう)
で栄えた町。ただ1軒残る和ロウソク製造の大森太郎さんの店
では、ハゼノキから絞った蝋を、芯の回りに何回となく手でかけて
作る独特の製法を実演していた。


 町並みは、伝統工芸の和傘やシュロ細工の店、喫茶、土産物
店などが続き、国重文の建物、大村家、本芳我邸もある。観光
バスや自家用車で来た観光客が多い。

 もう一つの国重文、上芳我邸は木蝋資料館として公開されて
いるので入館した。

 木蝋造りの道具や工程などが、広い邸内にある主屋、釜場、
土蔵、蝋造り小屋、製蝋用具展示棟などを回ることにより、理解
できるようになっている。

 建物は明治27年(1893)に建てられたもので、名家だったこと
が知れるりっぱな造りである。

 館内に、後半何度か見かけた、同年輩の男性の歩き遍路が
見学していた。声をかけたら、水戸市の方。手の爪が化膿して
しまったので、今日は休養して内子町の見学をしているという。

 保存地区の末端まで行って、土産物店をのぞき、ほぼ同じ道
をJR内子駅に戻る。

 11時55分発、内子線上り松山行き普通電車に乗り、長旅
からの帰途についた。

〈コースタイム〉ふるさと旅館6:58ー五十崎駅前8:00ー内子駅
8:28

(距離 7km、歩行地 大洲市、五十崎町、内子町、歩数 
 11,700)                       《前編完》
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四国遍路道ある記(前編)・愛媛その4

2006-11-01 21:54:33 | 初めての四国遍路
 第26日 2004年3月16日(火) 快晴後晴 <43番明石寺>
 =おはなはんの町・大洲へ=
 
 5時45分起床、6時30分朝食、Tさんと一緒に7時に出発。
民宿みやこから見える、肱川の川面から朝霧が上がっている。


 今朝も雲一つない快晴。冷たいので軍手をする。県道29号を
稲西で北北西に入り、卯之町の町並みの手前で北東に向かう。

 宇和島高の先から大久保の山すそを進み、紅梅の咲く参道を
上がって43番明石寺(めいせきじ)に入る。

 山懐にある深閑とした寺。杉木立やケヤキの大木が目につく。
私としては、前半の区切りとなる寺である。


 納経を終え、杉木立の道を上り下りして卯之町の古い家並みへ。
へんろ道の標識を見落とし、国道56号まで進み、朝のラッシュ時
で車の多い国道を北に向かう。

 上宇和駅の手前で国道東側の旧道へ。こちらは車も少なく静か
だ。坂戸の小さい店で弁当を仕入れる。

 田園地帯となった宇和町大江に、じゃこ天の店「おかだ蒲鉾」が
あった。Tさんが、「一昨日の宿で出た、じゃこ天がおいしかった」
と、熱々のじゃこ天を買い、おすそわけをいただいた。

 瀬戸で旧道に入り、車から解放されホッとする。格子戸の古い
家並みを抜け、国道を経由し、鳥坂峠へのへんろ道に向かう。


 鳥坂集落の途中、山道にかかるところに鳥坂番所跡があり、
復元した建物があった。

 峠に向かってヒノキや杉林をゆっくりと上ったが、顔や背中は
大汗。時々見える展望に後方を振り返る。


 標高470mの峠には何の表示もない。ゆるい下りと少しの上り
で、日天月社という小さな祠(ほこら)があった。

 一度林道を横切り、少しだけへんろ道を下って再び林道となる。
西側を走る国道の車の音が真下に聞こえるが、こちらは時折車
が通過するだけで静かな道だ。

 杉林の林道を下り、少しだけ山道を抜けて、番外霊場・札掛
大師堂に下った。読経はしたが、不在なので納経帳への印は
もらえない。

 ちょうどよい時刻なので、鐘楼門前の草地にシートを敷き、オオ
イヌノフグリ、ホトケノザなどの咲くそばで昼食。眼下に開通間近
で追い込み工事中の、松山自動車道の工事現場を見下ろしなが
ら食べる。

 南久米小横から国道56号に戻る。相変わらず車が多く、歩道
がないので歩きにくい、嵩富川の金山橋を渡り、大洲北只郵便局
で最後の資金補充をした。

 右岸沿いの県道144号を進み、国道56号を越えると、国道441
号となる。

 やなせ橋近くの東屋にトイレがあったので休憩。まもなく「おはな
はん」の町、大洲市街に入った。

 川沿いの神社階段下に、昭和3年8月製の昭和塔という変わっ
た塔がある。

 北側の通りは「明治のさんぽみち」と呼ばれ、土蔵造りなどの
古い家並み。

 一つ西側の通りが「おはなはん通り」、ほかにも、細い通りに
昭和か大正年代と思われる古い家並みが見られた。


 へんろシールに従い右折して肱川橋を渡る。上下流に数十隻の
屋形船が並んでいる。6~8月の鵜飼いを見る船のようだ。


 川のカーブ点にある大洲城にはシートがかかり、9月まで改装
中とか。すぐ先から国道56号の車を避けて、大洲駅方面の旧道
を迂回した。

 国道に戻った東大洲の辺りは、地形図上は畑や田んぼなのだ
が、大型の薬局、電気店、靴屋、書店、ファーストフード、スー
パー、ユニクロ、ホテルなどがびっしりと並び、すっかりイメージが
壊された。

 その先に、無料宿泊所・一夜堂のある番外札所・十夜ヶ橋(とや
がはし)永徳寺があった。

 お大師様が宿を断られ、一夜を橋の下で過ごされたという伝説
の地。その橋の上にはいま、高速道が走り情緒はない。


 次の信号を右折し、15時58分、ふるさと旅館に着いた。道を
挟んで、食堂のある新館と宿泊棟の旧館に分かれている。

 旧館の部屋に入り、入浴、洗濯をして、17時半頃には夕食。
あとから区切り打ちの男性、逆打ちの男性、順打ちの女性など
が来た。

〈コースタイム〉民宿みやこ7:00ー43番明石寺7:34~55ー坂戸
9:18ー鳥坂峠へんろ道入口10:36ー鳥坂峠番所跡10:43ー鳥坂峠
11:06~10ー日天月天社11:20ー番外・札掛大師堂(昼食)12:06~
52ーやなせ橋近くの東屋13:58~14:06ー番外・十夜ヶ橋永徳寺
15:30~45ーふるさと旅館15:58

(距離 29km、歩行地 西予市、大洲市、歩数 49,000)

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