あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

カタツムリ歩行 西武新宿線 東村山駅(東京)

2009-10-18 23:01:44 | カタツムリ歩行
 2009年10月18日(日)



 快晴の今日、JR武蔵野線周辺を歩き続けている、「カタツムリ歩行」の第
188回例会に参加した。

 集合は西武新宿線の東村山駅。10時4分に、西口に出来たばかりの高
層ビルの横をスタートした。


 広くなった駅前広場には、「東村山停車場の碑」があり、「明治28年
(1895)8月6日に川越鉄道の駅が設置された」ことなどが記されていた。


 蔵造りの古そうなたばこ店や、美味しそうなだんごの香り漂うお弁当の店
の前を通り、細い通りに入る。きれいな流れの向こうに柿畑があり、色づい
た柿がたくさん実っていた。


 カリフラワーの畑の向こうには、大きく伸びたケヤキだろうか、広葉樹の繁
る一角が、周辺の住宅地とは異なる空間を見せる。


 近くの大善院に入る。富士山麓からでも持ってきたのか、溶岩を積んだ小
山に、お不動さんを中心にそのお弟子さんたちという、三十六童子が立つ。


 少し先の右折する角に、開放的でこぎれいな注文建築やリフォーム、材料、
生活雑貨などを扱う住宅関連の店があったので立ち寄る。

 1年前に開業の店というが、商品陳列棚や床は優しい木造り。棚に並べら
れた食器なども、しゃれたデザインの商品が並んでいた。

 広い敷地いっぱいに、木々の豊富な旧家の横を進み、正福寺へ。本堂の
南側に立つ檜皮葺(ひわだぶき)の千体地蔵堂は、東京都でただひとつの国
宝建築物である。


 堂内の千体地蔵を見ることは出来ないが、横の小さい建物にも、木造の
千体地蔵が並んでいた。


 野口町4丁目をさらに北に進み、北山公園に入る。春には園内のたくさん
の花菖蒲を見に、私は毎年来ているところ。

 今は枯れ始めた葉だけだが、東屋(あずまや)周辺には、かなりの人出も見
られた。

 園内の田んぼで収穫した稲を、数段にはさ掛けして干している横を進み、
北山小の先で西武鉄道西武沿線の踏切を越える。その先は狭山丘陵の緑
が広がり、都県境になっている八国山緑地である。

 線路沿いにヒイラギモクセイがたくさんあり、キンモクセイとは違う穏やかな
香りを漂わせていた。


 二つ池という池の横から広葉樹林に覆われた稜線に上がる。尾根に付けら
れた遊歩道が東京都と埼玉県の境、好天の日曜とあり、遊歩道を歩くグルー
プとかなり行き交う。


 狭山丘陵の東端近くには、将軍塚がある。鎌倉時代には、この付近を鎌倉
街道上道(かみつみち)が走り、新田義貞がこの地に一時逗留(とうりゆう)し、
旗を立てたことから将軍塚と呼ばれるようになったという。


 将軍塚の先で狭山丘陵の東端に下って北川の橋を渡り、西武新宿線のガ
ードをくぐる。久米川町にあるゴールの熊野神社には、12時15分に着いた。

 広い境内にはイチョウや松などが多く、神社の西側は小公園になっている。
社殿の東側には、東村山市の史跡に指定された「久米川の富士塚」があった。
食事を終えて社殿の前で記念撮影とミーティングをして13時過ぎ解散となる。


 皆さんは南の東村山駅の方に向かったが、私は近くの梅岩寺に寄る。山門
を入った両側に大ケヤキと大カヤが立つていた。

 左手(向こう)の大ケヤキは目通り幹囲7.1m、高さ32.5mあり、都の天然
記念物である。

 右手(手前)の大カヤは目通り幹囲約5m、高さ30m、樹齢約600年という。
いずれも新編武蔵風土記稿に記され、当時からすでに大樹であったようだ。

 その先両側に、「新・四国石仏」と呼ぶ石仏が並ぶ。江戸期に流行した霊場
巡りのひとつ、四国八十八か所の石仏を造立し、四国まで行かなくても同じ
功徳(くどく)が得られるようにしたもの。

 文政7年(1824)の建立で、この近郷で八十八体が残るのはほかにないと
いう。

 大きな本堂は比較的新しく、同時に再建したのか、大きな鐘楼も目についた。

 八国山近くまで来た道を戻って所沢市内に入り、久米水天宮から緑陰の鳩
峰公園を抜け、15時20分に帰宅した。

(天気 快晴、距離 5㎞+7㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 東京・東村山
 市、埼玉・所沢市)
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歩きの楽しみを増す本 『地図読み人になろう』 発売

2009-10-16 22:16:53 | ウオーキング
 10月5日(月)に、地図を使って街歩きや野山歩きの楽しみを増やすため
のノウハウを盛りこんだ、『地図読み人になろう』が発売されました。



 地図を使っての街歩きや野歩きでは、ただひたすら目的地を目指すことなく、
興味のおもむくままに道草をしたり、道に迷うこと思いがけぬ発見に出くわし
たり、あるいは新しい出会いに恵まれることもあるかもしれません。

 そのような街歩き、野山歩きの楽しみの手助けをしようというとして発刊され
たのが本書です。

 著者の山岡光治さんは、国土地理院で長く地形図づくりに携わった方で、
地図のつくり手の立場から、地形図に盛りこまれた色々な情報を生かすノウ
ハウを提供されています。

 事例として、大井川上流の河川の蛇行状況の眺望地点探しとか、岡山県
津山市の城下町の遺構探し、東京の渋谷川源流を探るために過去の地形図
を使い、その流れの跡をたどるといったことを、事前に地図を見て想像をした
あとに、現地に行っての対比や、思いがけぬ発見が得られたことなどで紹介
しています。

 実例の間には、地形図の読み方のコツや記号の意味などが、専門家の目
からわかりやすく解説されています。

 私も10数年前から、地形図を使ったカントリーウオークやタウンウオークを
楽しんでいますが、本書を読んで、さらに地形図を使った歩きの楽しみ方が
増やせそうなな気がしました。

 著者の山岡さんとは、昨年3月2日(日)に茨城県内を歩いた『LLウオーク
茨城』にご一緒したことがあり、当日の当ブログに投稿しています。

 当ブログ『ブックマーク』欄の『おもしろ地図と測量』は、山岡さんのWeb
Siteです。地図に関する興味深い話題がたくさん盛りこまれていますので、
ご覧下さい。山岡さんのブログ『地図豆』にもリンクしています。

 また、山岡さんは、本書でも取り上げている測量標石探しに関連して、10月
30日(金)深夜24時20分からのテレビ朝日『タモリ倶楽部』の、『測量のお宝
を探せ!街中にある知らない基準点の世界』に出演されるとのことです。

 (山岡光治著 B5判103頁、日貿出版社発行、税込み 1,890円)


 

 

 


 
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八ッ場ダム建設予定地の下流を歩く(2)(2005年5月)

2009-10-14 21:32:05 | カントリーウオーク
 2005年5月15日(日) 〈続き〉

 100mあまり南の池廻薬師堂は、眼病に霊験あらたかのようで、境内に
メグスリノキの若木がある。


 お堂横の斜面から湧き出る小さな池↑は水牢跡、この地を治めていた真
田伊賀守は勤労を奨励し、働かない者を戒(いまし)めのため、この水牢に
浸けたという。

 薬師堂で折り返して東に向かう。酒徳利を抱えた双体道祖神の辺りで右
に曲がると、吾妻川左岸段丘上の広々した展望が開ける。

 ツツジや淡いピンクのチューリップなどが咲く菅原から山根に進むと、対
岸の岩井堂砦の切り立つ岸壁がよく見える。


 タンポポの穂が一杯の草地の向こうに、黄緑の柿の葉がやわらか彩りを見
せる。





 眼下にりっぱなかやぶき民家を見下ろし、フジやレンゲツツジの花を眺め
ながら道上集落に入り、台地の中ほどへ下る。


 11時50分、体育館や東村役場などと隣接する農村環境改善センターに
着いた。

 Kさんが、昼食地として予め連絡し、休日だが開けてもらったもの。ホール
が「富永一郎あずま漫画廊」になっている。

 すべて色鉛筆で彩色したという数十点の漫画を眺めながら昼食にした。役
場には、これから向かう箱島湧水の冷水器があり、まろやかな湧水をひと足
先にいただく。

 昼食中ににわか雨があったが上がり、12時30分に出発。そばの奥田川を
渡り、東側を少しだけ急登して金原城跡に上がった。忠霊塔や桜があり、眼
下の原集落や北側の山並みなどの展望がよい。

 原集落に下り、県道35号に沿った学童用通学路を東に進む。新しい千沢
大橋を渡り、東中の先で県道に分かれて南側の台地上、箱島の原集落へ。
原小付近からは、前方に赤城山が見えてきた。

 原小の先で発電用のパイプが2本横断し、下の箱島発電所に向かって下っ
ている。太い方は4~5mくらいもあろうか。両側は桜並木になっていて、花
どきはよい花見の場所になりそうだ。小休止して水分を補給する。

 近くに、ミズバショウが数株植えられた湿地があり、ホタル保護区になって
いる。

 ほかにも保護区があるようで、ゲンジボタルは6月中旬~7月上旬、ヘイケ
ボタルは6月下旬から7月中旬に飛び、ホタルがこれだけ乱舞する場所は
国内でもそうないという。

 地元野菜や草花など、手作り品販売の小屋の先で、流れの左岸の涼しい
針葉樹林を上がって行くと、太い杉木立の下から湧水が川のように大量に流
れ出ていて、すぐ下で滝になっている。

 環境庁選定名水百選、「箱島の湧水」である。湧出量は一日3万トンとのこ
と、こんなに豊富な湧水を見たのは初めてだ。古くから「不動の清水」として、
村民や近在の人々に親しまれ大事にされてきたという。

 滝の横から急な石段を上がると不動尊のお堂があり、こけむした台座の上
に愛くるしい表情の狛犬が並んでいる。


 滝の横には、コンロンソウが白い清楚な花をたくさん開いていた。


 雲が増え、日陰は涼しくなってきた。林道を手作り品販売所そばまで戻り、
近くの広場で休憩。そばの家の男性が出てきて声を掛けてきた。

 明治40年(1907)生まれとか、間もなく百歳だがまだ80歳台の感じ。元気
をもらおうと交代で握手する。

 Kさんのリードでストレッチ体操をして疲れを和らげ、出発した。

 郵便局の横から県道の北に入り、上宿の甲波宿禰(かわすくね)神社に行く。
延暦4年(785)、水をつかさどる二神を祭ったとされる古社。平成7年に群馬
県 人口200万人記念映画、小栗康平監督作品「眠る男」のロケ地になった
ことで も知られる。

 朱を交えた独特の彩色の趣ある社殿、境内に、何かを思わせるこぶ付きで
東村名木百選の太いケヤキや、社殿のような形の小さな石造物がたくさん並
んでいた。


 金沢川を越え、早苗田の並ぶ柏原を抜けて岡崎交差点で国道35号に出る。
沼尾川を渡って国道に分かれ、左手の北部集落に上がった。前方の展望が
広がり、赤城山塊の複雑な稜線と、南面の広大なすそ野がよく見える。

 雲が一面に広がり、北風がやや強まって冷えてきた。集落を抜けて段丘を
下り、15時53分、無人で片側ホームだけのJR吾妻線祖母島(うばじま)駅に
着いた。

 着いたトタンにパラパラとにわか雨が落ちてきた。狭い待合室でミーティ
ングし、16時3分発高崎行きに乗る。


 雨はほどなく上がり、車中からは赤城山を背に、にじが望まれる。それは、
新緑が一杯の吾妻川をたんのうした我々の旅の、フィナーレにふさわしい眺
めだった。


(参加 19人、天気 曇後晴、距離 16㎞、地図(1/2.5万) 金井、歩行地
 小野上村(現在は渋川市)、中之条町、東村(現在は東吾妻町)、渋川市)
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八ッ場ダム建設予定地の下流を歩く(1)(2005年5月)

2009-10-13 11:51:55 | カントリーウオーク
 今日も、4年前の春歩いたレポートです。場所は、昨日、一昨日の八ッ場
ダム建設予定地より、吾妻川の下流約30㎞の、群馬県小野上村(現在は
渋川市)周辺です。

===============================

 2005年5月15日(日)



 宿泊した「SUNおのがみ」で6時過ぎに起床、雲がたれ込め間もなく、か
なりの降りとなる。しかし長くは続かず朝食前に止んだ。朝食は7時半から。
納豆、温泉卵、乳酸飲料などもついてメニューは豊富。Kさんから、「お昼は
おにぎり三つなので、たくさん食べておいて」と言われる。

 ==作間神社から吾妻川遊歩道へ==
 

 記念撮影をして、8時40分に宿を出る。吾妻川沿いに西に向かい、入口
に湯前薬師堂のある日帰り温泉、小野上村温泉センター前を回り、駅西側
の踏切を越える。

 国道353号を越えて赤鳥居をくぐり、山すその階段を上がってまず作間
神社へ。


 県天然記念物の太いケヤキが2本、新緑の葉を広げている。


 村の野仏めぐりコースの出発地になっているようで、その№1になる亨保
9年(1724)造立という双体道祖神があった。

 塩川集落を西に500mほど進む。切り立つ断がいの山すそに、岩井堂砦
(とりで)の説明板があった。

 延久年間(1069~74)に白井城の支城として築かれ、天正7年(1579)
に真田昌幸の家臣が城主になったころは、白井や前橋までにらみを利かす
重要な役割を果たしたという。砦はこの上の岩山にあって、物見台、のろし
台として利用されていたらしい。

 国道に出たが、車が多く歩道が無い。一列になって注意しながら進む。
物産茶屋里山や、みやまワイン直売所前を通過、物産茶屋では何人かが
ウドなどを求めた。

 周辺のオオデマリがふっくらとした花を開いている。天気が回復し青空が
広がってきた。



 下市城(しもいちしろ)の市城交差点で国道を離れ、吾妻川↑の橋を渡って
東村(あづまむら)に入った。今日歩くエリアの大半は東村である。

 ちなみに、群馬県には東村が三つあった。ここ吾妻(あがつま)郡と、佐波
(さわ)郡、勢多(せた)郡である。このうち佐波郡東村は今年(2005年)1月
1日に伊勢崎市となり、残る二つも来年(2006年)3月27日に合併で消え
る運命にある。  (注:2009年の現在は全部無くなっている)

 橋の下を少し戻り、右岸沿いの吾妻川自然遊歩道に入る。橋のそばに、
「ここから300m上流に筏(いかだ)流し場があった」との表示がある。南側
の榛名山から切り出した木材を、筏に組んで下ったらしい。

 桜並木が続く遊歩道からは、歩いてきた対岸の新緑あふれる山並みの展
望が広がる。


 500mほど進むと、流れに向かって突き出た辺りに大きな岩盤があり、
数個の窪みに雨水が溜まっている。

 甌穴(おうけつ)との表示があり、現在の流水面より10m近く高いが、昔は
ここが水底だったようだ。


 そばに、ばくち場跡の表示もあるが名残はない。


 この辺り、松林や広葉樹の新緑の下の気持ちよい歩道が続く。


 林の外れで休憩。今日もSさんがコーヒーを用意してくれた。ピーナツや
菓子、乾燥フルーツなども回ってくる。


 南側の緩斜面は、広い芝生と池のある自然公園。周囲の緑が静かな池に
影を映し、ツツジやシバザクラが鮮やかな彩りを添えていた。

 ==東村の段丘上を箱島湧水へ==


 休耕田や田植え直前の田んぼの間を抜けて月夜野集落に向かう。


 周辺の、やわらかな彩りの新緑が気持ちよい。


 月夜の集落の長徳寺は、かやぶき屋根の本堂と新緑あふれる庭が、落ち
着いたたたずまいを見せてくれる。


 さらに集落を上ると、四差路角の民家に、花どきに来て見たい大きなしだれ
桜が、新緑の枝を広げていた。

 養蚕農家だったという飯塚家のもので、村の名木10選の一つ。出てきた
奥さんによれば、樹齢は百年近いらしい。木の下には、大きな漬け物樽を
活用した風雅な茶室もあった。    (続く)

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八ッ場ダム建設予定地を歩く(2)(2005年5月)

2009-10-12 13:02:34 | カントリーウオーク
 2005年5月14日(土) 〈続き〉

 短いトンネルをくぐり、川原畑バス停横で国道に分かれ、JR吾妻線西側の
川原畑集落に入る。点在する民家に向かう一車線の上り道、やわらかな柿
の葉や、あちこちに咲くフジの花が目に入る。


 高度が上がり、対岸の川原湯温泉街↓と、それを包む新緑の山並みの展望
が良くなった。


 民家の裏手斜面に、クマガイソウとエビネがたくさん花を見せている。


 地図上では、集落の尽きるところで道が途切れる。下る道はないかとKさん
がそばの家に聞きに行き、民家の手前から斜面を下る道を教えてもらった。

 何種類ものツツジが咲く民家の下から下り道へ。新緑が一杯の気持ちよい
草道、どんどん下ると三ッ堂(みっつどう)という小さなお堂があった。

 昔は三つのお堂が並んでいたのでこの名がついたという。


 お堂の周囲や東側のがけ面に、江戸時代の石仏や五輪塔、馬頭観音など
が70体ほど並んでいた。


 付近のシャクナゲも見ごろである。


 線路際まで下ると、土台だけ残る住居跡が数戸あり、この地も水没すること
が知れる。吾妻線のガードをくぐって国道に出て、川原湯温泉駅に戻り、小休
止する。

 予定の電車まで2時間ほどあるので、下流の吾妻峡に向かう。国道を200m
ほど進んで右へ、吾妻峡遊歩道に入る。

 終点の鹿飛橋までは1.9㎞、時間を見て適当なところで戻ることにする。


 150mほどで、吾妻川に木造の滝見橋がかかっている。対岸の白糸の滝の
見どころとのことだが、水量が少なく見栄えはいまひとつ、それより両岸の新
緑のほうがよい。

 秋の紅葉がすばらしそうな緑陰が続くが、結構上り下りがある。遊歩道は、
吾妻川の流れよりかなり高みにつけられているので、流れはあまり見えない。


 右斜面から流れ落ちる栃洞(とちぼら)の滝も、ちょろちょろの水量で、表示
を見なければ滝とは見えない。

 帰宅後、駅でもらった「やんば散策マップ」を見たら、滝の下流あたりが八ッ
場ダム建設予定地のようだが、気づかなかった。

 新緑に覆われた斜面に、それらしい穴の見える千人窟(せんにんくつ)の先
から、木の手すりも付いた急な上りとなる。


 少し下り始めたところから左手に小さなピークがあり、展望台へ急登の道が
ついていた。


 上ってみると、眼下に吾妻川上流の展望がよく、下流側は新緑の広葉樹に
隠されている。


 40分ほど歩いたので、ここで引き返すことにする。もとの道を滝見橋まで戻
って休憩。Sさんの沸かしてくれたコーヒーなどを、おいしくいただいた。


 15時39分、川原湯温泉駅に戻り、電車待ちの間にホームで記念撮影を。


 16時10分発上り電車に乗り、16時41分に小野上温泉駅で下車する。

 駅は無人で明かりとりの塔付きの新しい駅舎。今日の宿は、小野上村村営
(現在は渋川市)の「SUNおのがみ」、3分ほどで着いた。

(参加 18人、天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 長野原、歩行地 群馬
 県長野原町)


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八ッ場ダム建設予定地を歩く(1)(2005年5月)

2009-10-11 23:18:04 | カントリーウオーク
 民主党政権になり、政策の転換として大きな話題となっているのが、群馬
県の八ッ場(やんば)ダムの建設中止の問題です。

 昨夜も、NHK総合TV「追跡!AtoZ」のテーマは、「八ッ場ダム・解決の
道はどこに」でした。

 埼玉県は、飲料水の60%以上を利根川水系に依存しているとか。県民と
して将来、飲料水は確保できるのか気になるところです。

 一方で、建設の計画が出てから、群馬県出身の総理大臣が4人も出てい
るのに、いまだ進捗しないのは、必要ないのではないかとも考えられます。

 必要なのか、必要ないのか、何とも分からないままに半世紀近くも振り回
されたのが地元、群馬県長野原町の方々です。

 私たちカントリーウオークのグループでは、4年前の5月、ダム建設にゆれ
る長野原町を歩きました。八ッ場ダムダ建設予定地の周辺がどのようなとこ
ろなのか、新緑がすばらしい川原湯温泉周辺の様子を、当時のレポートでご
紹介しましょう。

================================

 2005年5月14日(土)



 わがカントリーウオークグループの春の1泊ウオーキングは、数年後に八ッ
場(やんば)ダムの湖底に消える運命の吾妻(あがつま)渓谷と川原湯(かわら
ゆ)温泉、そしてその下流、吾妻川右岸の水清らかな里・東村(あずまむら)
を中心に歩くことにした。

 7時30分にJR大宮駅に集合。高崎線は早朝人身事故がありダイヤが乱
れ、予定とは別の電車に乗り、高崎駅には9時前に着く。

 車で来たTさんと八高線経由の私が合流し、9時42分発JR吾妻線直通電
車に乗り、10時58分、川原湯温泉駅で降りる。


 =川原湯温泉街からやんば館へ=
 
 企画したTさんからコース説明を聞き、11時8分に駅前をスタート、まず西側
の吾妻川右岸高台にある川原湯温泉街を目指す。

 車の多い国道145号を横断し、「歓迎川原湯温泉入口」のゲートをくぐって山
すその旧道へ。そばに、かやぶき屋根の建物と水車の回る郷土料理「ふるさ
と」があった。


 やわらかな彩りの新緑が広がり、谷間に色鮮やかなツツジが咲き、シャク
ナゲも見ごろ。少し上がると「お福まんじゅう」の店があり、試食を勧めている。
一ついただき、歩きながら味わった。

 嘉納治五郎別荘跡を過ぎ、むささびの宿として知られているという山木館な
ど、古くからの旅館が並ぶ川原湯温泉街に入る。

 吾妻川ははるか下だが、この辺りもダムで水没するのだろうか。

 旅館街も終わりに近い山側に、昨年(2004年)6月に完成した川原湯温泉
足湯の源泉が湧く小さい東屋(あずまや)がある。

 80℃の源泉に、温泉卵のかごが浸かっていた。そばの足湯は40℃前後に
なっていて、手を入れてみると気持ちよい温度だった。

 すぐ上の川原湯神社は、2001年4月の火事で消失した後、再建された銅
ぶきの新しい社殿になっていた。


 参拝後、社殿の横に腰を下ろし、対岸の萌える新緑や足下のタンポポなどを
眺めながら昼食にした。さわやかに吹く風が気持ちよい。


 神社からの、気持ちよい新緑の眺め。


 12時10分に出発、そばの旅館、柏屋の横に、「ダム天端高・標高586m」
の位置が表示され、柏屋の1階も水没する位置にある。この辺りが温泉街の
最高地なので、当然、歩いてきた温泉街は水没することになる。

 近くの店の温度計は16℃を示していた。

 家屋が尽きて林間を下る。左手上に、水没後の移住先と思われる造成中の
広大な土地が見える。広葉樹林のあちこちでイカルが鳴き、アケビが小さな
花を開いていた。


 上湯原への道すじに、手を取りあう双体道祖神があった。宝暦6年(1756)
のもので、アベック地蔵と呼ばれているらしい。


 地元住民の共同湯・不動の湯を過ぎ、吾妻川の橋を渡って国道に出る。

 川の流れに浸かった石はみな赤い。上流の草津や万座温泉の成分によるも
のと思われる。

 200m余り先にある「やんば館」へ。首都圏最後の水ガメといわれる八ッ場
ダムの概要を紹介する施設である。

 八ッ場ダムは、吾妻川中流に建設する多目的ダム。利根川水系の他のダム
とあいまって下流部の洪水被害の軽減と、関東5都県の都市用水の開発を行
うもの。

 事業費4,600億円、3㎞ほど下流の八ッ場に堤高131m、堤頂長336mの
ダムを造る計画で、総貯水容量は1億750万立方mになるという。

 計画段階より首都圏の水需要が減り、近年は不要論も出ているが、先月末
(2005年4月末)、ただ一つ残っていた川原湯地区の移転代替地の分譲価格
受け入れが決まったとの情報もあり、再来年(2007)には本体着工するらしい。

 20分ほど見学して館を出た。すぐ手前の学校跡にダムの工事事務所があり、
はるか上の斜面では、付け替えられる国道の工事が進められている。

 =駅前に戻り吾妻峡へ=
 
 国道を戻り、橋よりさらに東に進むと、吾妻川右岸に龍の尾のような岩が見
える。

 国の天然記念物・臥龍岩(がりゅうがん)で、「岩床の川原湯層の割れ目に
地下の安山岩の溶岩が流入して出来た、230万年前の岩脈」との説明板が
あった。

 国道には歩道はあるが車が多い。渓谷両岸の新緑あふれる景観が、車のう
っとうしさを和らげてくれる。

 その先の国道北側斜面、崩落防止のネットに覆われた岩壁に、石の階段の
ような部分がある。

 表示はなかったが、どうやら地図上の「昇龍岩」のようだ。   (続く)

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熊谷と深谷をカントリーウオーク(埼玉)

2009-10-10 21:42:25 | ウオーキング
 以前は体育の日だった今日、10月10日(土)、カントリーウオークの仲間
と、埼玉県北部、熊谷市と深谷市の郊外をカントリーウオークしました。

 詳細は別途報告しますので、速報は4枚の写真のみで。

 スタートは、秩父鉄道の大麻生(おおあそう)駅、10時過ぎに出発しました。

 午前中の大きなポイントは、三ヶ尻(みかじり)観音と呼ばれる竜泉寺。 

 観音堂の極彩色の木彫は、なかなかのものでした。

 昼食地は、熊谷文化創造館と呼ぶコンサートなどの催し会場の屋上で。


 ガラス張りの屋上からは、関東平野と周辺の山並みなどが360度の大展望。

 雲が多くて、視界はいまひとつでしたが、こちらは西方、外秩父と秩父周辺の
山並み。

 午後通過した熊谷運動公園で記念撮影。カメラのAさんを入れて、参加者は
19人です。


 上越・長野新幹線の高架下を抜け、ゴールは秩父鉄道の隣駅、ひろせ野鳥
の森駅でした。



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運転免許更新のための高齢者講習へ

2009-10-09 22:37:31 | Weblog
 今日、10月9日(金)は午後、運転免許更新のためのの高齢者講
習(70~74歳対象)に出かけました。

 実は、「運転免許更新のための講習のお知らせ」というはがきは、4月
9日付で埼玉県公安委員会から送付されていました。

 私は初めての受講なのですが、受講する教習所へは、2,3日前にでも
連絡すれば日程は取れるものと安易に考え、ずっと放ってあったのです。

 免許の有効期限が10月16日なので、そろそろ受講しなくてはと思い、
9月18日に所沢市内の教習所2つに電話してみました。

 ところが、もう5か月先まで予約が入っていて、10月上旬などはとても
受けられないというのです。

 ビックリして隣の狭山市の教習所に問い合わせたところ、幸いなことに
今日は空いていることが分かり、申し込んだのでした。

 どうやら今年から高齢者講習のやり方が変わり、受講者が急増している
ようで、教習所の教官からも、次の免許更新の時には通知が来たらすぐに
受講するよう勧められました。

 今日の講習は14時から17時まで3時間かかるとのこと。受付開始は
13時40分からなので、そのまでに教習所に入りました。同じ講習の受講
者は12人(うち2人は不参加)でした。 

 講習内容は、座学、VTR視聴、実技、運転適性検査と視力検査でした。

 座学で配布されたのが下の3冊で、そのうち最初と最後は、高齢者講習
者用の資料です。






 座学は概要説明程度で、VTRにより高齢者の運転能力の低下状況などの
ビデオを見せられました。

 実技は、3人ずつ教習車に乗り込み、交代で運転して、坂の上り下り、車庫
入れ、踏切や停止標識などでの停止、狭いSカーブの通過、縁石に乗り上げ
て急停止、前方障害物を避けての迂回などについて、指導教官の指示に従
って運転して、その結果をコメントいただきました。

 運転適性検査は、運転席まがいのディスプレイ画面を見ながら、右左への
矢印に従ってのハンドル操作や、信号の状況によりアクセルとブレーキの操
作をしたり、画面のどこかに赤▼のマークが出たらブレーキ操作をするといった
ことをします。

 その結果を講習の最後に、同年代や30~59歳との比較とか、自分の運転
の仕方についての批評を記した「運転適正結果票」としてもらいました。

 視力検査は、静止視力や動体視力、視野検査などを行いました。

 講習を終えて下の講習終了証明書をもらいました。これとほかの必要物を
持参して警察署か県の運転免許センターに行けば、免許更新が出来るという
ことになるので、私も免許期限直前の来週前半には行くつもりです。



 所要時間は、はじめに言われた通り、たっぷり3時間かかりました。

 すでに受講された方はご存じのことばかりですが、間もなく高齢者講習を
受講される方も居られるかと思い、その内容などを参考までにお知らせした
次第です。

 ちなみに、講習手数料は、県からのお知らせでは6,150円になっていま
したが、私が受けた教習所では5,800円でした。
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関東百駅巡礼歩行 都営地下鉄 篠崎駅

2009-10-08 23:32:09 | 関東百駅巡礼歩行
 2009年10月3日(土)



 やまさんの、関東百駅巡礼歩行第58番に参加した。集合は都営地下鉄
新宿線の篠崎駅。小雨模様の中、レギュラー参加の5人は、駅を11時2分
に出て、駅南側の公園で記念撮影をする。


 やまさんが地図で目を付けた今回のポイントは、東京都(島しょ部を除く)
最東端の場所と、四つの銭湯(せんとう)、そして篠崎には篠崎町のほか、東
西南北の篠崎町、上下の篠崎町と、篠崎の名のつく町が七つもあるという。

 まず駅の北に回って篠崎町4丁目へ。「ラーメン一歩」という店が目につ
いた。ラーメン屋で「歩」のつく店は珍しい。

 斜向かいの花屋さんは、草花の鉢植えがたくさん並び、今夜は十五夜で
あることを表示してあった。


 東西に走る本郷用水親水緑道に出ると、雨に濡れた植え込みに囲まれた、
きれいな流れがある。


 次の角を北へ、上篠崎4丁目にある江戸川区篠崎コミュニティ会館に入り、
江戸川区の番地入り地図をもらう。

 上篠崎3丁目から西篠崎2丁目へ。最初の銭湯、東湯を探したら、「イー
ストランド」と名を変えて、入口はスーパー銭湯風の建物になっていた。


 北側の路地沿いの民家は、花や木の鉢植えをたくさん通りに並べて、安
らぎを与えてくれる。


 東に向かう通りには大きなビニールハウスも残り、江戸川区特産のコマツ
ナが育っていた。広い敷地をりっぱな塀で囲んだ旧家もあった。


 上篠崎2丁目に進んで東側背後から浅間神社に入った。天慶元年(938)
創建という古社である。

 境内は広く木々がうっそうと繁り、小鳥の声がにぎやか。ここが江戸川区
内とは思えぬ一角である。

 浅間神社本殿のほか、霧島神社など十を越える小さい社もある。雨を避
けて拝殿の下で昼食をしたが、蚊の攻勢も盛んだった。

 長い参道を南側の入口に向かう途中には、「浅間の藤」と呼ぶフジの古木
があり、7月1日ののぼり祭りに立てられ、日本最大といわれる長さ20mの
大のぼりが10本、屋根の下に保管されていた。


 入口の石鳥居には、「黄金の注連(しめ)飾り」と呼ぶ金属製のしめ飾りが
下がり、奉納者の最初に、ラモス元フィリピン大統領の名が刻まれている。
安曇野を思わせる双体道祖神も一体あった。

 近くにあった2番目の銭湯、庄の湯も、入口は近代的な造りに模様替えし
ている。


 広い通りの鹿骨(ししぼね)街道に出て東へ、篠崎町1丁目にあった「読書
のすすめ」という珍しい名前の書店に入る。

 普通の店には無い、心の問題とか、日々の暮らし、宗教的なものを揃えた
異色の書店だった。

 篠崎町3丁目に入り、区民農園の横を通って近くの無量寺へ。

 大きな本堂の前に、りっぱな松やクス、スダジイをはじめ、庭木がきれい
に整えられ、観音堂↓や六斎地蔵堂、阿弥陀堂などもある。


 篠崎町4丁目を抜け、南北に走る篠崎街道近くには、昔ながらの銭湯の
面影を残す竹の湯があり、高い煙突も目についた。


 篠崎2中の横で篠崎街道に出た。延命地蔵尊の立つ角を東に入って新町
商店街へ。たくさんの飾りが下がる商店街は、閉じた店もあるが、八百屋を
のぞいてみたら、どの商品も安くて新鮮そうだった。


 東篠崎1丁目、篠崎高の近くにあった四つ目の銭湯、元の湯は、建物は昔
ながらだが、遠赤外線サウナや超音波風呂など、最近はやりの設備も導入し
ていた。

 江戸川区スポーツランド入口前を通り、東側の旧江戸川右岸堤防へ。遊歩
道際の駐車場の辺りが東京都の最東端(島しょ部を除く)と確認した。

 対岸は千葉県市川市、すぐ上流には江戸川水門のゲートが見える。

 スポーツランドの西北、京成バス車庫前の江戸川スポーツランドバス停が
今日のゴール。14時半に着き、解散となった。

 雨も上がったので私は、篠崎中や南篠崎小横を経由して、隣の瑞江駅まで
歩いてから帰路につく。

(天気 雨後曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 船橋、歩行地 江戸川区)
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関東山の辺の道⑩【宇都宮・上戸祭町~鹿沼駅】〈続き〉

2009-10-06 20:47:13 | 関東山の辺の道
 2009年9月27日(日) (続き)


 景観公園に戻り、奇岩群を前にして↑ベンチで昼食後、南側にある大谷寺(お
おやじ)に行く。坂東三十三観音霊場の第19番札所で、大谷観音とも呼ばれ
ている。

 朱塗りの仁王門を入ると、大岩石に抱え込まれるように本堂があり、堂内に入
ると、弘法大師が刻んだと伝わる大谷石に彫られた大きな千手観音がある。

 それが大谷観音で、横の回廊沿いにも、大きな釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀
三尊像の真崖仏(まがいぶつ)が刻まれていた。

 境内には、赤いお堂の弁天堂が祭られ、それを囲む池の周辺は松やモミジな
ど、植栽が豊富な庭園になっている。


 大谷寺の南側の採掘場跡は大谷公園。大谷石の採石場に、世界平和を祈念
して身の丈26.93m平和観音が刻まれ、昭和31年(1956)に公園になった
という。


 公園の中央には、カエルの後ろ姿に見える「親子がえる」があり、観音像の
背後は展望台になっていた。下は展望台からの眺め。


 「天狗の投石」と呼ぶ岩ノ下から公園を抜けて、姿川沿いを南に向かう。周辺
には、大谷石造りのりっぱな土蔵造りが幾つか見られた。


 街路樹の、栃木県の木、トチノキの葉の一部が色づき、秋の近いことが感じ
られる。


 Y字路の大谷交差点を東に少し、北側の路地を入ると、やはりりっぱな大谷
石の土蔵と、かやぶき屋根の残る旧家があった。


 大谷交差点に戻って西へ向かう。すぐ先の小さな交差点際で、大谷石造りの
建物が目に入った。

 国登録文化財の旧大谷公会堂で、大正末期から昭和初期にかけて旧城山
村在郷軍人分会の主唱により建築され、村議会、芝居や演劇、映画などの会
場として多目的に使われたという。


 公会堂横の旧道を入り、荒針集落へ。オミナエシやコスモスがきれいな彩り
を見せる。集落の西方高台からは、南側の黄金田や家並みの展望が開けてき
た。


 城山中の南を回って田園地帯を進み、赤川の常盤橋を渡って鹿沼市に入る。

 すぐ先、下組集落の等持院へ。山門を入ると修行大師像が立つ。本堂前に
はりっぱな桜が枝を広げ、整えられた庭の一角にサフランが咲いていた。


 刈り入れの済んだ田園地帯の北に、日光連山の前山らしい山塊が望まれる。


 寺の前を通る国道293号を少し進み、車を避けて栃窪集落の北側を回る。
良く育ったウドに、地味な花がいっぱい開いている。近くのソバ畑も一面の花
盛り。

 再び国道に出て、次の三差路を入って栃窪溜と呼ぶ桜に囲まれた池のほと
りへ。


 北岸は民営の錦鯉(にしきごい)公園になっていて、池畔に錦鯉資料館が
ある。

 館内には、幾つもの生け簀(す)があり、彩りの違う錦鯉がたくさん泳いでい
た。壁面には鯉の品評会で獲得したトロフィーがたくさん並んでいる。併設の
食堂で、ところてんを注文して休憩した。

 栃窪溜の西半分は、幾つもの区画に区分けされた釣り堀になっていて、池
の水をかくはんする水車がたくさん回転していた。ゴルフ練習場の横を抜けて
国道に戻る。

 仁神堂(にかみどう)町を通過してJR日光線の線路を越え、昔ながらの駅舎
のままのJR鹿沼駅に、16時14分に着いた。

 [参考タイム]JR宇都宮駅9・30=(バス)=長岡街道入口BS9・50ー
 細谷小10・07ー東北自動車道下10・35ー越路岩先11・20ー大谷資料館
 11・45~12・10ー景観公園(昼食)12・17~37ー大谷観音12・42~13・08
 ー大谷公園13・10~25ー旧大谷公会堂13・50ー常盤橋14・22ー等持院
 14・31~38ー錦鯉公園15・09~34ー菊沢東小15・51ーJR鹿沼駅16・14


 (天気 曇、距離 17㎞、地図 宇都宮西部、鹿沼、歩行地 宇都宮市、
 鹿沼市、歩数 31,200)
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