ナイアガラの滝から約5km下流に、北上する川筋が東に直角に曲がる個所がある、ナイアガラ ワールプール(Niagara Whirlpool)である(写真1)。川は右手前から直角に折れて、東に向きを変えており、また川の流れがかなり急であることがよくわかる。エリー湖‐ナイアガラ川‐オンタリオ湖にわたって、それらの中央がカナダ‐アメリカの国境となっており、右の丘はアメリカ領である。

カナダ領内で、川を挟んで両岸にケーブルが張られていてゴンドラが宙吊りにされている(写真2)。乗り場から約1km離れた対岸にかすかに岩らしきものが見えるが、写真3に見るように岩の間にしっかりとしたコンクリ造りの駅が設けられている。その屋上は展望台になっているようである。観客はゴンドラ(写真4)に乗って、十数分間川の流れを眺め、楽しむ仕掛けである。



この特徴的な造りのゴンドラは、スペインの技師たちの発案・工事で設置され、1916年から稼働を始めた由。そこで当初はスパニッシュ アエロカー(Spanish Aerocar)と呼ばれていたようであるが、現在ワールプール アエロカー(Whirlpool Aerocar)またはワールプール スパニッシュ アエロカーと呼ばれている。百年近い長い年月にわたって親しまれてきたようだ。
この直角に折れた川筋では、川の流れが急であることも手伝って、北上した流れがその先で川岸にぶつかり、岩を砕き、長年にわたって入江状の湾を形作る結果となったようである(写真2および4)。そこで今日、流れはこの湾内を反時計方向に回ってのちに東流することになるが、湾に入る流れと湾を巡ったのちの東への流れが喧嘩して、渦を作ることになる。ゴンドラが中流に差し掛かるあたりでは流れが渦巻いているのが直下に観察できる(写真5;写真2 & 4も参照)。このあたりが、ワールプール(渦巻き、Whirlpool)と呼ばれている所以のようである。

再び、映画‘Niagara’に戻って、殺人事件の遺体が発見された場所は、ゴンドラ乗り場の対岸、駅の直下よりやゝ北側あたりの川岸であったように思われる。
この旅行の第1歩のここで、ビデオカメラの電池を完全に消耗してしまった。残念ながら、当日のその後の足取りは、ネット上で得た資料で話を進めざるを得なくなった次第である。
バスは、木々の間にナイアガラ川の流れを垣間見ながら、川沿いをさらに下り、川がオンタリオ湖に灌ぐ地区、ナイアガラ-オン-ザ-レイク(Niagara-on-the Lake)に到着(写真6)。写真はカナダ発行の切手ですが、写真上部で帆を降ろした帆船が描かれている個所が、ナイアガラ川がオンタリオ湖に灌ぐ河口である。ナイアガラの滝から40kmほどの下流でしょうか。ツアーは、帆船の下(南)側のカナダ領湖岸に位置するナイアガラ-オン-ザ-レイクの街および川岸を自由に散策する時間が設けられていた。

写真で川向う陸地が飛び出たところがナイアガラ砦(Fort Niagara)でNew York州に属するアメリカ領、手前の川岸にはジョージ砦(Fort George)がありカナダ領。両砦は、1812年に勃発したという英米戦争で取りつ取られつを繰り返して、現在の形に落ち着いたのは1814年頃のようである。今日、対岸の砦はレンガ造り(?)の建設物が遠くかすかに見え、一方、手前カナダ領では砦あとの木柵が残されており、また中型の大砲が対岸に口を向けていて、かつての戦争の名残をとどめていた。
映画‘Niagara’で、ジーン ピーターズの夫の勤め先の経営者(?)が、「….米国・カナダはよう戦った、今は大の友人です…..」という主旨のセリフを言う場面もある。
ナイアガラ川の河口付近からオンタリオ湖に開けるあたりで、数隻のヨットが水面を悠々と滑っている情景が目に入った。国境線は川および湖の中央にあるとのことであることから、ヨットが川の中央を越え、国境を侵すことは十分にありうる。問題にならないのか、時節柄、気になった。対岸の陸地に上がらなければ不問である とのガイドさんの説明であった。
川岸からやゝ丘を登った内陸部、徒歩数分のあたりがナイアガラ-オン-ザ-レイクの市街地(写真7)である。端から端まで徒歩10数分ほどで尽きる、約200mの目抜き通りクイーン通り(Queen Street)を挟んで、その両側は賑やかなビクトリア様式の街並みの商店街。その通りの真ん中あたりに時計台があり、方向音痴の筆者にとっては有難い存在であった。この時計台は、第一次世界大戦で亡くなった当地出身の兵士を悼んで建てられた由。また時計台の近く、キング通りとの交差点の角には、交通事故でなくなられた英国のダイアナ妃が来加の折に泊まられたというプリンス‐オブ‐ウェールズ ホテルがある。

この目抜き通りを外れたあたり、またこの通りと直角に交わる道路の両脇は住宅街である。このあたりは、いわゆるメープル街道(*)の圏内にあり、どの道路にも年を経た大木の楓の木が街路樹として並んでいる。まだ緑の濃い状態であったが、紅葉の頃はやはり見栄えのある情景となるのであろう。楓の木々の根っこの周りには、緑色で未熟の2枚の羽根をつけた楓の種が散っていた。
*注)
「メープル街道」とは、ナイアガラ フォールズをスタート地点にして、ナイアガラ川岸‐オンタリオ湖岸を通って、さらにトロント‐モントリオール‐ケベックに至る街道をいう由。但し、「メープル街道」の用語は日本語であり、現地では通じないと聞いた。このあたりの地域はアッパーカナダと呼ばれていて、英・仏人が入植して以来の歴史が刻まれた場所で、史跡が多く、現地ではHeritage Road(史跡街道?)と呼んでいるとのことである。
錯覚2つ:
1) CPホテル10階から眺めた情景では、手前のナイアガラ川は右から左に流れていて、両滝は手前に向かって落ちている。一見して、両滝はアメリカ側の川岸の崖を並んで落ちているように思え、「カナダ滝」という名称が不思議に思えた。錯覚である。両滝が川の流れに直角に掛かっている という情景を思い描くのにかなりの時間を要した。種を明かせば、ナイアガラ川は、滝が落ちた個所で直角に北(左)へ流れを変えているということである。何万年か後に、滝がもっと上流に移動した際には、手前カナダ領に入江が形成されて渦巻きが見られるようになるのかも知れない。
2) ナイアガラ ワールプールで、ゴンドラ乗り場から眺めた時、一見、ゴンドラを吊るしたケーブルは、対岸のアメリカ領との間に張ってあるように思われた。やはり錯覚である。錯覚1)も含めて、川の対岸はアメリカ領であるという固定観念ができていたからである。ゴンドラで流れの半ばに乗り出して行き、右手にアメリカ領の丘を見て初めて、ケーブルはカナダ領内の両岸に張られていることが了解された。
このゴンドラのケーブルについて、錯覚を起こしたのは筆者のみではないようである。ネット上、カナダ観光についての口コミ記事の中で、「…対岸アメリカ領との間に張られた….云々」という記事が確かにありました。(つづく)