今回の旅行で最も印象深かったことの一つは、バンフ国立公園内での野生動物との共生の在り方についての公民共々の取り組みようである。交通量の増加に伴って、高速道の拡幅に迫られたが、その折、野生動物の生活への影響を最小限にし、また動物‐車の衝突を抑えるにはどうすべきかを、交通関係者及び科学者を含めて真剣に検討を重ねたようである。そこで高速道の両脇にフェンスを設け高速道へ動物が入るのを阻止するとともに、高速道を跨いで上または下に動物専用の通路を設け、動物が道路の両側を自由に行き来できるよう徹底した対応がなされていた。
山中ばかりでなく、街中でも野生動物にはお目にかかれる。写真1は、バンフ街中のホテルの側、花壇の中で休息中の鹿で、角と耳だけが見える。人が近くに寄っても動ずることはない。写真2は、日中お昼前、高速道の側を練り歩いている熊に出逢った。車内から目撃の声が上がると、バスの運転手が気を利かせてバスを停めてくれた。グリズリー熊(grizzly bear、灰色熊)とのこと、まだ小熊のようです。成獣では300-500kgに達するらしい。朝夕の涼しい間にはよく彷徨するが、日中気温が上がって見かけることは珍しい由。この写真で、道路わきにフェンスが設けられているのがよく判る。
写真1(街中ホテルの側で;鹿の角と耳)
写真2(高速道沿い、彷徨するグリズリー熊)
写真3は、高速道を跨ぐ動物専用の陸橋アニマル オーバーパス(animal overpass)の一つである。このような通路は、ヒトの匂いが残ると動物が警戒して避ける可能性があるから ということでヒトが通ることは禁じられている由。今日、バンフ国立公園内では、フェンスの設置が高速道82kmに及び、また動物専用の横断通路が44か所(陸橋6、地下道38)設けられているとのことである。これらの横断路では、常時監視が続けられていて、今後の対応に役立てるべくデータの蓄積がなされているとのこと。
写真3(高速道を跨ぐアニマル オーバーパス)
バンフから高速道に沿ってルイーズ湖(写真4右上)を経由、エメラルド(Emerald Lake)湖(同左上)に行く途中に、キッキング ホース峠(Kicking Horse Pass)とスパイラル トンネル(Spiral tunnel)という観光スポットを通った。いずれも意味ありげな名称であり、興味を引いた。
写真4(スパイラル トンネル周辺の略地図)
キッキング ホース峠は、アルバータ/ブリテイッシュ コロンビア両州の境(写真4赤の縦曲線)にある峠(標高1627 m)である。前回、英国探検隊員の隊長で、キャッスル山の命名者Sir James Hectorに触れましたが、その彼がこのあたりを探検していた折(1858)、荷物運搬用の駄馬に胸を蹴られた所ということで、そう名づけられている と。またヨホ国立公園内の高速道沿いの谷間を流れる川はキッキング ホース川である。なお、1884年にこの峠を跨いで大陸横断のカナダ太平洋鉄道が開通したことから、キッキング ホース峠はカナダ史跡の地(National Historic Site of Canada)として指定されたようである。
偶々、キッキング ホース峠近くで、カナダ太平洋鉄道の車両がバスと反対方向に進んでいくのが車窓から見えた(写真5)。2-30輌編成であるという。山のすそ野をゆっくりと進んでいるようで、のどかな風景に見えた。実際は、この路線は、ロッキーの急斜面に施設するという地理的に非常に困難を極めた挑戦で、今日の如く安全に運航するにはかなりの工夫と努力がなされており、その象徴としてスパイラル トンネルがある と。それが完成したのは1909年のことであった。
写真5(車窓から見たカナダ太平洋鉄道の列車)
スパイラル トンネルについては少々説明がいる。キッキング ホース峠のヨホ国立公園側では谷の両側ではかなり傾斜が急である。その傾斜を吸収するため、トンネルを設けて8の字のらせん型に走行するようにしたわけである。写真4で走行の模様を想像してみる。フィールド(Field)側から徐々に斜面を登り高速道の下を潜ったのちにトンネル(Lower tunnel)に入る。左周りでトンネル内を891m進んでトンネルを出る。写真6ではトンネルに入る列車(下)とトンネルを出る列車(上)が見える。このトンネルを潜ってのちには傾斜を15 m登ることになる。このトンネルを出たのち一旦逆方向に進み高速道を潜って次のトンネル(Upper tunnel)に入り、右回りでトンネル内を991m進んでトンネルを出る。ここで17 m高度を上げる。以後ルイーズ湖に向かって高速道とほぼ並行して走る。
写真6(下方トンネルを入出する列車;Parks Canada, www.pc.gc.caから)
トンネルを設けた結果、この線路は最大2.2%の勾配に抑えられて効率的かつ安全な運行が可能となったようである。当初、急な傾斜のため脱線事故もあり、また改良して傾斜を4.5%に設定して進めたが、それでも下りは車両の重みで加速され、また登りには後押しの追加の動力や人手が必要であり、効率的とは言えなかった。またスウィッチ式も試みられたが、1909年にトンネルが開設されて今日に至っている と。
キッキング ホース川を下ってフィールドの近くにナチュラル ブリッジ(Natural bridge)と言われる観光スポットがあった(写真7)。これも滝の一つである。上流(右奥)からの流れは、ナチュラル ブリッジと言われている岩の割れ目の前で大きな渦を巻いて岩間に入り、そこを流れ下り、下流で濁流となって流れ出る。岩間の上側に向き合って突き出た岩が見えるが、そこは歩いて渡れるようで、ブリッジと呼ばれている。以前には繋がった“橋”であったと思われるが、詳細は不明である。
写真7(ナチュラル ブリッジ)
バンフの街は、1883年カナダ太平洋鉄道の労働者3人がサルファ山(Sulfur Mt.、バンフの南)の麓で温泉を発見したことに始まり、鉄道の開通とともに発展していったようです。1885年に「ロッキー国立公園」(1930年バンフ国立公園に改名)に指定され、また1888年には同山の麓にバンフ スプリング ホテル(Banff Spring Hotel)ができ(写真8)、観光客の誘致にも力を入れてきた。一方、自然保護に力を入れ、自然との共生にかなりの意が注がれていて、1984年UNESCO世界遺産に指定されている。バンフの街の西から南にかけてはボウ川(Bow river)が流れており、街のすぐ南、バンフ スプリングホテルの麓にはボウ滝(Bow Fall)(写真9)が掛かっている。滝周辺は市民の憩いの場でもあり、また観光スポットの一つともなっている。
写真8(バンフ スプリング ホテル)
写真9(ボウ滝)
写真10は、ボウ滝の右岸(上流に向かって左側)の岩肌である。板状の岩が斜めに走り、その端々はシャープなままである。また岩上に生えた木の根も斜めに走り、それらの異様さに注意が引かれた。さほど昔でない時期に、地盤が盛り上がったのち、開裂してボウ川ができた事を思わせる。その左側は、展望台に通ずる登り口となっている。ボウ滝の流れは、水が落ちているというより、岩に砕け、泡立ち、乱流となって水しぶきを上げながら斜面を這い下っているように見える(写真9)。水量が多く、岩は見えないが、滝の流路は写真10に見るようなかなり不規則な岩の斜面になっていることが想像される。
写真10(ボウ滝右岸の岩)
再びマリリン モンロー。モンローの主演映画『帰らざる河、River of No Return』に、マリリン モンロー、ロバートミッチャム(Robert Mitchum)と子供の3人で筏に乗って川を下る場面がある。その一場面で筏が滝を下るが、それはまさにこのボウ滝であった。映画では水嵩は写真9よりも増しており、荒れ狂うように流れる乱流であった。その滝半ばで、筏が真横になって乱流に巻き込まれながら見え隠れする、息を飲む場面があった。同映画は、1954年作であるから、『ナイアガラ、Niagara』の一年後である。『ナイアガラ』では、モンローはあどけなさが残る、かわゆい顔立ちであったが、『帰らざる河』では大人びた女性になっていた。
[蛇足] 筆者は、バンフには1980年前後に、ある国際会合に出席するために一度3、4日間ほど滞在したことがある。確か会合は、バンフ スプリング ホテルのコンベンション センターであったと思う。日中は終日缶詰の会合があって、街並みを含め、当時の記憶はほとんどない。唯一、同会合のソシャル プログラムの一つにボートでの川下りがあって、ボートの上から仰ぎ見たロッキーの山々の記憶だけが鮮明に、総天然色で残っている。今思うに、ボウ川の川下りであったか と回想している。当時撮った8mm映像はあるのだが、残念ながら今日上映できないでいる。(つづく)