唐の創建者の一人李世民(第二代皇帝、太宗;598~649)の建国初期の頃の詩を詠みます。
まず、唐建国の頃の中原の状況、李世民の唐建国までの凡その流れを見ておきます。
李世民は、李淵(第一代皇帝 高宗;在位618~626)の次男で、長男に建成、弟に元吉がいた。兄弟の中で李世民は武術、特に騎兵術に勝れていたようである。
前代の隋の高祖楊堅(在位:581~604)は、西晋の滅亡後分裂していた中国をほぼ300年ぶりに統一した。しかし第二代皇帝煬帝(在位:604~618)は、失政を布き、再び国に混乱をもたらした。すなわち、中原では群雄が割拠し、また北方では突厥等の侵略が絶えなかった。
李淵は、煬帝と縁の繋がりのある家系の人であるが、世が乱れる中、太原で挙兵します(617)。この時、李世民19歳。李世民は、父に従い長安を目指して進軍します。翌年、李淵軍は長安を平定して、煬帝の孫・楊侑(ヨウユウ、13歳)を擁立して唐を建国します。
その年、兄の李建成は立太子して、皇太子となり、李世民は秦王となります。621年、武勲が華々しかった李世民は、さらに“天策上将”の特別称号を授けられますが、対皇太子関係は微妙になってきたようです。
626年、李世民の精鋭が、玄武門に待ち伏せして、参内する建成および元吉を殺害します。いわゆる、“玄武門の変”です。この歴史的な変の表事情や裏事情は、いろいろと歴史書に語られています。
詳細は省きます。一言、先に取り上げた魏徴について触れておきます。魏徴は、李建成派の参謀長とも言える人で、建成に対して「皇太子の地位を保ちたいなら李世民を殺す必要あり」と進言した と。
“変”の後、李世民は、魏徴を呼び、「汝は我が兄弟を離反させた、何事か!」と叱責した。対して魏徴は、「皇太子がもし自分の言に従っていれば、今回の禍が起こることはなかった」と、大胆不敵に直言した と。
魏徴は、死を覚悟の発言であったろうが、李世民は、“正しいと信ずることを述べる人物”としてその才を認め側近に置いた。以後、政治の舵取り役として“諫言大夫”と称されるほどに重用されていったことは、先(閑話休題39)に触れた通りです。
この年、李世民は帝位を譲位されて、第二代皇帝として即位します。翌年、“貞観(ジョウガン)”と改元され、以後、統一国家の建設に全力が投入されていきます(“貞観の治”)。すなわち、内政の充実、北方・西方異民族の平定など、以後200数十年続く唐の土台を築き、中国史上有数の名君の一人とされています。
世が進み、平穏になるにつれて、いろいろと逸話が語られることも世の常と言えましょうか。李世民について、“北方に天子が現れる”と語る短編伝奇小説『虬髯客伝』は先に触れました(閑話休題39参照)。
また、李世民が4歳のころ、さる御仁が李淵を訪ねた折、幼少の李世民を見て、「龍や鳳凰の姿をしている、成人後は人民の苦難を救い、安心させることだろう(済世安民)」と言ったという。それで李世民と名付けた と。
この李世民も、後継者の選定には失敗したようで、続いて、一代限りながら、“武則天”の武周朝を挟んで、唐は続いていくことになります。
さて、ここで取り上げる李世民の詩は、何時の作品かは定かではありません。恐らく、対外的な戦争及び政争を含めて、戦に明け、戦に暮れた時を経て、世の平穏が見えた初期の頃の作と想像しています。
世の移ろいを、春から初夏に向けての季節の移ろいに擬しているのではないでしょうか。20数句の長い詩です。中間部は省略して示しました。“詩を題する”と結ぶ最終句には、この詩を読む側も安堵感を覚えます。
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初夏 李世民
<原文と読み下し文>
一朝春夏改、 一朝(イッチョウ) 春夏 改まり,
隔夜鳥花遷。 隔夜(カクヤ) 鳥花(チョウカ)遷(ウツ)ろう。
陰陽深浅葉, 陰陽 深浅(タンセン)の葉,
暁夕重軽煙。 暁夕(ギョウセキ) 重軽(チョウケイ)の煙。
…中略…
玉簪微醒酔夢, 玉の簪(カンザシ) 微(カス)かに酔夢(スイム)を醒(サ)まし,
開却両三枝。 開却(カイキャク)す 両三の枝。
初睡起,暁鶯啼。 初めて睡(ネムリ)から起きれば,暁(アカツキ)に鶯啼(ナ)く。
倦弹棋。 棋(キ)を弹(ダン)ずるに倦(ウ)む。
芭蕉新綻,徙湖山, 芭蕉 新たに綻(ホコロ)び,湖山 徙(ウツ)ろい,
彩筆题詩。 彩筆(サイヒツ) 詩を题す。
[註]
隔夜:一夜を越す、宵越し
玉簪:玉のかんざし、ユリ科の植物。夏から秋に白色で香りのある花をつける。花は夕方開き、朝閉じる。
彩筆:絵筆
题詩:詩を作って書き記す
<現代語訳>
いったん春が過ぎて初夏を迎えると、宵越しに小鳥や花も移り変わっていく。
日差しの加減で葉の緑も濃くあるいは浅く、朝夕立つ炊煙も様々にあがる。
…中略…
玉のかんざしはかすかに眠りから覚めて、何本か枝を伸ばしている。
目が覚めて、起きだすと、暁に鶯の鳴き声が聞こえる。
飽きるほどに囲碁も打ってきた。
芭蕉の葉は裂けたばかりで、山や湖も移り変わっていく、
筆を執って詩を作り書き留めることにする。
まず、唐建国の頃の中原の状況、李世民の唐建国までの凡その流れを見ておきます。
李世民は、李淵(第一代皇帝 高宗;在位618~626)の次男で、長男に建成、弟に元吉がいた。兄弟の中で李世民は武術、特に騎兵術に勝れていたようである。
前代の隋の高祖楊堅(在位:581~604)は、西晋の滅亡後分裂していた中国をほぼ300年ぶりに統一した。しかし第二代皇帝煬帝(在位:604~618)は、失政を布き、再び国に混乱をもたらした。すなわち、中原では群雄が割拠し、また北方では突厥等の侵略が絶えなかった。
李淵は、煬帝と縁の繋がりのある家系の人であるが、世が乱れる中、太原で挙兵します(617)。この時、李世民19歳。李世民は、父に従い長安を目指して進軍します。翌年、李淵軍は長安を平定して、煬帝の孫・楊侑(ヨウユウ、13歳)を擁立して唐を建国します。
その年、兄の李建成は立太子して、皇太子となり、李世民は秦王となります。621年、武勲が華々しかった李世民は、さらに“天策上将”の特別称号を授けられますが、対皇太子関係は微妙になってきたようです。
626年、李世民の精鋭が、玄武門に待ち伏せして、参内する建成および元吉を殺害します。いわゆる、“玄武門の変”です。この歴史的な変の表事情や裏事情は、いろいろと歴史書に語られています。
詳細は省きます。一言、先に取り上げた魏徴について触れておきます。魏徴は、李建成派の参謀長とも言える人で、建成に対して「皇太子の地位を保ちたいなら李世民を殺す必要あり」と進言した と。
“変”の後、李世民は、魏徴を呼び、「汝は我が兄弟を離反させた、何事か!」と叱責した。対して魏徴は、「皇太子がもし自分の言に従っていれば、今回の禍が起こることはなかった」と、大胆不敵に直言した と。
魏徴は、死を覚悟の発言であったろうが、李世民は、“正しいと信ずることを述べる人物”としてその才を認め側近に置いた。以後、政治の舵取り役として“諫言大夫”と称されるほどに重用されていったことは、先(閑話休題39)に触れた通りです。
この年、李世民は帝位を譲位されて、第二代皇帝として即位します。翌年、“貞観(ジョウガン)”と改元され、以後、統一国家の建設に全力が投入されていきます(“貞観の治”)。すなわち、内政の充実、北方・西方異民族の平定など、以後200数十年続く唐の土台を築き、中国史上有数の名君の一人とされています。
世が進み、平穏になるにつれて、いろいろと逸話が語られることも世の常と言えましょうか。李世民について、“北方に天子が現れる”と語る短編伝奇小説『虬髯客伝』は先に触れました(閑話休題39参照)。
また、李世民が4歳のころ、さる御仁が李淵を訪ねた折、幼少の李世民を見て、「龍や鳳凰の姿をしている、成人後は人民の苦難を救い、安心させることだろう(済世安民)」と言ったという。それで李世民と名付けた と。
この李世民も、後継者の選定には失敗したようで、続いて、一代限りながら、“武則天”の武周朝を挟んで、唐は続いていくことになります。
さて、ここで取り上げる李世民の詩は、何時の作品かは定かではありません。恐らく、対外的な戦争及び政争を含めて、戦に明け、戦に暮れた時を経て、世の平穏が見えた初期の頃の作と想像しています。
世の移ろいを、春から初夏に向けての季節の移ろいに擬しているのではないでしょうか。20数句の長い詩です。中間部は省略して示しました。“詩を題する”と結ぶ最終句には、この詩を読む側も安堵感を覚えます。
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初夏 李世民
<原文と読み下し文>
一朝春夏改、 一朝(イッチョウ) 春夏 改まり,
隔夜鳥花遷。 隔夜(カクヤ) 鳥花(チョウカ)遷(ウツ)ろう。
陰陽深浅葉, 陰陽 深浅(タンセン)の葉,
暁夕重軽煙。 暁夕(ギョウセキ) 重軽(チョウケイ)の煙。
…中略…
玉簪微醒酔夢, 玉の簪(カンザシ) 微(カス)かに酔夢(スイム)を醒(サ)まし,
開却両三枝。 開却(カイキャク)す 両三の枝。
初睡起,暁鶯啼。 初めて睡(ネムリ)から起きれば,暁(アカツキ)に鶯啼(ナ)く。
倦弹棋。 棋(キ)を弹(ダン)ずるに倦(ウ)む。
芭蕉新綻,徙湖山, 芭蕉 新たに綻(ホコロ)び,湖山 徙(ウツ)ろい,
彩筆题詩。 彩筆(サイヒツ) 詩を题す。
[註]
隔夜:一夜を越す、宵越し
玉簪:玉のかんざし、ユリ科の植物。夏から秋に白色で香りのある花をつける。花は夕方開き、朝閉じる。
彩筆:絵筆
题詩:詩を作って書き記す
<現代語訳>
いったん春が過ぎて初夏を迎えると、宵越しに小鳥や花も移り変わっていく。
日差しの加減で葉の緑も濃くあるいは浅く、朝夕立つ炊煙も様々にあがる。
…中略…
玉のかんざしはかすかに眠りから覚めて、何本か枝を伸ばしている。
目が覚めて、起きだすと、暁に鶯の鳴き声が聞こえる。
飽きるほどに囲碁も打ってきた。
芭蕉の葉は裂けたばかりで、山や湖も移り変わっていく、
筆を執って詩を作り書き留めることにする。