愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題425 実朝 金塊集-6

2024-09-01 13:50:30 | 漢詩を読む

《貞享3》 (貞享本  雑・676)  (『続古今集』 賀・1902)

 [詞書] 慶賀の歌の中に

宮柱ふとしき立てて万代に今ぞさかえむ鎌倉のさと 

 (大意) 鶴岡の宮に厳めしく立派な宮柱を立てて神をお守りし 今から長い年月にわたってこの鎌倉の里は栄え続けてゆくことだろう。   

<漢詩> 

  賀神殿     神殿を賀す      [去声十七霰韻] 

峨峨搭立柱, 峨峨(ガガ)たり 立柱の搭(クミタテ),

肅肅聳神殿。 肅肅(シュクシュク)と聳(ソビエ)る神殿。

万代必昌盛, 万代 必(カナラ)ずや昌盛(ショウセイ)せん,

鎌倉餘統甸。 鎌倉 餘(ヨ)の統(ス)べる甸(テン)。

<簡体字表記> 

 贺神殿     

峨峨搭立柱, 肃肃耸神殿。 

万代必昌盛, 镰仓余统甸。

現代語訳>

 <神殿を慶賀する> 高々と組み立てられた宮柱、厳粛な佇まいで聳える神殿。これから百世に亘って栄えることであろう、私の統べるこの鎌倉の都。

[注記] 焼失後再建なった鶴岡八幡宮を言祝ぐ歌。

 

 

《番外》 (吾妻鑑・建保七年正月廿七日)

 [詞書] 庭の梅をご覧じて禁忌の歌を詠み給う 

い出て去なば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな  

 (大意) 私が出て行ってしまったら ここは主のいない家となろう。例えそうなったとしても 軒端の梅よ 春をわすれることなく 花を咲かせてくれ。 

<漢詩> 

臨終歌    辞世の歌     [去声二十三漾韻]       

任他余出去, 任他(ママヨ) 余が出て去りなば,

唯有寂空帳。 唯 寂(サビシ)き空帳有るのみ。

雖然前梅也, 然(シカ)りと雖(イエド)も 房前にある梅(ウメ)也(ヨ),

春春開別忘。 春春(シュンジュン)、開花を 忘れないでくれ。

<簡体字表記> 

 临终歌   

任他余出去, 唯有寂空帐。

虽然前梅也, 春春开别忘。

現代語訳>

 <辞世の歌> ままよ私が此処を出ていって、世を去ったなら、ただ此処は主無しの寂しい帳の内となってしまおう。たとえそうだとしても 軒先の梅よ、巡りくる春には忘れることなく 花を咲かせておくれ。

[注記] 建保七(1219)年1月27日、源実朝は、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に親拝の行事を終え、その帰路、宮前の石段で甥の公暁により殺害された。『吾妻鑑』に記録された歌である。

 

 

II部 歌人・源実朝の誕生 

母・政子は、実朝の教育には特に意を注ぎ、侍読(ジドク/ジトウ)として相模権守源仲章(ナカアキラ)を起用して学問を学ばせた。一方、実朝に和歌を学ばせるために、歌人・源光行(1163~1244)を師に当てた。

実朝は、1203年(12歳)、征夷大将軍の宣旨を受け、右兵衛佐に叙任される。続いて御所に荘厳房行勇を招き、法華経の講義を受け、 “法華八講”に参加している。翌年には、御所で真智房法橋を導師として、“般若心経”を読み、講義を聞く心経会(シンギョウエ)に臨んだ。1204年には源仲章(ナカアキラ)の指導で、“御読書始め”が行われた。

 

第1 章 実朝の歌人としての天分・DNA、

遠い先祖は、第56代清和天皇(850~880)に繫がり、その第6貞純親王の長子が臣籍降下して“源”姓を賜り、源経基(ツネモト)を名乗る。その末裔・源義朝(1123~1160)は、平治の乱(1160)で、後白河法皇側に与して敗戦、東に逃れる途中、尾張で殺害される。

義朝正室の長子・頼朝は、北条氏の支配領域である伊豆(蛭ケ小島?)に配流の身となる。14歳時である。この地方の霊山・箱根権現や走湯権現に帰依して、亡父・義朝や源氏一門を弔いながら、一地方武士として過ごしていきます。流刑中、伊豆の豪族・北条時政の長女・政子と結婚(1175頃?)。

一方、頼朝は、以仁王(モチヒトオウ)による平氏打倒の令旨を受けて挙兵するが、“石橋山の戦い”で敗北、安房国に逃れる(1180.08.29)。安房、上総、下総を平定して、父・義朝の住んでいた鎌倉に入る(同年10.07)。以後、同地は幕府の本拠地として発展することとなる。

頼朝は、和歌の才にも優れ、『新古今集』に2首入集している。頼朝は、1190年の上洛に際し、慈円と親しく面談する機会があり、慈円との間で交わされた贈答歌が、同集に慈円の歌とともに撰されている。

実朝は、父の歌が『新古今集』に載っていることを知り、同集の入手を強く求めて、完成を祝う“竟宴”以前に同集を入手している。父からDNAを継ぐとともに、強い刺激を受けたはずである。

 

第2 章 教育環境、和歌の師と協力者 

  • 1 源光行 と 教材

  実朝の“和歌の師” “源光行”は藤原俊成に師事しており、『新古今集』に一首撰されている。その出自は、頼朝および光行ともに清和源氏の末裔であり、頼朝は経基嫡男・満政の、一方、光行は次男・満仲の流れである。

源平合戦において、光行の父・光季は平家方にあったため、敗戦後、光行は、鎌倉に下向して、頼朝に、父および叔父の謝罪と助命を願った。その折に、光行は、その才能を頼朝に認められて、鎌倉幕府の政所の初代別当となり、朝廷と幕府との間を往復するようになる。

文学者としての光行は、子・親行とともに後世に貴重な業績を残している。すなわち、『源氏物語』の写本『河内本』およびその注釈書『水原抄』の著述として知られる。“万”とあった『源氏物語』の古写本を精査、統一本・『河内本』、さらに、その注釈書『水原抄』の著述に参画している。

  • 教材・『蒙求和歌』および『百詠和歌』

光行は、1204年、北条政子の指示に従い、教本『蒙求和歌』、『百詠和歌』および『新楽府和歌』の3部作を用意した。残念ながら『新楽府和歌』は、今日、散逸して現存しない。1204(元久元)年7月、『蒙求和歌』を書き終えると、直ちに『百詠和歌』の著作に取り掛かり、同年10月、3ケ月で完了している。

○『蒙求』および『蒙求和歌』とは? 

『蒙求和歌』の基になる『蒙求』 (参考11)は、中国・唐代に、李瀚(リカン)によって著された幼童用の教科書である。中国・上代から南北朝までの有名人の事跡や逸話を子供に解りよいように簡単に紹介し、人名と事跡を詠み込んだ4字句・一句にまとめ、総数596句からなっている。平安時代に日本に伝わり、以後広く利用されたようである。

『蒙求和歌』とは、『蒙求』596句から半数少々の251句を選び、各句の内容を「説話文」として邦語で紹介したのち、その内容と何らかの関連が示唆されるような和歌を作り、添えた書物である。

○『李嶠百二十詠』および『百詠和歌』とは? 

  初唐に李嶠(リ キョウ、645~714)が、『蒙求』と並ぶ幼学書のひとつとして著した『李嶠百二十詠』があり、過去の「著述書の故事」を対象として、五言律詩 百二十首に纏めた書籍である(参考12)。やはり平安時代に日本に伝えられている。 

『李嶠百二十詠』から選ばれた律詩百首について、一首から2句を選び、対応した和歌を一首、合計百首の和歌が収められている。

『百詠和歌』の構成は、各々の“漢詩句”に続いて、簡単な故事などを含む“説明文”、その後に“和歌”が置かれている。

  • 2 藤原定家との出会い

  藤原定家(1162~1239)は、歌人・実朝の総仕上げの師と言えよう。定家は、『新勅撰和歌集』(1235年)に実朝の歌を25首採録している。以下、実朝と定家(または京都)との繋がりについて、『吾妻鏡』から点描します。

  1205(元久二)年(実朝14歳)、在京の実朝近臣・内藤知親が、京都から成ったばかりの『新古今和歌集』を届けている(9月2日)。なお、知親は、定家の門弟でもあり、以後実朝-定家間の連絡の役目を果たしている。

1209(承元三)年(18歳)、知親を使者として、これまでに詠んだ歌30首を定家に届けた(7月5日)。その折、実朝は、定家に歌に関する疑問点を何点か提示し、教えを乞うた模様である。同年8月13日、知親が京都から帰参。その折、実朝の歌に対する評価と詩歌の口伝書一巻を持ち帰った。この口伝書は、今日『近代秀歌』として知られている。

1213(建歴三)年(22歳)、定家は、飛鳥井雅経を介して和歌の書物などを献上(8月17日)、また、やはり雅経を介して、相伝の私本『万葉集』を献上した(11月23日)。これに対して実朝は、「何物にも優る重宝である」と喜ばれた。

同年8月17日、定家から雅経を介して「和歌文書」が届けられているが、その内容は不明である。この頃までに定家に届けられた歌が纏められて、奥書に「建暦三年十二月十八日」とある『金槐和歌集』が編纂されている。  

○『近代秀歌』について 

  実朝から「歌はどのように詠んだらいいものか」と問われて、定家が実朝に贈った歌論書・『近代秀歌』、その構成は、[歌論]、[秀歌例(八大集撰抄)] 83首および[秀歌例(近代六歌仙)] 26首からなる。

同書中、実朝の歌を理解する上で重要と思える、「作歌の原理と方法」の一部について紹介します。

  [『歌に用いる詞は古典的歌語を尊重し、表現内容は未だ詠まれていない世界をとらえようとし、卓越した理想的表現を求めて、宇多朝以前の歌風を学ぼうとするならば、自然と秀歌が生まれると言うこともないわけではありません。

古典語を理想とするということから、古歌の歌詞をそのままに新しい歌の中に詠みこんで定着せしめる表現方法を、即ち「本歌とする」と申します。………』] (参考1から抜粋)。

先に、源光行による『蒙求和歌』・『百詠和歌』等を参考にした「句題和歌」等の技法、さらに定家の『近代秀歌』にみる「本歌取り」の技法が伝授され、歌人・実朝の歌風確立が多いに促されたものと推察されます。

  • 3 後鳥羽上皇との関係 

師弟関係、あるいは歌仲間という関係で捉えることはできず、また直接的な交流もあり得ないながら、“非常に密な関係”にあった。すなわち、1203年、京都・朝廷は、千幡(実朝の幼名)を従五位下・征夷大将軍に任じ、後鳥羽上皇の命名により、“実朝”と称するようになった。

実朝は、1204年12月、後鳥羽上皇の寵臣・坊門信清の娘、また上皇の従妹でもある西八条禅尼を正室(御台所)に迎えている。斯様に一見関係は深そうに見えるが、これらは、政治的な一表現であり、和歌とは直接に関係はない。

唯、実朝は、後鳥羽上皇に対して非常な尊敬の念を抱いており、また和歌に関しても大きな影響を受けたことが伺い知れるようである。

斎藤茂吉は、諸“歌集”や京都から寄せられた歌合(ウタアワセ)の記録等の“歌書”を対象にして、後鳥羽上皇の歌を本歌とした実朝の“本歌取り”の歌を調査している。

茂吉は、『……御製歌に実朝が接触し、当代の歌人にましました後鳥羽院の御作歌態度を実朝が尊仰し奉ったと看做(ミナ)すことは敢えて不条理ではなかろうと思うのである』としている(参考10)。

後鳥羽上皇および実朝の歌について、小島は、次のように総括している、抜粋して紹介します(参考7)。 

[『後鳥羽院および実朝の歌の風格には類似があるとされる。第一:何らの屈託もなく他人の歌を模倣すること、第二:引き締まった長高の趣きを有し、一種の気品のようなものが漂っていること。』

『この両者の類似は、恐らくは両者の風格の類似であろうと思う。……風雅の道に遊ぶ数寄の精神の保持者である非職業歌人的性格が後鳥羽上皇にも実朝にもあり、そして、両者相似た境遇が自ずから王者的気品をもたらし、それが、両者の作歌態度や作風に類似あらしめた一番大きな理由であろうと思うのである』]

 

第3 章 後世、“歌人・源実朝像”の構築 

○『金槐和歌集』について

『金槐和歌集』の編纂時期や成立過程等々、明らかでない。その名称について、佐々木信綱(1872~1963)の説によれば、“金”は、鎌倉の“鎌”の字の偏、“槐”は、唐名で“大臣”の意の“槐門”に由来する と。“金塊”とは、直訳するなら「鎌倉右大臣」である。

『金槐和歌集』には、大きく『定家所伝本』(所載歌数:663首)と『貞享(ジョウキョウ)四年板本』(所載歌数:716首)の2系統がある。両本は、それぞれ、『定家本』および『貞享本』または『柳営亜槐本』とも呼ばれる。両本は、その構成・部立て等、違いがある。

『定家本』は、昭和4(1930)年5月、佐々木信綱により発見され、その奥書に「建歴三(1213)年十二月十八日」とある書である。実朝(22歳)が、それまでに作られた歌を定家に届けた時期に合致する。

しかし今日見るような形の整理・編集が、実朝によってなされていたのか、あるいは定家によりなされたのか定かではない。また『貞享本』は、刊行した人が異なる2種知られているが、内容は同じのようである。その奥書から “柳営亜槐なる人”が編纂に関係している。

“柳営”とは唐名で“将軍”、“亜槐”とは“権大納言”の意で、“柳営亜槐なる人”とは、第4代将軍・藤原頼経(1218~1256、将軍位1226~1244)であろうとされている。したがって同本は、実朝の没後に編纂されたことは確かである。

  • 賀茂真淵 

実朝の歌に画期的な評価を与え、実朝を世に知らしめたのは、江戸時代中期の国学者、歌人・賀茂真淵(1697~1769)であろう。真淵は、『歌意考』、『万葉考』、『国意考』等の著書、さらに『鎌倉右大臣集』(貞享本)の校訂書を著している。

賀茂真淵は、『金槐集』に触れる機会もあって、実朝の歌に万葉調の歌を見出し、驚き絶賛している風である。[実朝の歌こそ「奥山の谷間から岩を蹴散らして出てきて大空を翔(カケ)る龍の如く勢いがあり、野原の草木を靡かせ、雲や霧を吹き払う風の如く一途で、雄々しく且つ雅な古の姿を取り戻している」](参考9)と、実朝の歌を絶賛している。

  • 正岡子規

次いで実朝の歌を絶賛したのは、明治時代の正岡子規(1867~1902)である。子規の実朝に対するその称揚振りは並みではない。余人の解説では到底伝えることは叶わない。以下に、彼の著書 (参考8)の抜粋を挙げて、解説に替えます。

「……、実朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最後を遂げられ誠に残念致し候。」 と書き始める。

「実朝は、……とにかくに第一流の歌人と存(ゾンジ)候。強(アナガ)ち人丸(ヒトマロ)・赤人(アカヒト)の余唾(ヨダ)を舐(ネブ)るでもなく、固(モト)より貫之(ツラユキ)・定家(テイカ)の糟粕(ソウハク)をしゃぶるでもなく、自己の本領屹然(キツゼン)として山岳(サンガク)と高きを争ひ日月と光を競ふ処、実に畏(オソ)るべく尊むべく、覚えず膝を屈するの思ひ有之(コレアリ)候。」 と続き、実朝を高く評価しています。

古今調、新古今調が世を支配していた近世の当時にあって、奇しくも万葉調の歌をも詠んでいた実朝の存在には強い衝撃を受け、万葉調の歌風を重んじ、和歌改革への情熱を漲らせていた子規の意気が感じられる一書である。

  • 斎藤茂吉 

先人たちの評価を基に、実朝は、稀に見る万葉調の歌人であると注目される所となり、その歌風は、『万葉集』を味読することによって習得されたものであろうと、解されていた。

斎藤茂吉は、『万葉集』そのものではなく、勅撰集の歌を通じて『万葉集』の作者に接触し、それらの万葉歌人の歌の影響を受けた可能性である(論 参考10)。実朝は、“本歌取り”による作歌例が多い。そこで実朝の“本歌取り”の歌とそれら “本歌”を逐一調べた。

その結果、直接『万葉集』に頼ることなく、他の歌集に散見される万葉歌人の理解を通して万葉調の歌を詠まれていたことも十分に有り得ることが明らかにされたのである。併せて、これらの歌が、22歳までの作と言うことで、歌人・実朝の力量は並みでないことを改めて証明された としている。

 

「歌人・源実朝の誕生」まとめ

“歌人・源実朝の誕生”を概観してきた。実朝の歌について、世の注目を惹くようになったのは、先ず賀茂真淵に遡り、実朝の万葉調の歌に感動されたことに始まり、また正岡子規がさらにそれを強調されたことによる。

但し、「実朝は、万葉歌人である」ということを意味するわけではない。事実、『金槐集』中、むしろ古今調、新古今調の歌も多く、それらが大半を占めているようである。言わば、実朝は、“all-round player”なのである。

 

あとがき 

  『金槐和歌集』700余首中、100首について漢詩訳を試みた。同集のページをめくり、順不同、興の赴くまゝに選択して翻訳を進めたのであるが、「雑部」の歌が最も多く選ばれていた。同分類に含まれる歌数が多いこともさりながら、振り返ってみると、庶民の生活を含めて社会性を帯びた歌が多く、注意を惹いたこともある。

 『金槐和歌集』を通読して、まず驚いたことは、先達が指摘されているように、“言の葉”が、“迸り出て”、自然と“こころ、思い”が歌になっているという印象を強く受けたことである。その“こころ、思い”は、幅広く、老若男女、あらゆる階層の“人”の胸の内にあるものを代弁した内容であると言える。

 今一点。実朝の作歌の特徴として、“本歌取り”の技法を駆使している点が挙げられている。実朝が、“本歌”とした歌は、『万葉集』や勅撰集に限らず、歌合せの歌集や私歌集に及び、広範囲に亘っていることも驚きの一つである。

  実朝は、12歳で第3代征夷大将軍に着任、28歳の若さで身内の者の暗殺に逢うという数奇な運命を辿っている。短い生涯ながら700余首の歌を遺しており、うち100首漢詩化できたのを機に、“歌人・源実朝の誕生”物語をも併せて、ここに纏めることとした。

  和歌は、5.7.5.7.7、31文字で語られる極短編物語で、古語で技巧を凝らして語られている故に日本人にとっても難解な面があるが、外国の方々にとっては、一層難解な文芸であろう。本書が、邦人のみならず、漢字圏の方々にとっても、和歌に興味を持ってもらう一助になればと願いを胸に秘めつゝ、筆を置きます。

 

 

 

 

 

 

 

参考図書 

  1. 藤平春雄校注訳『近代秀歌』、日本古典文学全集、『歌論集』 小学館、1980
  2. 白雪梅『詩境悠游』新風書房 2011
  3. 平田 稔『こころの詩(ウタ) 漢詩で読む百人一首』、文芸者、2022 
  4. 石川忠久監修:『NHK新漢詩紀行ガイド』、日本放送出版協会、2010
  5. 石川忠久『漢詩をよむ 蘇東坡』日本放送出版協会 1990 
  6. 賀茂真淵『歌意考』新編日本文学全集87
  7. 小島吉男校注『山家集・金槐和歌集』日本古典文学大系29、  岩波書店、1971 
  8. 正岡子規『歌よみに与ふる書』岩波文庫、2020 
  9. 斎藤茂吉校訂:『金槐和歌集』岩波書店、1980 
  10. 斎藤茂吉:『歌論六・源実朝』、斎藤茂吉選集 第十九巻、岩波書店、1982
  11. 剣 『蒙求和歌』、渓水社、2012 
  12. 栃尾武編『百詠和歌 注』汲古書院、1993

 

 

 

 

 

 

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閑話休題424 実朝 金塊集-5

2024-09-01 13:47:49 | 漢詩を読む

雑11 (定家 雑・607) 

 (詞書) 慈悲の心を

物いわぬ四方(ヨモ)の獣(ケダモノ)すらだにもあわれなるかなや親の子を思ふ 

 (大意) 話せない、何処にでもいる、どんな獣でさえ、親は子を大切に思っているのだ。何とも胸に響くことだな。 

<漢詩> 

母慈子心      子を慈む母心    [上声六語韻]     

四方獣類呀, 四方(ヨモ)の獣類(ジュウルイ)呀(ヤ),

根本無話語。 根本 話語(ワゴ)無し。

甚至它類也,甚至(ハナハダシキハ) 它(カ)の類(タグイ)也(サエ),

一何深情緒。一(イツ)に何ぞ深き情緒(ジョウショ)ならん。

君不見母慈子,君見ずや 母(オヤ)の子を慈しむを,

令人促省処。人を令(シ)て省(セイ)を促す処(トコロ)にやあらん。

<簡体字表記> 

 母慈子心    

四方兽类呀, 根本无话语。 

甚至它类也, 一何深情绪。 

君不见母慈子,令人促省处。

現代語訳> 

 <子を思う親心> 身の廻りのどこにでもいる獣を見てみよ、元々話すことなどできぬのだ。その獣類でさえ何と深くしみじみと心に響くことをしていることか。君も見たことがあろう 親獣が子獣を慈しんでいる情景を、人をして自省させずにはおかない。

[注記] 獣を主題とする珍しい歌。杜甫・「貧交行」(参考4)の表現を借りて字余りの句となし、強く訴えるよう試みた。6句の変則詩である。

 

雑12 (定家 雑・608) 

 [詞書] 道のほとりに幼きわらはの母を尋ねていたく泣くを、その辺りの人に尋ねしかば、父母なむ身まかりしにと答え侍りしを聞きて 

いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の 母をたづぬる 

 (大意) かわいそうでたまらない、見ていると涙が止まることなく溢れてしまう。父母の亡くなった幼い子が母の行方を求めているのだ。

<漢詩>  

 失去双親幼童  双親を失くした幼童     [下平声一先韻] 

路上幼童何可憐,路上の幼童(ヨウドウ) 何と可憐(アワレ)なることか,

不堪看自泣漣漣。看るに堪えず 自ずから泣 漣漣(レンレン)たり。

惟聴父母已亡故,惟だ聴くは 父母 已に亡故(ボウコ)すと,

覓尋母親啼泫然。母親を覓尋(サガシモト)めて 啼くこと泫然たり。

<簡体字表記> 

  失去双亲幼童 

路上幼童何可怜, 不堪看自泣涟涟。

惟听父母已亡故, 觅寻母亲啼泫然。

<現代語訳> 

 <両親を亡くしたわらべ> 路上のわらべ なんと可哀そうなことだ、見るに堪えず 自然と涙が溢れ出て来る。聞くと 両親とも亡くなったとのこと、母親を求めて涙を流して泣いているのだ。

雑13 (定家 雑・614)  

 [詞書] 大乗作中道観歌  

世の中は鑑にうつる影にあれやあるにもあらずなきにもあらず 

 (大意) 世の中は 鏡に映る、実体の無い像のようなものなのであろうか、“有る”のでもなく、かと言って、“無い”のでもない。 

<漢詩>  

 中道観歌    中道観(ガン)の歌     [上平声七虞韻] 

仏説中道途、 仏 中道観の途を説く、

中與仮空殊。 中道観は仮(ケ)観や空観とは殊(コト)なる と。

世是鏡中影、 世は是(コ)れ鏡中の影ならんか、

非有亦非無。 有(アル)にも非(アラ゙)ず 亦(マタ) 無(ナキ)にも非ず。

<簡体字表記> 

 中道观歌  

仏説中道途、中与仮空殊。

世是镜中影、非有亦非無。

現代語訳>

 <中道観の歌> 仏教では、普遍で中正の道、中道観を説く、中道観とは、仮の姿、又すべて存在しない空と異なり 三観の一つ。この世の中は、鏡に映った像であると言えようか、実態があるわけでもなく、かと言って無いわけでもない。

[注記] 「大乗仏教の教えに“三観”あり、“有”にも偏せず、“空”にも偏せぬ中道を観ずるのを“中道観”(一方に偏らない考え方)という。本歌は “中道観”を説いたのである」(参考7)と。

 

 

雑14 (定家 雑・615)  

 [詞書] 罪業を思う歌 

ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄行くへもなしといふもはかなし

 (大意) 炎だけが空一杯に満ちている阿鼻地獄 どうあがいてもその中にしか行きどころがないというのは なんともはかないことだ。

<漢詩> 

   思罪孽   罪孽(ザイゴウ)を思う    [下平声一先韻] 

阿鼻地獄呀, 阿鼻(アビ)地獄 呀(ヤ),

火焰滿天辺。 火焰(カエン) 天辺に滿つ。

除此無所去, 此(ココ)の除(ホカ) 去(ユ)く所無し,

余人何可憐。 餘(ワレ)人は 何と可憐(カレン)なるか。

<簡体字表記> 

   思罪孽   

阿鼻地狱呀, 火焰满天边。

除此无所去, 余人何可怜。

現代語訳> 

 <罪業を思う> 無限地獄とや、炎が虚空に満ちているところ。此処以外に行く所がないという、私はなんと憐れむべき人間か。 

 

 

 

 

雑15 (定家 雑・616) 

 [詞書] 懺悔歌 

塔を組み堂をつくるも人なげき懺悔にまさる功徳やはある 

 (大意) 立派な塔を組み 絢爛たる社を築くのは、人の難儀の元となる、懺悔にまさる功徳があろうか。

<漢詩> 

 懺悔歌  懺悔(ザンゲ)の歌     [下平声七陽韻] 

建嶄嶄塔, 嶄嶄(ザンザン)たる塔を建て, 

築煌煌堂。 煌煌(コウコウ)たる堂を築く。 

此自因麻煩, 此れ自ずから麻煩(メイワク)の因(ヨシ), 

誰知要承当。 誰か知らん 承当(ショウタン)を要するを。 

応知宿心為功德,応(マサ)に知るべし 功德を為(ナ)さんとの宿心,

不比懺悔任何綱。懺悔に比するものなし任何なる綱(オキテ)にせよ。

<簡体字表記> 

 忏悔歌     

建崭崭塔,    筑煌煌堂。      

此自因麻烦,    孰能终承当。

应知宿心行功德,不比忏悔任何綱。

現代語訳> 

 <懺悔の歌> 立派な高塔を建て、 煌びやかな堂を築く。これは 迷惑なことであり、誰かが難儀を背負うことになることを誰が知ろうか。初心の功徳を施そうと思うも、如何なる法も 懺悔に勝るものがあろうか。

[注記] 外形・見栄えよりは、心が大切です と。五言または七言の絶句の形には整えることができず、 古詩とした。

 

 

雑16 (定家 雑・618) 

   [詞書] 心の心をよめる 

神といひ仏といふも世の中の人のこころのほかのものかは  

 (大意) 神仏というものも みな人の心から生まれるものである。

<漢詩

 心霊    心霊     [上声十九皓韻] 

弥想且煩惱, 弥(イヨ)いよ想(オモ)い且(カ)つ煩惱(ナヤ)み,

載神載仏道。 載(スナワ)ち神(カミ) 載ち仏(ホトケ)と人は道(イ)う。

共於人心起, 共に人の心於(ヨ)り起るもの,

真以無所考。 真(マコト)に以(モッ)て 考える所なし。

<簡体字およびピンイン> 

   心灵       

弥想且烦恼, 载神载佛道。

共于人心起, 真以无所考。

現代語訳> 

 <人の心> 世の中 思い悩むことが尽きない、やれ神だ やれ仏だ と人は縋(スガ)りつく。神仏ともに 人の心の働きから生まれるもの、それに尽きる、何も 考えることはないのだ。

[注記] “神・仏に頼ろうとするが、結局は人の心だよ”と。

 

 

雑17 (定家 雑・619) 

   [詞書] 建暦元年七月洪水天を漫(ヒタ)す 土民愁い嘆きせむ事を思ひて一人本尊に向かい奉(タテマツ)りて 聊(イササ)か念を致すと云う

時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王 雨やめたまへ 

 (大意) 恵の雨も降り過ぎれば却って人々の嘆きです 八大龍王よ 雨を降り止めさせよ 

<漢詩

  次韻蘇軾《雨中游天竺霊感観音院》実朝将軍惦念民        

   蘇軾《雨中游天竺霊感観音院》に次韻 実朝将軍民を気遣う 

[下平声七陽韻]

離離稲穂欲金黄、離離(リリ)たり 稲穂 金黄ならんと欲す、

過却害民雨浪浪。過ぎれば却って 民に害(ワザワイ) 雨 浪浪(ロウロウ)。

八大龍王先止降,八大龍王よ 先ず降るを止めよ, 

将軍実朝在礼堂。将軍実朝 礼堂に在り。

<簡体字表記> 

    次韵苏轼《雨中游天竺灵感观音院》 実朝將軍惦念民         

离离稻穗欲金黄、 过却灾民雨浪浪。 

八大龙王先止降、 将军実朝在礼堂。 

現代語訳> 

 <実朝将軍 民を気遣う> 垂れさがるほど実った稲穂は 黄金色に変わろうとしているが、こんなに降雨が続くと、却って民にとって害となる。八大龍王よ 先ず降雨を止めよ と、将軍実朝は、鶴岡八幡宮の仏前で合掌 居住まいを正している。

[注記] 宋代の蘇軾の詩 (参考5)に韻を借りた。漢詩では、蘇軾の元詩に合わせて、実朝が仏前で祈っている情景として描きました。

 

雑18 (定家 雑・621) 

    [歌題] 黒 

うば玉のやみの暗きにあま雲の八重雲がくれ雁ぞ鳴くなり 

 (大意) ぬば玉のような暗闇の中 大空の打ち重なる雲の中に雲隠れして雁が鳴いている。

<漢詩> 

黯黑中雁        黯黑中の雁      [上平声八斉‐上平声四支通韻]

万境漆黑粛粛淒,万境漆黑粛粛(シュクシュク)として淒(セイ)たり,

重雲黮黮夜空垂。重雲(チョウウン)黮黮(タンタン)として 夜空に垂る。 

雲中影雁鳴嫋嫋,雲中 影(カクレ)し雁 鳴くこと嫋嫋たり,

啼断有如多所思。啼断(テイダン)す 思う所多く有るが如(ゴトク)に。

<簡体字表記> 

 黯黑中雁       

万境漆黑肃肃凄, 重云黮黮夜空垂。

云中影雁鸣嫋嫋, 啼断有如多所思。

現代語訳>

 <暗闇の雁> 辺りは真っ暗な夜の闇、ひっそりと物音ひとつない、幾重にも重なりあった真っ黒な八重雲が夜空に垂れこめている。雁が 雲に隠れて姿はみえず かよわく鳴いている、何か思いが多々ありそうに 鳴くことしきりである。

 

雑19 (定家 雑・633)  

 詞書] 山の端に日の入るを見てよみ侍りける 

紅の千入(チシホ)のまふり山の端に日の入るときの空にぞありける 

(大意) 紅に繰り返し染めて深染めされた色、それは日が山の端に沈んだときに見られる夕焼けの空の色であるのだなあ。

<漢詩> 

  美麗紅染衣 美麗な紅染の衣    [下平声六麻韻] 

屢次染紅紗, 屢次(ルジ) 染められし紅(クレナイ)の紗(ウスギヌ),

娟娟彩自誇。 娟娟(ケンケン)として 彩(イロドリ)自(オノズカラ)誇る。

弈弈何所似, 弈弈(エキエキ)たる 何に似たる所ぞ,

正是映晚霞。 正(マサ)に是(コ)れ 夕陽に映える晚霞(バンカ)の色。

<簡体字表記> 

 美丽红染衣   

屡次染红纱, 娟娟彩自誇。

弈弈何所似, 正是映晚霞。

現代語訳>

 <美しい紅染めの衣> 幾度も繰り返し深染めされ、紅に染まる薄絹の色、清らかで美しく映える彩は、自ら誇示するが如くに見える。その美しく輝くさまは、何に譬えられようか、これは正に山の端に日が沈む頃の、真っ赤な夕焼けの空の色なのだ。

 

雑20 (定家 雑・637) 

 [詞書] 民のかまどより煙(ケブリ)の立つを見てよめる 

みちのくにここにやいづく塩釜の浦とはなしにけぶり立つみゆ  (雑・637) 

 (大意) 此処は陸奥の国であろうか、さもなくば何処であろう。塩釜の浦でもないのに 煙の立つのが見える。

<漢詩> 

見民灶煙    民の灶(カマド)の煙を見る      [上平声十灰韻]  

奚是陸奧国, 奚(イズ)くんぞ是(コ)れ 陸奧(ムツ)の国ならんか,

不然何処哉。 不然(シカラズン)ば 何処(イズコ)なる哉(ヤ)。

非復塩釜浦, 復(マ)た塩釜(シオガマ)の浦にも非(アラ)ざるに,

飄搖煙起来。 飄搖(ユラユラ)と煙(ケムリ)起来(タチノボ)る。

<簡体字表記> 

 见民灶烟   

奚是陆奥国, 不然何处哉。

非复盐釜浦, 飘摇烟起来。

現代語訳> 

 <庶民の竈から上がる煙を見る> ここは陸奥の国であろうか、否、さもなければ どこであろうか。また塩を焼く塩釜の浦でもなく、ゆらゆらと煙が上がるのが見える。

[注記] 第16代 仁徳天皇が、難波高津宮(ナニワタカツミヤ)から遠くを見遣って、人々の家から少しも煙が上がっていないことに気づいた。「民貧しくて炊く物がないから」と考え、3年間免税処置を講じた。その結果、煙が見えるようになり、大いに喜ばれた (『古事記』)との逸話に拠る歌。

 

 

雑21 (定家 雑・638) 

 (詞書) 又のとし二所へまいりたりし時 箱根のみず海を見てよみ侍る歌 

玉くしげ箱根のみ湖(ウミ)けゝれあれや二国(フタクニ)かけて中にたゆたふ 

 (大意) 箱根のこの湖は 心を持っているかのようである。相模と駿河の二国の間に横たわって ゆらゆらと波が揺れ動いている。 

<漢詩> 

  箱根湖所感  箱根の湖についての所感     [上平声七虞韻] 

水光瀲灔乎,水光 瀲灔(レンエン)乎(コ)たり, 

玉匣箱根湖。玉匣(ギョクコウ)箱根の湖(ウミ)。 

疑是有情緒,疑うらくは是(コ)れ情緒(ココロ)有るかと, 

動揺相駿紆。相・駿の両国に紆(マトワ)りて、動揺(ユレウゴ)いており。

<簡体字表記> 

 箱根湖所感   

水光潋滟乎,玉匣箱根湖。  

疑是有情緒,动摇相骏纡。

現代語訳>

 <芦ノ湖についての所感湖面の波が揺れてきらきらと輝いており、何とも美しい芦ノ湖だよ。芦ノ湖には 人と同じように “こころ”があるのであろうか、相模・駿河の両国に跨がり ともに思いを寄せて こころが揺れているかに見える。

[注記] 東国方言・「けけれ=心」。

 

雑22 (定家 雑・639)  (続後撰集・羇旅・1312) 

 [詞書] 箱根の山を打ち出でてみれば、波の寄る小島あり。共(トモ)の者、この海の名は知るやと尋ねしかば、伊豆の海となむ申すと答え侍(ハベ)りしを聞きて、箱根に詣づとて  

箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ 

(大意) 伊豆・箱根権現参詣の二所詣での帰路、箱根路を通ってくると 遥か彼方 眼下に伊豆の海が広がっており、沖の小島に波が寄せては砕ける白波が見えるよ。

<漢詩> 

 過箱根路     箱根路を過ぐ     [上声十七篠韻-上声十九皓韻] 

西仰霊峰東天杳,西に霊峰を仰ぎ 東に天(テン)杳(ヨウ)たり,

欲吾越過箱根道。吾れ箱根の道を越過(コ)えんと欲す。

迢迢遼闊伊豆海,迢迢(チョウチョウ)として遼闊(リョウカツ)たり伊豆の海,

只看波寄沖小島。只だ看る 沖の小島に波の寄るを。

<簡体字表記> 

 过箱根路

西仰灵峰东天杳, 欲吾越过箱根道。 

迢迢辽阔伊豆海, 只看波寄冲小岛。

現代語訳> 

 <箱根路を過(ヨ)ぎる> 西に霊峰・富士を仰ぎ見 東に杳杳たる青空を見つつ、今 わたしは箱根路を行き過ぎようとしている。眼下、遥か遠く、茫漠とした伊豆の海に、只 沖の小島に波が寄せるのが見えるだけである。

 

 

雑23 (定家 雑・641) 

 [詞書] あら磯に浪のよるを見てよめる 

大海(オオウミ)の磯もとどろに寄する波 割れて砕けて裂けて散るかも

 (大意) 大海の荒磯に打ち寄せ逆巻く大波、巌にぶつかり割れて 砕けて 裂けて 終には散っていく。

 <漢詩> 

 対巌碰砕波   巌に対し碰砕(ポンサイ)する波         [去声十五翰]

大海洶洶乱,   大海 洶洶(キョウキョウ)として乱れ, 

波涛滾来岸。 波涛 岸に滾来(コンライ)しあり。 

轟轟沖撃巌, 轟轟(ゴウゴウ)たり 波涛 巌に沖撃(チュウゲキ)し,

割砕裂終散。 割れて砕(クダ)けて 裂(サ)けて終(ツイ)には散らんか。

<簡体字表記> 

 对岩碰碎波   

大海汹汹乱, 波涛滚来岸。

轰轰冲击岩, 割碎裂终散。

現代語訳> 

 <巌に砕け散る波> 大海は波が逆巻き大いに乱れ、大波が荒磯の岸に次々と打ち寄せて来る。逆巻く大波は巌にぶつかり 轟轟たる波音を発し、割れて 砕けて 裂けて 終には散っていることよ。

[注記]スクリーン一杯に広がるスロウモーション動画の趣きである。 ”大波のダイナミズムが 実朝の“胸の内に渦巻く何らかの葛藤”の表現であろうか。

 

 

雑24 (定家 雑・643)  (『玉葉集』巻二十・神祇・2794) 

[詞書] 走り湯参詣の時 

伊豆の国や山の南に出(イズ)る湯のはやきは神のしるしなりけり 

 (大意) 伊豆の国の山の南の温泉でお湯の出る勢いは、神の効験が大きく速いのと同様である。 

<漢詩> 

   伊豆走湯    伊豆の走り湯     [下平声十三覃韻] 

駿河伊豆国, 駿河(スルガ)は伊豆の国,

泉水山南湧。 泉水(センスイ) 山南に湧(ワ)く。

迸出奇滾滾, 迸出(ホウシュツ)すること奇(キ)にして滾滾(コンコン)たり,

如神功效重。 神の功效(コウコウ)と重(カサナ)るが如(ゴト)し。

<簡体字表記> 

伊豆走汤      

骏河伊豆国, 泉水山南涌。

迸出奇滚滚, 如神功效重。

現代語訳> 

 <伊豆の走り湯> 駿河の伊豆の国は、山の南に走湯温泉があり、泉水が湧いている。湧き出る勢いは、尋常でなく、尽きることがなく、湧き出る速さは、神の効験の速さに重なるようだ。

[注記] 箱根権現に続いて詣でる伊豆権現、二所詣の一つ。伊豆山には温泉“走り湯”があり、湧き出た湯が、迸(ホトバシ)り、海に流れていく。

 

 

雑25 (定家 雑・660) 

  [歌題] 述懐歌 

君が代に猶ながらえて月きよみ秋のみ空のかげをまたなむ 

 (大意) 君の世になお一層長生きして 月の輝く秋空の下 君のお陰を蒙りつゝよきこの世を送っていきたいものである。

<漢詩> 

   著懐        懐(オモイ)を著(アラワ)す    [上平声四支韻] 

君代福所綏,君が代 福の綏(ヤス)んずる所,

曰余增鬢絲。曰(ココ)に余(ワレ) 鬢絲(ビンシ)を增(マ)さん。

皎皎月秋宙,皎皎(コウコウ)として月が輝く秋の宙(ソラ),

欲活蒙受斯。斯のお陰を蒙受(コウム)り 活きていかんと欲っす。

<簡体字表記> 

   著怀        

君代福所绥,曰余增鬓丝。

皎皎月秋宙,欲活蒙受斯。

現代語訳> 

 <想いを述べる> 君が代は よく治まる、安寧の世、此処にわたしは 鬢の白が更に増すまで生き長らえよう。月が皎皎と清く輝く秋の空、その恩恵を受けつゝよきこの世を送っていきたいものである。

[注記] 貞享本では、この歌は、[賀・1]にあり、“君”・後鳥羽院を尊仰する実朝の想いが最も強く表現された歌。

 

 

雑26 (定家 雑・661) 

  [詞書] 太上天皇御書下預時歌 

おほ君の勅を畏(カシコ)みちゝわくに心はわくとも人にいはめやも 

 (大意) 大君から勅を頂いた、恐れ多いことである。心乱れるほどにいろいろな思いが湧いてきたが、他言はできないことだ。

<漢詩>  

 奉大君勅  大君より勅を奉(ウ)く     [下平声七陽韻]  

粛奉大君勅、粛(ツツシ)みて 大君(オオキミ)の勅(チョク)を奉(ホウ)ずる、

孰当不祗惶。孰(ダレ)か当(マサ)に祗(ツツシ)み惶(オソレ)ざらんか。

参差別念過、参差(シンシ)として別念過(ヨギ)るも、

固覚豈能詳。固(モト)より覚る 豈(ニ)詳らかにし能わんかと。

<簡体字表記> 

 奉大君勅  

粛奉大君勅、孰当不祗惶。

參差別念過、固覚岂能详。

現代語訳> 

 <大君より勅を頂く> 謹んで大君より勅を頂いた、誰が恐れ多く思わないであろうか。心乱れて様々に思いは湧いてくるが、その思いを どうして他人に打ち明けることができようか。

[注記] 『金槐集』・定家本を締めくくる歌の一首。太上天皇から“御書”を頂き、忠誠を誓った歌と言えよう。

 

 

 

雑27 (定家 雑・662) 

 [詞書] 太上天皇御書下預時歌  

ひんがしの国にわがをれば朝日さすはこやの山の影となりにき    

 (大意) 私の身は都から遠く離れた東国にありますが、(吾が心は、)朝日が射してできる藐姑射の山の影のように、常に上皇に付き添っていきます。

<漢詩> 

 藐姑射山影  藐姑射(ハコヤ)の山影     [上平声七虞韻] 

余身在東国, 余(ヨ)が身 東国に在(ア)りて,

渺渺隔長途。 渺渺(ビョウビョウ)として長途を隔(ヘダ)つ。

如旭為山影, 旭(アサヒ)の為(ナ)す山影の如(ゴト)くに,

心常與君俱。 心は常に君(キミ)與(ト)俱(トモニ)す。

<簡体字表記> 

  藐姑射山影

余身在东国, 渺渺隔长途。

如旭为山影, 心常与君俱。

現代語訳> 

 <藐姑射の山影私は東国にあって、都から遥かに遠く離れた所にいる。朝日が射して できる藐姑射の山の山影が、常に山に付き従うように、私の心は いつも君と共にあります。

[注記] 「東の国に」の解釈に諸説あるが、本稿では、「東の国」を “都から遥かに遠く離れた東国にあって”と解釈し、漢訳を進めた。

 

 

雑28 (定家 雑・663) 

 [詞書] 太上天皇の御書 下し預りし時の歌 

山は裂け海は浅(ア)せなむ世なりとも君に二心わがあらめやも 

 (大意) たとえ山が裂け 海が干上がる世となっても 私が 上皇に対して二心を持つようなことなど なんでありましょうか。 

<漢詩> 

   收到上皇親書  上皇親書を收到(オサ)める    [下平声十二侵韻] 

各各天涯賜親信,各各(オノオノ)天涯にありて 親信を賜(タマワ)る,

恢恢皇度潤衣衿。恢恢(カイカイ)たる皇度(コウド) 衣衿を潤す。

縱岳裂開海乾枯,縱(タト)い岳(ヤマ)裂開し 海 乾枯せしも,

尚茲宣誓無二心。なお茲(ココ)に二心の無きを宣誓す。

<簡体字表記> 

 收到上皇亲书   

各各天涯赐亲信,恢恢皇度润衣衿。

纵岳裂开海干枯,尚兹宣誓无二心。

現代語訳>

 <上皇より親書を頂く> 各々遠く離れている中で 上皇から親書を頂いた、広々と包み込む上皇の御心に接し止めどない涙で襟を濡らす。例え山が裂け、海が干上がってしまう事態が起ころうとも、わたしに二心ないことを此処でお誓いするのである。

[注記] 定家本の最後を飾る歌。後鳥羽上皇より“御書”を賜り、強い衝動を覚え、3首続けて詠まれた内のその最後の一首。

 

《貞享版および番外の部》

 

《貞享1》(貞享本  冬・348)

 [詞書] 霰 

もののふの矢並つくろふ籠手(コテ)の上に霰たばしる那須の篠原(シノハラ) 

 (大意) 武将が狩装束に身を包み 矢を整えている。その籠手の上に霰がこぼれ散って音を立てる。ここは武士たちが勇壮に狩りを繰り広げる那須の篠原だ。

<漢詩>  

 霰時圍獵    霰時の圍獵(カコミリョウ)    [去声七遇韻] 

那須篠野武人駐,那須の篠野(シノノ)に武人(ブジン)駐(トド)まりて,

欲打圍獵風葉度。圍獵打(セ)んと欲すれば 風葉(フウヨウ)度(ワタ)る。

各把剪插菔里整,各々剪(ヤ)を把(ト)りて菔(エビラ)に插して整るに,

惟聞霰撞皮護具。惟だ聞く 霰の皮護具(ヒゴグ)に撞(ブツ)かるを。

<簡体字表記> 

霰时围猎   

那须筱野武人驻, 欲打围猎风叶度。

各把剪插菔里整, 惟闻霰撞皮护具。

現代語訳>

 <霰下での巻狩り> 那須の篠原では巻狩りに参加する武士たちが集合し、巻狩りを始める頃 そよと過ぎる風に草木の葉が揺れている。武士たちは各々 矢を箙に入れて巻狩りに備えて矢を整えており、籠手(コテ)にぶつかり飛び散る霰の音が ひときわ響いた。

 

 

《貞享2》 (貞享本   雑・607)  (『続拾遺集』 羇旅・711) 

  [詞書] 素暹(ソセン)法師物へまかり侍けるにつかはしける 

奥津波(オキツナミ)八十島(ヤソシマ)かけてすむ千鳥心ひとつといかがたのまむ 

 (大意) 多くの島々を渡り住む千鳥、心変わりすることがないものと どうして信頼することができましょうか。

<漢詩>  

   贈素暹法師           素暹(ソセン)法師に贈る  [上声十九皓‐上声十七篠通韻]

洋怒涛刷八十島、洋(オキ)の怒涛(アラナミ) 八十(ヤソ)島を刷(アラ)い、

住穩無常海濱鳥。住穩(スミツク)こと常ならぬ海濱鳥(ハマチドリ)。

只恐可能心易変,只だ恐る 心(ココロ)易変(カワリヤス)き可能(ミコミ)あり,

一心信賴不堪擾。一心の信賴 擾(フアン)に堪(タ)えず。 

<簡体字表記> 

赠素暹法师   

洋怒涛刷八十岛, 住稳无常海滨鸟。

只恐可能心易变, 一心信赖不堪扰。

現代語訳> 

 <旅に出る素暹法師に贈る> 沖の荒波に洗われる島々、浜千鳥は一つの島に住み着くことなく、島々に渡り住む。心変わりし易いからではないか 気掛かりで、一途の信頼に不安を覚えるのだ。

 

 

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閑話休題423 実朝 金塊集-4

2024-09-01 13:45:20 | 漢詩を読む

恋6 (定家 恋・464)  (『新勅撰集』恋四・904) 

[詞書] 久しき恋の心を 

我が恋は逢はでふる野の小笹原幾よまでとか霜の置くらむ 

 (大意) 我が恋は、あたかも布留野のささ原に幾節も枯れ残さぬほどに霜が置くようなものだ。すなわち、恋人に逢わずに幾夜も幾夜も過ごして頭髪には霜をおくことであろう。  

<漢詩> 

陷入情網               情網に陷入(オチイル)     [上平声二冬-一東韻] 

我恋有如相不逢,我が恋は 有如(アタカモ) 相逢うこともなく, 

布留霜篠残節窮。布留野(フルノ)で霜に篠の残節窮まるが如きか。 

要求幾世等下去,幾世等(マ)ち続けることを要求(モトメ)るか,

到白髮而遊晚風。白髮となり、而して晚風に遊ぶに到るまでか。

<簡体字表記> 

陷入情网    

我恋有如相不逢,布留霜筱残节穷。 

要求几世等下去,到白发而游晚風。 

現代語訳>

 <恋焦がれる想い我が恋は、恰も相い逢うこと叶わず、布留野で降りた霜に篠の幾節もが枯れて消えていくようなものだ。一体 幾世待ち続けなければならないというのか、白髪となり歳月を重ね、よろめくようになるまでか。

 

 

 

恋7 (定家 恋・465) 

 [詞書] 故郷の恋 

草深みさしも荒れたる宿なるを露を形見に尋ね来しかな 

 (大意) 雑草が生い茂り、荒れた宿ではあるが、草の上に降りた露を想い出の縁として 尋ねてきたよ。 

<漢詩> 

  故園情       故園の情     [上平声十三元]

蕭條蔓草園, 蕭條(ショウジョウ)たり 蔓草(マンソウ)の園,

寂寂有幽軒。 寂寂(セキセキ)として 幽軒(ヨウケン)有り。

草露為憑借, 草露(ソウロ)を憑借(ヒョウシャク)と為(ナ)し,

又尋情自存。 又 尋(タズ)ぬ 情(オモイ)自(オノ)ずから存す。

<簡体字表記> 

  故园情     

萧条蔓草园, 寂寂有幽轩。

草露为凭借, 又寻情自存。

現代語訳>

 <故郷への想い> 雑草の生い茂った荒れた庭、もの寂しく、人気のない部屋。草に降りた露を思い出の“よすが”として、想いを胸に、又心の故郷に尋ねてきたよ。

 

 

 

 

恋8 (定家 恋・489) 

 [詞書] 雪中待人  

けふもまたひとりながめて暮れにけりたのめぬ宿の庭の白雪 

 (大意) 来ると言う約束をしている人はいないが、万一にも誰かきてくれないかと心待ちして庭の白雪をながめて一日を暮らしている。

<漢詩> 

 雪中待人       雪中 人を待つ     [上平声十灰韻] 

吾宿平生無人訪,吾宿には平生(ヘイゼイ) 訪ねてくる人はいない、

心中盼望孰能来。心中 孰か来てくれるのを盼望しおるに。

抱膝眺望庭中雪, 膝を抱いて 庭中の雪を眺望するうちに,

今一天亦暮鍾催。 今(キョウ)一天 亦(マ)た暮の鍾が催(ヒビイテ)きた。 

<簡体字表記> 

 雪中待人         

吾宿平生无人访, 心中盼望孰能来。

抱膝眺望庭中雪, 今一天亦暮锺催。

現代語訳>

 <雪を眺めつつ人を待つ兼ねて我が住まいに人が訪れることはなく、万一にも誰か訪ねて来るのではないかと心待ちにしているのだが。独り静かに庭の白雪を眺めているうちに、暮れの鐘の音が響き、今日も又一日が暮れていくよ。

 

 

 

恋9 (定家 恋・499) 

 [詞書] 恋の歌

涙こそ行方も知らぬ三輪の崎佐野の渡りの雨の夕暮れ 

 (大意) わが恋の将来もどうなることやら 行方知らぬは 佐野の渡の雨の夕暮れと同じである。 

<漢詩>  

 恋情難忍        恋情 忍び難し    [去声七遇韻] 

三輪崎即佐野渡, 三輪(ミワ)の崎 即(スナワチ) 佐野の渡り, 

踮而瞻望雨夕暮。 踮(ツマサキダチ) 而して瞻望(センボウ)す 雨の夕暮。 

纏綿懷抱弥難忍, 纏綿(テンメン)たり懷抱弥(イヨ)いよ忍び難く,

淚溢不知其所赴。 淚 溢(アフ)れて 其の赴(オモム)く所を知らず。 

<簡体字表記> 

  恋情难忍   

三轮崎即佐野渡,踮而瞻望雨夕暮。

缠绵怀抱弥难忍,泪溢不知其所赴。

現代語訳> 

 <忍び難い恋心三輪の崎の 佐野の渡りにあって、雨の中 爪先立って遥か遠くを見遣っている 夕暮れ時である。胸の想いがますます募って、堪えがたい想いに駆られて、涙が溢れて来るが、この涙は 何処に行くのか 行方を知らない。

 

 

 

 

恋10 (定家 恋・500)  (『新勅撰集』 巻第十三) 

  [詞書] 久しき恋の心を 

しらま弓磯辺のやまの松の葉に常盤にものを思うころかな 

 (大意) 磯辺山に生える松の葉の如くに 長しえに物思いに耽っている。

<漢詩

  沈湎     沈湎     [上平声十五刪‐上平声十三元通韻]

檀弓海辺山, 檀弓(シラマユミ) 海辺の山,

万古綠松繁。 万古(バンコ)に綠の松 繁(シゲ)る。

憂慮纏綿繞, 憂慮(ユウリョ) 纏綿(テンメン)として繞(メグ)り,

沈沈自無言。 沈沈(チンチン)として 自ずから言(ゲン)無し。

<簡体字表記> 

沉湎    

檀弓海边山,万古绿松繁。

忧虑缠绵绕,沉沉自无言。

現代語訳>

 <物思いに耽る磯の辺にある山には、長しえに緑を保つ松の木が生い茂っている。この松葉の如くに、思い煩うことが心に纏わりつき、静かに無言のまゝ 何時までも物思いに耽っている。

 

 

 

 

 

《旅の部》 

 

旅1 (定家 旅・514)  (『玉葉集』 旅・1192) 

 [詞書] 旅の心      

旅衣 袂(タモト)かたしき今宵もや草の枕にわれひとり寝む 

 (大意) 旅にあって、今宵もまた 片方の袂を敷いて 草を枕に独りで寝るのだ。  

<漢詩> 

枕草旅寢     枕草(クサマクラ)の旅寢(タビネ) 

[上平声十一真‐下平声一先通韻] 

超遙遊子頻,超遙(チョウヨウ)たること 遊子(ユウシ)頻(シキリ)にして,

今夜亦露天。今夜も亦た露天に寝(ヤス)む。

在下舖只袖,在下(シタ)に只袖(カタソデ)を舖(シ)き,

枕草而独眠。草を枕にして独(ヒトリ)で眠(ヤス)む。

<簡体字表記> 

  旅枕草寝   

超遥游子频, 今夜亦露天。

在下铺只袖, 枕草而独眠。 

現代語訳>

 <旅での野宿遠く旅に出ること度々あり、今夜も亦 野外で寝(ヤス)むことになった。下に袂の片方を敷いて、草を枕に 独りで寝(ヤス)む。

 

 

 

旅2  (定家 旅・519) 

 [詞書] 羇中鹿 

秋もはやすえのはらのに鳴く鹿の声聞く時ぞ旅は悲しき 

 (大意) 秋も はや末となり末野の原で鹿の鳴き声を聞いて、その時こそ旅の悲しさを覚えるのであった。  

<漢詩> 

  羇中聞鹿叫  羇中 鹿の叫(ナ)くを聞く    [上平声四支韻] 

則已季秋期, 則(スナワ)ち已に季秋の期,

芒芒末野涯。 芒芒(ボウボウ)たり末野の涯(ホトリ)。

呦呦聞鹿叫, 呦呦(ヨウヨウ)として鹿の叫(ナ)くを聞く, 

此刻覚羈悲。 此刻こそ 羈(タビ)の悲しみを覚ゆ。

<簡体字表記> 

  羇中闻鹿叫  

则已季秋期,芒芒末野涯。

呦呦闻鹿叫,此刻觉羁悲。

現代語訳>

 <旅にあって鹿の鳴き声を聞くもはや秋も末の季節となった、広々とした末野の原のほとり。遠くに鹿の鳴き声を聞く、この時こそ 旅にあって秋の悲しみを覚えるのである。

 

 

 

 

旅3 (定家 旅・520) 

 [詞書] 羇中鹿 

ひとりふす草の枕の夜の露はともなき鹿の泪(ナミダ)なりけり 

 (大意) 旅に出て草を枕に独りで寝(ヤス)んでいると、枕の草に夜露が降りてきた。これは友のいない鹿の涙なのだ。

<漢詩> 

鹿淚        鹿の涙     [下平声十一尤韻]       

客人在遠遊, 客人(キャクジン) 遠遊(エンユウ)に在り,

草枕而独休。 草を枕にして 独(ヒト)り休む。

身辺夜露宿, 身辺 夜露(ヤロ)宿(ヤド)るは,

是淚孤鹿流。 是(コ)れ孤鹿(コロク)の流す淚ならん。

<簡体字表記> 

鹿泪     

客人在远游, 草枕而独休。

身边夜露宿, 是泪孤鹿流。

現代語訳> 

 <鹿の涙私は遠く旅に遊んでおり、草を枕に独り横になっている。身の回りには夜露が降りているが、これは孤独な鹿が流した涙に違いない。

 

 

 

 

 

旅4 (定家 旅・525)  (『続古今集』巻十羇旅・892) 

 [詞書] 旅の心を 

旅ねする伊勢の濱荻露ながら結ぶ枕にやどる月影 

 (大意) 旅寝をして 伊勢の浜荻を露がおいたまゝ結んで草枕とする その枕の露に 月が映っているよ。

<漢詩> 

露宿      露の宿     [下平声二蕭韻] 

旅夜伊勢地, 旅夜 伊勢の地,

傲露荻慢搖。 露に傲(オゴ)る荻 慢(ユルヤカ)に搖(ユ)れてあり。

結茲為旅枕、 茲(コレ)を結んで 旅寝の枕と為(ナ)すに,

枕上月光瑤。 枕上(チンジョウ)の月光 瑤(ヨウ)たり。

<簡体字表記> 

露宿    

旅夜伊势地, 傲露荻慢摇。

结兹为旅枕, 枕上月光瑶。

現代語訳>

 <旅の野宿旅の夜を伊勢の地で迎える、露を宿した浜荻 そよ風に緩やかに揺れている。その荻を結んで枕にして休むに、枕の露に映った月光は美玉となる。

 

 

 

 

 

旅5 (定家 旅・528) 

[詞書] 屏風の絵に山家に松かけるところに旅人のあまたあるをよめる

まれにきて稀に宿かる人もあらじあはれと思え庭の松風 

(大意) まれに訪ねて来ても、宿借る人は稀にもいないのだ、松風よ、このような粗末な家を哀れんでください。 

<漢詩>  

看屏風画      屏風画を看て     [入声一屋韻]  

有人稀来訪, 稀に来訪する人有るも、

無人稀住宿。 稀にも住宿(ヤドカ)る人は無し。

庭中松風也, 庭中の松風 也(ヨ)、

憐憫斯陋屋。 斯(カ)かる陋屋(ロウオク)を憐憫(アワレン)でくれ。

<簡体字表記> 

  看屏風画    

有人稀来访,无人稀住宿。

庭中松风也。怜悯斯陋屋, 

現代語訳> 

 <屏風絵をみて稀に訪ねて来る人はいるが、稀にも宿借る人はいない。庭の松風よ、このような粗末な家を憐れんでくれ。

[注記] 屏風絵をみて詠った歌である。

 

 

 

 

 

《雑の部》 

 

雑1 (定家 雑・536) 

  [詞書] 海辺立春  

塩がまのうらの松風霞むなり八十島かけて春や立つらむ 

 (大意) 塩釜の浦の、松の木の間を暖かな風が吹き抜けていく。海に浮かぶ島々は春の春霞にすっかりつつまれて、春が訪れたのだよ。

<漢詩> 

 海辺立春   海辺の立春     [上平声一東韻] 

蕩蕩塩釜浦, 蕩蕩(トウトウ)たり塩釜(シオガマ)の浦, 

溜溜過松風。 溜溜(リュウリュウ)として松風 過(ワタ)る。 

朧朧霞靉靆, 朧朧(ロウロウ)として霞(カスミ)靉靆(アイタイ)たりて, 

島島春氣中。 島島(シマシマ) 春氣(シュンキ)の中(ウチ)。

<簡体字表記> 

海辺立春 

荡荡盐釜浦, 溜溜过松风。

胧胧霞叆叇, 岛岛春气中。 

現代語訳> 

 <海辺の立春ひろびろと広がる塩釜の浦、サアサアと松風が吹きすぎていく。おぼろげな春霞が立ち込めて、海に浮かぶ島々はすっかり春の気に覆われてきた。

[注記] 古代、東国経営の府として多賀城が置かれ、都から海路で多賀城に至るのに塩釜の浦はその入り口であったという。塩釜の浦は、点在する島々が絶景をなし、古の時代にあっても多くの歌が詠まれ、いわゆる、歌枕として定着していった。

 

 

雑2 (定家 雑・538)  (『新勅撰集』巻十九・雑四・1306) 

 [歌題] 残雪

春きては花とかみらむおのずから朽木(クツキ)の杣(ソマ)にふれる白雪 

木には白雪が残り、自然に花と見間違うことだ。  

<漢詩>  

残雪          残雪      [下平声六麻韻] 

宛転冬春謝、 宛転(エンテン)として冬春に謝(シャ)し、 

淒淒朽木霞。 淒淒(セイセイ)たりて朽木(クツキ)霞む。 

雪斑留腐木, 雪の斑(ハン) 腐木(クチキ)に留まり, 

看錯自此花。 自(オノ)ずから此を花と看錯(ミアヤマ)らん。

<簡体字表記> 

 残雪    

宛転冬春謝、 凄凄朽木霞。 

雪斑留腐木, 看错自此花。

現代語訳> 

 <残雪> 何時しか 時は冬から春へと移り替わり、うすら寒さを覚える中、朽木の山には春霞が掛かる。朽ちた樹々には斑状に白雪が残り、自ずと残雪を花と見間違えることだ。

 

 

雑3 (定家 雑・560)  (『新勅撰集』雑一・1076) 

 [詞書] 荒れたる宿の月という心を 

浅茅原主なき宿の庭の面にあはれいくよの月かすみけむ 

 (大意) 荒れ果てた主のいない家の庭には、ああ、月は、どれだけ長い間照り続けていたのであろうか。 

<漢詩>

 月光在荒涼庭園   荒涼たる庭園の月光    [上平声十三元韻] 

已無家人浅茅原,已(スデ)に家人無く 浅茅原(アサジガハラ), 

庭面皎澄清月存。庭面に皎(アカル)く照り澄みわたる清月存(ア)り。 

豈不悲涼風嫋嫋,豈に悲涼(アハレ)ならざらんか 風 嫋嫋たり, 

月光幾世空照園。月光 幾世 空く園を照らしきたるならん。 

<簡体字表記> 

   月光在荒凉家园  

已无家人浅茅原, 庭面皎澄清月存。

岂不悲凉风嫋嫋, 月光几世空照园。

現代語訳>

 <荒涼たる宿の月住人がすでに居なくなって、荒れ果てた庭園、清らかな月光により皓皓と、澄み切った明かりで照らされている。嫋嫋と微風が吹きわたり、何ともあはれさを感じずにはおかない、この月光は、幾世に亘って、空しく庭園を照らし続けてきたのであろうか。

 

 

 

雑4 (定家 雑・561)  (『新勅撰集』巻十六・雑一・1077) 

  (詞書なし)

思い出(イデ)て昔を忍ぶ袖の上にありしにもあらぬ月ぞやどれる 

 (大意) 思い出にひたり 昔を偲んでいるが、袖に置かれた露には昔の月影とは似つかぬ影が映っている。

<漢詩> 

    被辜負想    被辜負(ウラギラレ)た想い    [入声四質韻] 

默默以回憶, 默默(モクモク)として以(モッ)て回憶(カイオク)し,

綿綿懷昔日。 綿綿(メンメン)として 昔日を懷(シノ)ぶ。

月影宿余袖, 月影 余が袖に宿(ヤド)すも,

何図見殊実。 何ぞ図(ハカ)らん 実(ジツ)と殊(コト)なるを見る。

<簡体字表記> 

 被辜负想   

默默以回忆, 绵绵怀昔日。

月影宿余袖, 何図见殊实。

現代語訳>

 <裏切られた想い黙黙として思い出に耽っており、絶えず過ぎ越し日々を偲んでいる。袖の露に映る月影に目を遣って見ると、何と曽て見た月影とは似つかわぬものであった。

 

 

 

 

 

雑5 (定家 雑・570) 

 [詞書] 水鳥  

水鳥の鴨のうきねのうきながら玉藻の床に幾夜へぬらむ 

 (大意) 水鳥である鴨は 浮き寝をして 浮いたまま藻の床で幾夜を過ごしたことであろう。 

<漢詩> 

 浮中想            浮中の想い      [下平声八庚‐九青韻] 

水禽野鴨做群生,水禽(ミズトリ)の野鴨(ノガモ) 群生を做(ナ)す,

湖面搖搖浮睡寧。湖面 搖搖(ヨウヨウ)として浮睡(ウキネ)寧(ヤス)らかに。

玉藻田田為床鋪,玉藻 田田(デンデン)たり床鋪(ネドコ)と為(ナ)し,

不知浮寢幾夜経。浮寢(ウキネ) 幾夜を経(ヘ)たるか知らず。

<簡体字表記> 

浮中想   

水禽野鸭做群生,湖面摇摇浮睡宁。

玉藻田田为床铺,不知浮寝几夜经。

現代語訳>

 <浮きながら憂き世を想う> 水鳥の鴨は群れをなしており、湖面にゆらゆら揺れながらの浮き寝は心安らか。敷き詰めた玉藻を寝床として、浮き寝を幾夜過ごしたことであろうか。

[注記] 浮寝鳥(ウキネドリ)の鴨が湖で水に浮いた状態で休んでいるさまを詠う。 “浮き寝”は“憂き寝”を想像させる、孤独感を訴える用語である。

 

雑6 (定家 雑・575) 

  [詞書] 深山に炭焼くを見てよめる 

炭をやく人の心もあはれなりさてもこの世を過ぐるならいは 

 (大意) 炭焼き人の心にも感深い思いがする、それにしてもこの世を過ごしてゆく生活の道というものは。  

<漢詩>   

 焼炭人    炭を焼く人    [上平声十一真 - 下平声一先通韻]   

深山焼炭人, 深山の炭を焼(ヤ)く人,

心裏一可憐。 心の裏(ウチ)は 一(イツ)に可憐(アハレ)なり。 

却是世常理, 却(カエ)って是(コ)れ世の常理(ジョウリ)ならん,

非無活計先。 活計(カツケイ) 先(セン) 無きに非ず。

<簡体字表記> 

 焼炭人 

深山烧炭人, 心里一可怜。

却是世常理, 非无活计先。

現代語訳>  

 <炭を焼く人> 山に入って薪を伐り、炭を焼く人、その心情は非常に哀れである。しかしこれは世の常の道理であり、生活の糧を優先しているためなのである。

[注記] 唐詩人・白楽天の長編詩「炭を売る翁」(参考4)に通ずる歌である。ともに詠まれている対象は 庶民の姿である。

 

 

 

雑7 (定家 雑・581)

 [詞書] 老人 歳の暮を憐れむ 

白髪といひ老いぬるけにや事しあれば年の早くも思ほゆるかな 

 (大意) 白髪になったことといい、年老いたせいでもあろうか 何か事あるにつけて 年の早くたつのを覚えることだ。 

<漢詩> 

 老書懐   老いて懐(オモイ)を書す      [下平声一先韻] 

星星斑白巔, 星星(セイセイ)として斑白(ハンパク)の巔(イタダキ),

烏兔别急遷。 烏兔(ウト)は 别(ベッ)して急ぎ遷(ウツ)る。

自豈不懷老, 自(オノ)ずから 豈(アニ)老を懷(オモ)わざらんか,

事事亶此然。 事事(コトゴト)に 亶(マコト)に此れ然(シカ)ならん。

<簡体字表記>  

 老书怀    

星星斑白巅,乌兔别急迁。

自岂不怀老,事事亶此然。

現代語訳> 

 <老いて懐を書す> 頭部に白髪も増えて来て、時の移り変わることが殊の外早く感じられる。年老いた故であろうと思うが、何事につけても 事あるごとに 同じ思いに駆られるのである。

[注記] 時の経つのが早く感じられるのは、老の人として実感する想いであろう。

 

 

雑8 (定家 雑・583) 

 (詞書) 老人憐歳暮 

足引きの山より奥に宿もがな年退(ノ)くまじき隠家(カクレガ)にせむ 

 (大意) 山の奥に宿があるとよいなあ。そこでは年が過ぎ去って行くことがなさそうだから、隠れ住みたいものである。 

<漢詩>  

 歲暮懷   歲の暮に懷(オモ)う    [下平声九青韻] 

足曳深山裏, 足曳(アシビキ)の深山の裏(ウチ), 

子欲隠野亭。 子(シ)は 野亭(ヤテイ)に隠(カクレ)住まんと欲す。 

寧為心好独, 寧くんぞ 心 独(ヒトリ)なることを好む為ならんか,

直据想年停。 直(タ)だに年の停(トドマ)るを想うに据(ヨ)る。

<簡体字表記> 

 岁暮怀     

足曳深山裏, 子欲隐野亭。

宁为心好独, 直据想年停。

現代語訳>

 <歳の暮に思う> 深山の奥で、私は、棲家があったなら 隠れ住みたい思う。独りになりたいということではない、そこでは 年の去りゆくことがなく、止まっていると想えるからなのだ。

[注記] 時の流れが止まる世界、恐らくは“不老不死・永遠の生命”が叶えられる世界が山の奥にあるのでは と。

 

 

 

雑9 (定家 雑・586)  (『玉葉集』巻十六・雑三・2191) 

 [詞書] 三崎という所へまかれりし道に、磯べの松年ふりにけるを見てよめる  

磯の松幾久さにかなりぬらむいたく木高き風の音哉 

 (大意) 三崎の磯の老松は、如何ほど時を経たであろうか、随分と高く聳え、また松籟の音も高いことだ。

<漢詩> 

 磯辺聞松籟   磯辺に松籟を聞く    [下平声七陽韻] 

三崎磯老松、 三崎は磯の老松、

経歴幾星霜。 幾星霜 経歴(ケイレキ)せしか。

聳立一峨峨, 聳(ソビ)え立つこと 一(イツ)に峨峨(ガガ)たり,

松籟也高翔。 松籟(ショウライ) 也(トモ)に 高く翔(カ)ける。

<簡体字表記> 

  磯边闻松籁

三崎磯老松、 経历幾星霜。

耸立一峨峨,  松籁也高翔。

現代語訳>  

 <磯辺で松籟を聞く> 三崎の磯辺の老松は、幾歳月 経たであろうか。高々と聳え立っており、松籟もまた音高く、天空高く渡っていくことだ。

[注記] 三浦の御所とは、頼朝が建てた3ケ所の別荘の一つで、今日、お寺として残っているようである。

 

雑10 (定家 雑・604)  (『新勅撰集』羇旅・525) 

 [詞書] 舟

世の中は常にもがもな渚(ナギサ)漕ぐ海女の小船(オブネ)の綱手かなしも

<大意> 世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしいものだ。波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟が、舳先(ヘサキ)にくくった綱で陸から引かれている、ごく普通の情景が切なくいとしい。

<漢詩>  

 希求常世間安寧  世間の常なる安寧を希求す    [上平声四支・十灰韻]  

世間恒久願弥滋,世間の恒久ならん願い弥(イヨ)いよ滋(シゲ)し,

瞻望大洋海灘隅。瞻望(センボウ)す 大洋 海灘(カイタン)の隅(クマ)。

把小漁船用縄曳,漁船を把(トッ)て縄を用(モッ)て曳く,

一何寧静動心哉。 一(イツ)に何ぞ寧静(ネイセイ) 心を動かす哉(カナ)。

<簡体字表記> 

 希求常世间安宁

世间恒久愿弥滋, 瞻望大洋海滩隅。

把小渔船用绳曳, 一何宁静动心哉。

現代語訳>

 <世の中がいつまでも穏やかである事を願う> この世の中が今のまゝ、永遠に平穏であるようにとの願いが一層強くなる、大海原を遥かに眺め見る渚の隈。漁師の小舟を綱で引いていくのが見えて、何と平穏無事な情景であろうか、心動かされずにはおかない。

[注記]『百人一首』に撰された歌である(参考3)。

 

 

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閑話休題422 実朝 金塊集-3

2024-09-01 13:42:02 | 健康

秋16 (定家 秋・256)  (『新勅撰集』 巻五 秋下・316)

 [詞書] 月夜菊花をたをるちて 

濡れて折る袖の月影ふけにけり籬(マガキ)の菊の花の上の露 

 (大意) 籬に植えた菊を折り取った袖に、花の上の露が滴る。その袖に映る月の光から、夜更けであることを知った。

<漢詩> 

  月夜折采菊花  月夜菊花を折采(タオ)る    [上平声四支韻]

芳馨秋菊在垣籬, 芳しい馨(カオリ)の秋菊 垣籬(エンリ)に在り,

泫泫白露盈万枝。 泫泫(ゲンゲン)として白露 万枝に盈(ミ)つ。

不覚折葩沾衣袖, 不覚(オボエズ) 葩を折るに衣袖を沾らし,

知袖月影漏声遅。 袖の月影に漏声(ロウセイ)の遅きを知る。

<簡体字表記> 

 月夜折采菊花 

芳馨秋菊在垣籬, 泫泫白露盈万枝。

不觉折葩沾衣袖, 知袖月影漏声迟。

現代語訳>

<月夜に菊花を手折る> 菊が芳ばしい香りを発して垣籬にあり、枝々には露を一杯に置いている。つい 花を摘んだところ 袖が露に濡れて、 濡れた袖にうつる月影から 夜も更けていることを知った。

 

 

 

 

 

秋17 (定家 秋・261)  (『新勅撰集』 秋下・337)

 [詞書] 秋の末に詠める 

雁鳴きて寒き朝明(アサケ)の露霜に矢野の神山色づきにけり 

 (大意) 雁が鳴いて 秋の深まりを知らせる今朝の寒い明け方に 降りた露や霜で ここ矢野の神山は紅葉したことだ。

<漢詩>

 晚秋情景      晚秋の情景    [上平声一東韻] 

雁鳴秋色老, 雁鳴いて 秋色老い,

拂曉冷気籠。 拂曉(フツギョウ) 冷気籠(コ)む。

矢野神山景, 矢野の神山の景,

露霜促変紅。 露と霜 木の葉の紅に変ずるを促す。 

<簡体字表記> 

     晚秋情景    

雁鸣秋色老, 拂晓冷气笼。

矢野神山景, 露霜促变红。

現代語訳>

  <晩秋の情景> 南への渡る雁の鳴き声が聞こえて、秋が深まってきた、明け方には冷気を感じるこの頃である。矢野の神山の景色は、降りた露霜により紅葉(コウヨウ)しだしたようだ。

[注記] “歌枕”の “矢野の神山”、その場所は不明である。兵庫県、徳島県等々、諸所に想定されている。

 

 

秋18 (定家 秋・269) 

  [題詞] 水上落葉 

ながれ行く木の葉の淀む江にしあれば暮れてののちも秋は久しき 

 (大意) 木の葉のよどんで流れぬ江であるから 秋が暮れてのちも ここには秋が久しく残っているように見える。  

<漢詩>  

江上落葉      江上の落葉      [上平声六魚韻]  

流来乱落葉, 流れ来たる乱(ラン)落葉, 

行至所江淤。 行(ユキ)ゆきて至(イタ)る江の淤(ヨド)む所。 

四節秋過去, 四節(シセツ) 秋 過去(ユキサ)るも,

但茲秋氣舒。 但(タダ)茲(ココ)は 秋氣 舒(ジョ)たらん。

<簡体字表記> 

  江上落叶  

流来乱落叶, 行至所江淤。

四节秋过去, 但兹秋气舒。

現代語訳>

 <江上落ち葉の淀んだところ> さまざまな落ち葉が流れ来って、流れ流れて、川のさる場所で淀んでいる。時節は変わって、間もなく秋は暮れることであろう、だが、落ち葉の淀むこの川では、その後も、秋の気配は続くことでしょう。

[注記]「川面のもみじ葉は、川の錦」と詠った能因法師(参考3)とは、真逆である。実朝の胸内には、“苦悶”の重しが淀んでいたように思える。

 

《冬の部》 

 

冬1 (定家 冬・275)  (『続古今集』 545)

  詞書] 十月(カミナヅキ)一日(ツイタチ)よめる 

秋はいぬ風に木の葉は散りはてて山さびしかる冬は来にけり 

 (大意) 秋は去ってしまった。風に木の葉は散り尽くし、山が寂しい様子を表す冬がやって来たのだ。

<漢詩> 

  孟冬情味  孟冬の情味    [上平声四支韻]

過秋草木衰, 秋は過(サ)りて 草木 衰え,

風刮落葉枝。 風 刮(フイ)て 葉落とす枝。

千里山清寂, 千里 山 清寂(セイジャク)にして,

顕然迎冷期。 顕然(ケンゼン)たり 冷時を迎える。

<簡体字表記> 

 孟冬情味  

过秋草木衰, 风刮落叶枝。

千里山清寂, 显然迎冷期。  

現代語訳> 

  <初冬の情緒> 秋の季節が遷り替わり 草木が萎れてきた、風が吹いて 葉を落とした枝。千里四方 山はひんやりとして寂しい様子である、明らかに冬の寒い季節となっているのだ。 

 

 

冬2 (定家 冬・290) 

 [詞書] 月影霜に似たりといふことを 

月影の白きをみれば鵲のわたせる橋に霜やおきけむ  

 (大意) 月が白くさえているのは あの天上に鵲が渡した橋に霜を置いているからであろう。

<漢詩>  

 冬天銀漢   冬天の銀漢     [下平声七陽韻] 

煌煌冬銀漢, 煌煌(コウコウ)たり冬の銀漢(ギンカン)、   

奕奕鵲成梁。 奕奕(エキエキ)たる鵲(カササギ) 梁(ハシ)を成(ナ)す。

月影一明浄, 月影 一(イツ)に明浄(メイジョウ)たり,

是因橋上霜。 是(コ)れ橋上の霜に因るならん。 

<簡体字表記> 

 冬天银汉     

煌煌冬银汉, 奕奕鹊成梁。

月影一明净, 是因桥上霜。 

現代語訳> 

 <冬空の銀河> 天上に光り輝いている冬銀河、美しい鵲が羽を広げて橋をなす。月光はなんと冴えわたっていることか、それは鵲橋に置いた霜のせいなのであるよ。

 

 

 

 

冬3 (定家 冬・298)  (『新勅撰集』 冬・408) 

  [詞書] 寒夜の千鳥

風寒み夜の更けゆけば妹が島形見の浦に千鳥なくなり  

   (大意) 風が寒くなって夜が更けて来ると ここ妹が島の形見の浦に千鳥の鳴く声が霧に響くことだ。

<漢詩> 

  寒夜鴴     寒夜の鴴(チドリ)     [上平声十四寒韻] 

風寒天一端, 風寒し 天の一端,

夜更思渺漫。 夜更けて 思い渺漫(ビョウマン)たり。

妹島形見浦, 妹島(イモガシマ) 形見(カタミ)の浦,

默聞鴴叫闌。 默(モク)して聞く 鴴の叫(ナ)くこと闌(タケナワ)なるを。

<簡体字表記> 

 寒夜鸻     

风寒天一端, 夜更思渺漫。

妹岛形见浦, 默闻鸻叫阑。

現代語訳> 

  <寒夜の千鳥> 風寒い夜、天の一端を眺めやる、夜更けて 思いは定まらない。妹が島 形見の浦にあって、耳を澄ますと 千鳥の鳴く声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

冬4 (定家 冬・311) 

  [詞書] 屏風の絵に三輪の山に雪の降れる気色を見侍りて 

冬ごもりそれとも見えず三輪の山杉の葉白く雪の降れれば 

 (大意) 冬籠居していて、仰ぎ見ても三輪の山はそれとはっきり姿が見えない、杉の葉は真っ白に雪化粧されているから。

<漢詩> 

  三輪山雪景   三輪山の雪景(ユキゲシキ)    [上平声四支韻]

望三輪山過冬時, 三輪山を望む 冬過ぎし時

杳杳模糊不别斯。 杳杳(ヨウヨウ) 模糊として斯くは别しえず。

杉葉輝輝銀装様, 杉の葉 輝輝(キキ)として銀装の様(サマ),

天花慢慢飄落滋。 天花 慢慢として 飄落(ヒョウラク)滋(シゲ)し。 

<簡体字表記> 

  三轮山雪景  

望三轮山过冬时,杳杳模糊不别斯。

杉叶辉辉银装样,天花慢慢飘落滋。

現代語訳>

<三輪山の雪景色> 冬ごもりしている折、遠く三輪の山を望み見たが、雪が積もり遠くぼんやりとして それだと 輪郭がはっきりとは識別できない。杉の葉はまばゆいばかりに雪化粧の様子であり、雪はひらひらといっそう舞い落ちているのだ。 

[注記] 奈良・桜井市にある三輪山の冬景色の屏風絵を見て詠った歌。三輪山は、古来信仰の山で大樹が茂り、特に杉は「三輪の神杉」として神聖視されている。

 

 

冬5 (定家 冬・323)   (『風雅集』 巻八・冬・823)

 [詞書] 雪 

深山には白雪ふれりしがらきのまきの杣人道たどるらし  

 (大意) 山では雪が降っていて、道が雪に埋もれているので、信楽の真木の木こりたちは途方に暮れるのではないか。  

<漢詩>  

  信楽樵夫憂    信楽 樵夫の憂い    [上声七麌韻] 

深山天花舞, 深山 天花舞い, 

白雪蒙広土。 白雪 広土を蒙(オオイカク)す。 

只恐樵夫惑, 只(タ)だ恐(オソ)る 樵夫(キコリ)は惑(トマド)い,

山中迷路苦。 山中 路に迷い苦(ク)ならん。

<簡体字表記> 

 信楽樵夫忧   

深山天花舞, 白雪蒙広土。

只恐樵夫惑, 山中迷路苦。

現代語訳> 

<信楽の木こりの憂い> 山では雪が降っており、広い範囲が積もった白雪で覆われている。心配するのは 木こりが戸惑い、道に迷って苦労することになるのではないか と。

[注記] 実朝の視線は 信楽焼の作製に従事する庶民に向けられています。

 

冬6 (定家 冬・334) 

    [詞書] 雪 

見わたせば雲居はるかに雪白し富士の高嶺のあけぼのの空 

 (大意) 遠く見渡してみると雲のある曙の大空に雪の白いのが見える、富士の高嶺である。 

<漢詩> 

  銀裝富士     銀裝の富士     [上平声十五刪韻] 

瞭望曙大空, 曙の大空を瞭望(リョウボウ)するに、

婉婉彩雲閒。 婉婉(エンエン)たり彩雲の閒(カン)。

雪白雲縫隙, 雲の縫隙(スキマ)に雪の白きあり,

翹翹富士山。 翹翹(ギョウギョウ)たり 富士の山。

<簡体字表記> 

  银装富士   

瞭望曙大空, 婉婉彩云闲。

雪白云缝隙, 翘翘富士山。

現代語訳>  

 <雪化粧した富士> 曙の大空を遥かに見渡すと、朝焼けの雲がゆったりと浮いている。雲の隙間から雪の白さが目に止まる、一際高く聳えた富士の高嶺である。

 

 

 

 

冬7 (定家 冬・343)  (『新勅撰集』巻六冬・93) 

  [詞書] 歳暮

武士(モノノフ)のやそうじ川を行(ユク)水の流れてはやき年の暮かな 

 (大意) 宇治川を流れる水の流れの何と速いことか 同じように時のめぐりも速く 今や年の暮を迎えようとしている。

<漢詩> 

歲暮          歲暮(セイボ)        [下平声一先韻] 

武士八十宇治川、 武士(モノノフ)の八十(ヤソ)宇治川(ウジガワ)、   

活活河水若落天。 活活(カツカツ)として河水 天より落ちるが如し。

荏苒宛転時運去、 荏苒と宛転して時は運(メグリ)去(ユ)き、

弥弥日月逼残年。 弥弥(イヨイヨ) 日月 残年に逼(セマ)る。  

<簡体字表記> 

岁暮          

武士八十宇治川、 活活河水若落天。

荏苒宛转时运去、 弥弥日月逼残年。

現代語訳> 

 <年の暮> 武士(モノノフ)のやそ宇治川、河水 天より落ちるが如く勢いよく速く流れている。歳月も何らなすことがないまゝ転がるように過ぎて、今や年の瀬を迎えようとしている。 

 

 

 

 

冬8 (定家 冬・349) 

 [詞書] 歳暮

乳房吸ふまだいとけなきみどり子の共に泣きぬる年の暮れかな 

 (大意) まだあどけない 乳飲み子が 母の乳房に吸い付きながら泣いている、つい貰い泣きするこの年の暮れであるよ。

<漢詩> 

 同情嬰児啼哭   嬰児の啼哭(ナク)に同情す    [上平声一東韻]

天真嬰在母懷中, 天真(アドケナ)き嬰 母の懷中に在り,

吮母咂兒臉頰紅。 母の咂兒を吮(ス)って 臉頰(ホオ)は紅いに。

不覚為何開始哭, 為何(ナニユエ)か覚ず 哭(ナ)き開始(ハジメ)た,

灑同情淚此年終。 灑同情淚(モライナキ)している 此の年の終である。

<簡体字表記> 

  同情婴児啼哭    

天真婴在母怀中, 吮母咂儿脸颊红。

不觉为何开始哭, 洒同情泪此年终。

現代語訳>

 <泣いている幼子に貰い泣き> あどけない嬰児が 母の胸に抱かれて、乳房を吸って ほっぺが紅に染まっている。何故か知らないが、つい貰い泣きしている この年の暮れである。

[注記] この歌の対象は庶民の親子でしょう。

 

 

 

 

《賀の部》 

 

賀1 (定家 賀・353)  (『玉葉集』 巻七1049) 

 [詞書] 慶賀の歌 

千々の春万(ヨロズ)の秋にながらえて月と花とを君ぞ見るべき 

 (大意) 千年も万年も生き永らえて 君は月と花とを数え切れぬほど何回も見るであろう。 

<漢詩> 

  慶賀君長寿   君の長寿を慶賀す    [去声八霽韻]  

四時肅肅更遷逝, 四時は肅肅として更(コモ)ごも遷(ウツ)り逝(ユ)き,

君寿悠悠千万歲。 君 悠悠として千万歲を寿(イキナガラ)えん。

遇見時時花亦月, 時時(オリオリ)の花亦(ト)月に遇見(デア)い,

傲賞勝事長久計。 勝事を賞でるに傲れること長久に計(ハカ)らん。

<簡体字表記> 

  庆贺君长寿       

四时肃肃更迁逝, 君寿悠悠千万岁。

遇见时时花亦月, 傲赏胜事长久计。 

 現代語訳>

 <君の長寿を慶賀す> 時節は静かに次々に移り変わっていくが、君は悠悠と千万歳も生き永らえよう。折々の花と月に出会い、この先幾久しく素晴らしい風物を愛でて楽しむことであろう。

 

 

賀2 (定家 賀・362) 

 [詞書] 大嘗会の年の歌に 

黒木もて君がつくれる宿なれば万代(ヨロズヨ)経(フ)とも古(フ)りずもありなむ 

 (大意) 皮付きの木で君が作られた祭殿であるので 万年経(タ)とうとも古びることなく存在することでしょう。

<漢詩>  

 慶賀大嘗会 大嘗会を慶賀す     [上平声四支韻] 

黑檀為祭殿, 黑檀(コクタン)もて祭殿と為(ナ)す, 

君子乃建斯。 君子 乃(スナワチ) 斯(コレ)を建(タ)つ。 

万代無糟朽, 万代 糟朽(ソウキュウ)すること無く,

迢迢保逸姿。 迢迢(チョウチョウ)として逸姿(イツシ)を保(タモ)たん。

<簡体字表記> 

 庆贺大嘗会祭殿 

黑檀为祭殿, 君子乃建斯。

万代无糟朽, 迢迢保逸姿。 

現代語訳> 

 <大嘗会を賀す> 黒木でもって祭殿を建てる、これは君が建てられたものである。万代経ろうとも朽ちることなく、長しえにその威容を保ち続けることでしょう。

[注記] 建暦二年(1212、実朝21歳)十一月十三日に行われた順徳天皇即位に伴う大嘗会の折に詠われた歌であろうとされる。

 

 

賀3 (定家 賀・364)  

  [詞書] 花の咲けるを見て 

宿にある桜の花は咲きにけり千歳の春も常かくし見む 

 (大意) 我が家の桜の花が今年も咲いた、この先千年にもわたって春になればこの美しい花を見ようと思う。

<漢詩>  

    賞桜花            桜花を賞す    [下平声六麻韻] 

四時代謝九重霞,  四時 代謝し 九重の霞かかる時期,

今見庭桜擾弱華。 今庭の桜に擾弱(ワカワカ)として華(ハナサク)を見る。

千歲春裝如此趣, 千歲 春の裝(ヨソオイ) 此の趣の如くに,

欲翫美麗感無涯。 美麗(ビレイ) 感 涯無く翫(メデ)んものと思う。 

<簡体字表記> 

 赏樱花           

四时代谢九重霞,今见庭樱擾弱华。

千岁春装如此趣,欲玩美丽感无涯。

現代語訳>

 <桜の花をめでる> 季節は変わって 今は霞がかかる春の季節となった、我が家の庭の桜が開花したばかりである。この先千年も 今日のような春の訪れがある度に、思い果てなくこの美しい桜の花を愛でることとしよう。

 

 

 

賀4 (定家 賀・366)  (『玉葉集』賀・1359;『続後撰集』 ) 

  [詞書] 二所詣で侍りし時 

ちはやぶる伊豆のお山の玉椿(タマツバキ)八百(ヤオ)万代(ヨロズヨ)も色は変わらじ                

 (大意) 神のおられる伊豆の御山の玉椿は 長い長い年月が経ってもその美しい色は変わらないだろう。

<漢詩> 

茶花悠久   悠久なる茶花     [上平声十五刪 -下平声一先通韻]

激捷伊豆山,激捷(チハヤブル) 伊豆(イズ)の山, 

山茶玉樹妍。山茶の玉樹(ギョウクジュ)妍(ケン)なり。  

鮮紅花熠熠,鮮紅の花 熠熠(ユウユウ)として,  

不変漫長年。漫長(マンチョウ)の年 変らず。

<簡体字表記>  

  茶花悠久  

激捷伊豆山,山茶玉树妍。

鲜红花熠熠,不变漫长年。

現代語訳>

 <悠久の山椿の花> ちはやぶる伊豆権現のある山、山椿の玉樹が美しく花をつけている。その鮮紅の花は光り輝いており、千万年に亘って、咲き続けることでしょう。

 

 

 

《恋の部》 

 

恋1 (定家 恋・374)  (『続後撰集』 巻十一・恋一・647) 

わが恋は初山藍のすり衣人こそ知らねみだれてぞおもう 

 (大意) わが恋はたとえば山藍の摺り衣の初衣のようなものだ、初恋だから人には分からぬが、心はみだれて物思うことである。

<漢詩>  

 初恋心   初恋の心     [下平声十二侵韻]

吾恋何所似, 吾が恋 何に似たる所ぞ,

此心人不斟。 此の心 人斟(ク)まず。

摺衣穿初次, 摺衣(スリゴロモ) 穿(キ)る初次(ハジメ),

共乱麗紋心。 共に乱れてあり麗(ウル)わしき紋(モンヨウ)とわが心。

<簡体字表記> 

  初恋心       

吾恋何所似, 此心人不斟。

摺衣穿初次, 共乱丽纹心。 

現代語訳>

 <初恋の心> 私の初恋のこころ 何に譬えられようか、この心を誰も分からないでしょう。ちょうど藍染の摺衣の作り立てを着た時のようなものだ、摺衣の美しい乱れ模様と同じく私の心も乱れているのです。

[注記] “摺衣”とは、山藍やつゆ草などの茎や葉などを白い衣に摺りつけて染めた衣類のこと。初恋など、心の乱れていることの表徴。

 

 

恋2 (定家 恋 407)  (『風雅集』 巻十三・恋・1286) 

 [詞書] こひの心をよめる

君に恋ひうらぶれをれば秋風になびく浅茅の露ぞ消(ケ)ぬべき 

 (大意) 君に恋い焦がれているが、想いは通ぜず、しょぼんとしている。秋風が吹き、風に靡いた浅茅に降りた露と同じく私は散り失せてしまいそうだ。  

<漢詩> 

 思不相通    思い相(アイ)通わず    [下平声二蕭韻]

綿綿恋慕焦, 綿綿(メンメン)たり 恋慕 焦(コガ)れ, 

繚倒我心凋。 繚倒(リョウトウ)し 我が心 凋(シボ)む。

茅草秋風靡, 茅草(チガヤ)は秋風に靡き,

白露就落消。 白露 就(ジキ)に落ち消えよう。

<簡体字表記> 

  思不相通    

绵绵恋慕焦, 缭倒我心凋。

茅草秋风靡, 白露就落消。

現代語訳>

 <思い通ぜず> 恋い慕う思いが綿綿といつまでも続き、想い通ぜず、しょんぼりとして心が萎えている。一陣の秋風が吹けば、チガヤの草は靡き、葉に置いた露が散るように、わが身も果ててしまいそうだ。

 

 

 

恋3 (定家 恋・417) 

  [詞書] 頼めたる人に 

を篠原(ザサハラ)おく露寒み秋されば松虫の音(ネ)になかぬ夜ぞなき 

 (大意) 小笹原に露が降りて、寒い秋になると松虫が鳴かない夜はない。私は、来ぬ人をまちつつ、夜ごと泣いています。 

<漢詩> 

 所思沒来    所思(オモイビト)来たらず      [上平声一東韻]

秋来細竹露寒風,秋来たりて細竹(ササタケ)に置く露 風寒し,

唧唧哀鳴夜羽虫。唧唧(ジイジイ)と哀(カナシ)く鳴く 夜の羽虫(マツムシ)。

約定所思無到訪,約定(ヤクソク)せし所思 到訪(オトズレ)無く,

夜夜待着流淚紅。夜夜 待着(マチツツ)流す淚 紅なり。  

<簡体字表記> 

  所思没来    

秋来细竹露寒风,唧唧哀鸣夜羽虫。

约定所思无到访,夜夜待着流泪红。

現代語訳>

 <意中の人の訪れを待つ> 秋の訪れとともに笹竹の葉に露がおり 渡る風が寒く、夜になると松虫がジイジイと悲しく鳴いている。意中の人は、訪ねますと約束しながら 姿を見せてくれない、毎夜 涙を流して待ち、涙が血に染まるほどである。

 

 

 

 

恋4 (定家 恋・433) 

   [詞書] 名所の恋 

神山の山下水のわきかえりいはでもの思うわれぞかなしき 

 (大意) 心はわき返りながら   口に出さず心の中で恋い悩んでいる自分が悲しい。   

<漢詩>

  隱秘熱烈恋  隱秘せし熱烈なる恋    [上平声五微― 四支通韻]       

神山曲水隈,神山 曲水の隈(クマ),

噴出泉水奇。噴出せる泉水(センスイ)奇なり。

我忍思澎湃,我 思いの澎湃(ホウハイ)せしを忍び,

默然何可悲。默然(モクネン)たること 何ぞ可悲(カナ)しき。

<簡体字表記> 

 隐秘热烈恋  

神山曲水隈,喷出泉水奇。

我忍思澎湃,默然何可悲。

現代語訳> 

 <秘めた熱烈な恋神山の麓の曲がりくねった小川の奥まったところで、激しく湧き出す泉水は驚くほどである。私は 泉水にも勝る、湧きかえるほどの想いを忍び、口に出せずにいるが、何と悲しいことか。

 

 

 

 

 

恋5 (定家 恋・454)  (『新勅撰集』 巻二・ 801) 

 [詞書] 暁の恋 

さ筵(ムシロ)に露のはかなくおきて去なば 暁ごとに消えやわたらむ 

(大意) 君が起きて帰ってしまうと さむしろに涙をはかなく置いて 暁ごとにわたしは恋の悲しさのために死にそうな思いを続けるのです。

<漢詩> 

  暁時憂愁    暁時(アカツキ)の憂愁  [上平声十灰-上平声四支通韻]                    

君臨晨忽起帰回,君 晨に臨んで忽(コツ)として起き 帰回(カエ)る,

我床単上降露滋。我 床単(ウワジキ)上に露を降(オ)くこと滋(シゲ)し。

猶如朝露就消尽,朝露 就に消尽(ショウジン)するが猶如(ゴトク)に,

悲痛欲絶每暁時。暁時每に 悲痛(カナシミ)に(身を)絶えんと欲す。

<簡体字表記> 

  暁時憂愁   

君临晨忽起归回,我床单上降露滋。

犹如朝露就消尽,悲痛欲绝每晓时。

現代語訳>

 <暁の憂鬱あなたは 朝に起きるとすぐに帰られる、わたしは 上敷きの上に涙を流して耐えている。あたかも朝の露がすぐに消えてしまうように、暁にいつも身を亡ぼしたくなるほどに 悲しい思いに駆られるのです。 

 

 

 

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閑話休題421 実朝 金塊集-2

2024-09-01 13:38:33 | 漢詩を読む

春19 (定家 春・104) 

  [詞書] 山ふきの花を折らせて人のもとにつかわすとて 

散残る岸の山ぶき春ふかみこのひと枝をあはれといはなむ 

 (大意) 春が深まって 岸辺の散り残った山吹の花 手折ったひと枝 いとおしいと言ってもらいたいものだ。   

<漢詩>

  赠友人一枝花 友人に贈る 花一枝    [下平声一先韻]

臨岸棣棠花, 岸に臨んで棣棠(ヤマブキ)の花あり,

春深後凋娟。 春 深(フコウ)して後凋(コウチョウ)娟(エン)なり。

一条攀採贈,  一条(エダ)攀(ヒ)きて採(ト)り贈る,

乃願説可憐。  乃(スナワ)ち 願わくは 可憐(アハレ)と説(イウ)を。

<簡体字表記> 

   赠友人一枝花   

临岸棣棠花,春深後凋娟。

一条攀采赠,乃愿说可怜。     

現代語訳> 

 <友に花一枝を贈る> 岸辺にある山吹の花、春が深まって散り残っている花が麗しい。人に差し上げようと、ひと枝を引いて採り贈る、何ともいとおしい と言ってほしいものであるよ。

[注記] 晩春から初夏にかけて、枝に黄色い花を連ねてつける山吹、特に八重咲の花は印象的である。金槐集では山吹に関わる歌12首が収められている。山吹に対し、特に思い入れがあるのであろう。

 

 

《夏の部》 

 

夏1 (定家 夏・123) 

  [詞書] 郭公を待つ 

郭公(ホトトギス)必ず待つとなけれども夜な夜な目をもさましつるかな 

 (大意) ホトトギスが来て鳴くのを是非に待つということではないのだが、もしや来るのではないかと 夜な夜な目をさますのだ。

<漢詩> 

 等初声    初声を等(マ)つ     [上平声十灰 ] 

杜鵑鳴覚夏, 杜鵑(トケン)鳴いて 夏来たるを覚(オボ)ゆ, 

不必須等来. 必須(カナラズ)しも杜鵑の来るを等(マツ)にはあらず。 

或許会来叫, 或許(モシ)や来て叫(ナ)くに会えるやもしれず, 

每夜醒頻催. 每夜(ヨゴト)醒(メザメル)こと頻(シキリ)に催す。 

<簡体字表記> 

  等初声    

杜鹃鸣觉夏,   不必须等来.   

或许会来叫,   每夜醒频催.   

現代語訳>

  <忍び音を待つ> ホトトギスの鳴き声を聞くと夏の訪れである、是非にもホトトギスを待っているというわけではないが。もしや鳴き声が聞けるかもしれないと、夜な夜な しきりに目を醒ますのである。

[注記] 建暦元年(1211)、実朝が、永福寺を尋ねた折の作。

 

夏2 (定家 夏・127)  (『風雅集』夏・332)

  [詞書] 敦公

あしびきの山時鳥み山いでて夜ぶかき月のかげに鳴くなり 

 (大意) 山ホトトギスが 深山の奥から出て来て 深夜に月光のもとで鳴くようになったよ。   

<漢詩>

   杜鵑鳴月影間 杜鵑 月影の間に鳴く [下平声一先-上平声十五刪韻] 

夜深山杜鵑, 夜深(フカ)く 山杜鵑(ヤマホトトギス), 

逢時出深山。 逢時(トキヲエ)て 深山(ミヤマ)を出(イ)ず。 

月亮何明浄, 月亮(ゲツリョウ) 何ぞ明浄(メイジョウ)たる, 

嚶嚶月影間。 嚶嚶(オウオウ)たり 月影(ツキカゲ)の間。 

<簡体字表記> 

  杜鹃鸣夜深月影间 

夜深山杜鹃, 逢时出深山。 

月亮何明净, 嘤嘤月影間。 

現代語訳> 

 <月影で鳴くホトトギス> 深夜 山ホトトギスは、時よろしく、深山を出たようだ。月の何と明るく美しいことか、月光輝く中で、友を求めて鳴いているか。

 

 

 

夏3 (定家 夏・139)  (『続拾遺集』547)  

  [詞書] 故郷(フルサト)の盧橘(タチバナ)  

いにしへをしのぶとなしにふる里の 夕べの雨ににほふ橘  

 (大意) 昔を懐かしく思うというわけではなしに故郷にいて、夕方の雨に「昔を思わせる」という橘の花の匂いがすることよ。

<漢詩>

    故郷盧橘    故郷(フルサト)の盧橘(ロキツ)    [下平声七陽韻]             

無意緬懷昔, 昔を緬懷(シノ)ばんとの意(イト)は無くて,

欲暫留在郷。 暫(シバシ) 郷(フルサト)に留まらんと欲す。

霏霏夕暮雨, 霏霏(ヒヒ)たり夕暮の雨,

籠罩橘花香。 橘(タチバナ)の花の香 籠罩(タチコメ)てあり。

<簡体字表記> 

 故郷盧橘   

无意缅怀昔, 欲暂留在乡。

霏霏夕暮雨, 笼罩橘花香。

現代語訳>

  <故郷の橘> 特に昔を偲ぼうとの思いがあるのではないのだが、しばし故郷に留まるつもりでいる。しとしとと五月雨が降る夕暮れ、橘の花の香りが漂ってきた。昔の事どもが思い出されるよ。

 [注記] 「五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(よみ人知らず 『古今集』夏・139)」:この歌以来、 “橘の花の匂い”は 昔を思わせるもの というのが常識となった由である。

 

 

 

夏4  (定家 夏・141)  (『新後撰集』 209)

   [歌題] 郭公  

郭公きけどもあかず立花(タチバナ)の花ちる里のさみだれのころ  

 (大意) ほととぎすの声はいくら聞いても飽きない。橘の花が散る、五月雨の降る頃。

<漢詩>

  聴杜鵑        杜鵑を聴く     [上平声八斉韻‐四支韻]  

不断杜鵑啼, 杜鵑(ホトトギス) 啼(ナ)くこと断(タエ)ず,

貪聴不自持。 貪聴(ムサボリキク)を自持(ジセイ)することなし。

故郷橘花謝, 故郷 橘(タチバナ)の花 謝(チ)る,

正是梅雨期。 正(マサ)に是(コ)れ 梅雨(サミダレ)の期(コロ)。

<簡体字表記> 

  杜鹃     

不断杜鹃啼, 贪听不自持。

故乡橘花谢, 正是梅雨期。

現代語訳> 

  <杜鵑を聴く> ホトトギスは鳴くを止むことなく、鳴いており、聞き厭きることなく 貪るように聞いている。故郷では 橘の花が散り始めた、五月雨の頃である。

 

 

 

 

《秋の部》

 

秋1 (定家 秋・155)  (『新続古今集』巻四・秋上・347)

 [詞書] 七月(フミヅキ)一日(ツイタチ)のあしたよめる 

きのふこそ夏は暮れしか朝戸出の衣手さむし秋の初風 

 (大意) 昨日こそ 夏が終わったのであろう、朝の外出時に袖口の寒さを覚えたよ、きっと秋の初風に違いない。 

<漢詩>

初秋風   初の秋風     [上平声一東韻] 

無端知昧旦, 無端(ハシナクモ) 昧旦(マイタン)に知る、

先已晚蝉終。 先(マ)ず已(スデ)に 晚蝉(ヒグラシ)終(ヤ)む。

早班袖口冷, 早班(ハヤデ)に袖口(ソデグチ)冷(サム)く,

応是初秋風。 応(マサ)に是(コ)れ 初の秋風。

<簡体字表記> 

 初秋风   

无端知昧旦, 先已晚蝉终。   

早班袖口冷, 应是初秋风。

現代語訳>

  <秋の初風> 偶然にも今朝早くに知ったのだが、先に蜩(ヒグラシ)の鳴くのは終(ヤ)んでいる。早朝の早出で外に出ると、袖口が寒かったよ、まさに秋の初風のせいであろう。

 

 

 

秋2 (定家 秋・158) 

  [詞書] 蝉の鳴くをきゝて 

吹く風は涼しくもあるかおのずから山の蝉鳴きて秋は来にけり 

 (大意) そよ風が涼しくなってきたかと思うと 山からツクツクブシの鳴き声が聞こえてきた、秋の訪れが実感されるようになったよ。

<漢詩> 

聞寒蝉       寒蝉(カンセン)を聞く     [下平声七陽韻] 

何処微風至, 何処(イズコ)よりか微風至り,

蕭蕭覚快涼。 蕭蕭(ショウショウ)として快(ココロヨ)い涼を覚ゆ。

遙聞山蝉叫, 遙(ハルカ)に聞く 山蝉(サンセン)の叫(ナ)くを,

茲自悟秋陽。 茲(ココ)に自(オノズ)から秋陽なるを悟る。

<簡体字表記> 

   闻寒蝉      

何处微风至, 萧萧觉快凉。

遥闻山蝉叫, 兹自悟秋阳。

現代語訳>

  <寒蝉を聞く> 何処からともなく そよ風が吹きわたり、木の葉が揺れて 涼しさが快い。遥かに山の方からツクツクボウシの鳴く声が聞こえてくる、自ずと秋の訪れが感じられるようになったよ。

 

 

 

 

 

秋3 (定家 秋・166)  (『新勅撰集』 巻四・秋上・208)

 [詞書] 秋のはじめによめる

彦星の行き逢いを待つひさかたの天の河原に秋風ぞ吹く 

 (大意) 牽牛星が 織女星と行きあうのを待っている天の河原に秋風が吹いている。

<漢詩> 

 等待織女牽牛星   織女を等待(マツ)牽牛星    [上平声一東韻] 

金氣滿天漢, 金氣 天漢に滿ち,

牽牛対岸濛。 牽牛の対岸 濛(モウ)たり。

側足須織女, 足を側(ソバ)だてて織女を須(マ)つ,

只有素秋風。 只(タダ) 素秋の風のみ有り。

<体字表記> 

    等待织女牵牛星  

金气满天汉,牽牛对岸濛。

側足须织女,只有素秋风。

現代語訳> 

  <織り姫を待つ彦星> 天の河には秋気漲って、彦星の立つ河の対岸は霞んでいる。彦星は岸辺で爪先立ちして 織り姫の来るのを待っているが、ただ 秋風が吹きすぎていくばかりである。

 

 

 

 

秋4  (定家 秋・182)  (『新勅撰集』巻四・秋上・237)

 [歌題] 故郷萩 

故郷のもとあらの小萩いたづらに見る人もなしみさきか散るらむ 

 (大意) 故郷の小萩は、根ぎわの葉が疎らになっている、見る人もなくて空しく咲き、空しく散っているのであろう。 

<漢詩> 

  懷鄉胡枝子  鄉の胡枝子(ハギ)を懷(オモ)う   [上平声五微韻] 

故鄉庭上樹, 故鄉の庭上の樹,

根柢葉稀稀。 根柢(コンテイ)の葉 稀稀(キキ)なり。

紫葩無人見, 紫の葩(ハナ) 見る人も無く,

徒開復衰微。 徒(イタズラ)に開き 復(マタ)衰微(スイビ)すらん。                                                                                                                                                                                                                                                

<簡体字表記> 

 怀乡胡枝子  

故乡庭上树, 根柢叶稀稀。

紫葩无人见, 徒开复衰微。

現代語訳>

 <故郷の萩を懷う> 故郷の庭にある萩の木、根っこの葉は疎らに。赤紫の花は、見る人もなく、むなしく咲き、またむなしく散っているのであろう。

 

 

 

 

 

秋5 (定家 秋・186)  (玉葉集 486)

 [詞書] 夕べの心を詠める 

たそがれに物思ひをれば我が宿の荻の葉そよぎ秋風ぞ吹く

  (大意) 黄昏、物思いに耽っていると、屋敷の庭の荻の葉をそよがして秋風が吹く。

<漢詩> 

 孟秋黄昏心情    孟秋黄昏の心情     [下平声十一尤韻] 

黃昏時分暮雲收, 黃昏の時分 暮雲收(オサ)まり,

陷入沈思自休休。 沈思に陷入(オチ)いり自ずから休休(キュウキュウ)。

瑟瑟秋風撫摩面, 瑟瑟(シツシツ)たる 秋風 面を撫摩(ブマ)し,

垣牆荻葉搖様悠。 垣牆(エンショウ)の荻葉 搖様(ヨウヨウ)悠なり。

<字表記> 

 孟秋黄昏心情   

黄昏时分暮云收, 陷入沉思自休休。

瑟瑟秋风抚摩面, 垣墙荻叶摇样悠。

現代語訳> 

<初秋黄昏時の心情> 夕暮れ時分 暮雲が収まり、物思いに耽って心穏やかである。そっと秋風が吹き抜け 頬を撫でる、垣根の荻の葉が緩やかに揺れて、長閑である。

 

 

 

 

秋6 (定家 秋・188) 

  [詞書] 庭の萩 わずかに残れるを 月さし出でてのち見るに 散りにたるや 花のみえざりしかば    

萩の花暮れぐれまでもありつるが月出でて見るになきがはかなさ 

 (大意) 萩の花はつい先ほどの日暮れ時まではあったのだが、月が出てから見てみるとなくなっていた、何と儚いことだ。

<漢詩> 

    花生命短暫啊      花の生命の短暫(ハカナ)さ    [下平声六麻韻]   

庭前僅剩胡枝花、 庭前 僅(ワズカ)に剩(ノコ)る胡枝(ハギ)の花、

直到黃昏映彩霞。 直に黃昏到(マデ) 彩霞に映えていた。

月亮上昇来看見、 月亮(ツキ)上昇(ノボ)りて 来て看見(ミル)に、

応憐露水絕紛華。 応(マサ)に憐むべし 露水の如くに紛華(フンカ)絕えたり。 

<簡体字表記> 

 花生命短暂啊   

庭前仅剩胡枝花, 直到黄昏映彩霞。

月亮上升来看见  应怜露水绝纷华。

現代語訳>

  <花の命の儚ないことよ> 庭先にわずかに残る萩の花、つい暮れまでは、夕焼けに映えていて、美しかった。月が昇って、月下に見るに、まさに憐れむべし、儚く、美しい花はなくなっている。

[注記] この歌は、“実朝らしさを表す歌”として、諸家が評価する歌である。

 

 

 

秋7 (定家 秋・190) 

 [詞書] 槿(アサガオ)

風を待つ草の葉におく露よりもあだなるものは朝顔の花 

 (大意) 風が吹けば露が散る。その風前の露よりもなお儚いものは 咲くかと見れば直に萎れる朝顔の花である。

<漢詩> 

短暂命花      命の短暂(ミジカ)い花    [下平声一先韻] 

草葉露華鮮, 草葉の露華(ロカ) 鮮なるも,

待風起寒煙。 風を待ちて 寒煙起る。

牽牛花更憫, 牽牛(アサガオ)の花 更に憫(アワレ)なり,

剛開就萎蔫。 開いた剛(バカリ)で 就(ス)ぐに萎蔫(シオレ)る。

<字表記> 

 短暂命花  

草叶露华鲜, 待风起寒烟。

牽牛花更悯, 刚开就萎蔫。

現代語訳> 

  <花の命の短きこと> 草葉に置いた露は鮮やかであるが、風に遭うと忽ちに煙のように散ってしまう。アサガオの花は 露よりも一層哀れなものだ、朝に咲いたかと思うとすぐに夕には萎れてしまうのだ。

 

 

 

秋8 (定家 秋・192)  (『続後撰集』秋上・297)

 [詞書] 秋歌

朝な朝な露にをれふす秋萩の花ふみしだき鹿ぞ鳴くなる 

 (大意) 毎朝 降りる露の重みに耐えられず、花をつけた秋萩の枝は折れ伏すほどである。鹿は、落ちた花を踏みしだいて彷徨い 鳴いている。

<漢詩>  

 鹿找友鳴     鹿 友を找(モト)めて鳴く    [上平声八斉韻] 

朝朝露盈盈, 朝朝(チョウチョウ) 露珠(ロシュ) 盈盈(エイエイ)たりて, 

秋樹枝折傾。 秋樹 枝 折れ傾く。

雄鹿花踐踏, 雄鹿(オジカ) 花 踐踏(フミシダ)き,

彷徨山奧鳴。 彷徨(サマヨ)いて 山奧に鳴く。 

<簡体字表記> 

 鹿找友鸣     

朝朝露盈盈, 秋树枝折倾。

雄鹿花践踏, 彷徨山奥鸣。

現代語訳> 

 <友を求めて鳴く鹿> 朝な朝な 草木の枝には露が満ちて、秋の花木萩の枝も撓(シナ)っている。牡鹿は花を踏みしだき、山奥を彷徨い 友を求めて啼いている。

 

 

 

 

秋9 (定家 秋・210)  (新拾遺集 巻五 秋下 425)

 [詞書] 月歌とて 

天の原ふりさけみれば月きよみ秋の夜いたく更けにけるかな 

 (大意) 大空を仰ぎ見れば、月がさやかに輝いて、秋の夜がひどく更けてしまっているよ。

<漢詩>   

清澄月夜     清澄(セイチョウ)な月夜    [下平声八庚韻] 

仰望長天眼界清, 長天を仰望すれば 眼界(ガンカイ)清く,

月輪皓皓露晶晶。 月輪 皓皓(コウコウ)として露 晶晶(ショウショウ)たり。

無声氣爽月光徹, 声無く 氣 爽やかにして月光徹(トオ)る,

知是素秋已深更。 知る是(コ)れ 素秋(ソシュウ) 已に深更(シンコウ)。

<簡体字表記> 

    清澄秋月夜   

仰望长天眼界清, 月轮皓皓露晶晶。

无声气爽月光彻, 知是素秋已深更。

現代語訳>

  <澄んだ秋月夜> 澄み切った大空をふりさけ見れば視界は澄んで、円い月は皓皓として輝き、草葉に置く露滴がキラキラと輝いている。物音一切なく、外気は爽やかにして、月光が射しており、秋の季節、すでに夜更けの頃であるよ。

 

 

 

秋10 (定家 秋・221) 

  [詞書] 月前の雁 

天の戸を明け方空に啼く雁の翼の露に宿る月影  

 (大意) 天の戸が開く明け方の空に 鳴きつゝ群れをなして南に渡る雁の群れ、翼に置いた露に月影が美しい球のようにきらきらと輝いている。

<漢詩>  

 月前雁    月前の雁     [上平声一東韻]

月西拂曉空, 月は西に 拂曉(フツギョウ)の空,

邕邕雁如弓。 邕邕(ヨウヨウ)と啼きつつ雁の群れ弓の如し。

翅膀降珠露, 翅膀(ツバサ)に降(オ)く珠(タマ)の露,

輝輝月影籠。 輝輝(キキ)として月影 籠(コ)む。

<簡体字表記>  

 月前雁    

月西拂晓空,邕邕雁如弓。

翅膀降珠露,辉辉月影籠。

現代語訳> 

<月前の雁> 月が西の空に傾いている明け方、雁の群れが鳴き交わしつゝ 弓のような隊形をつくって飛んで行く。翼には珠のような露が降りて、月影を映してきらきらと輝いている。

 

 

 

秋11 (定家 秋・222)   (『新勅撰集』 秋・319〕

 [詞書] 海のほとりを過ぐるとてよめる  

わたのはら八重のしほぢにとぶ雁の翅(ツバサ)のなみに秋風ぞ吹く                    

  (大意) 大海原のその限りなく、幾重にも重なる波の塩路を 雁が列をなして飛んで行く。その雁の翼の波に秋風が吹きつけている。

<漢詩> 

 海上雁行     海上の雁行     [下平声八庚韻] 

汪洋大海亮晶晶, 汪洋たる大海 亮として晶晶(ショウショウ)たり,

重畳無垠潮路平。 重畳し無垠(ムギン)の潮路 平なり。

南去雁行風籟爽, 南に去く風籟(フウライ)爽(サワ)やかに,

秋風吹打翼波亨。 秋風吹打(フキツ)ける翼の波 亨(トオ)る。

<簡体字表記> 

  海上雁行    

汪洋大海亮晶晶, 重叠无垠潮路平。

南去雁行风籁爽, 秋风吹打翼波亨。

現代語訳>

  <海上に帰雁を見る> 洋洋たる大海 浪の華がきらきらと輝いている、幾重にも重なる無限の波の潮路、海面は穏やかに広がっている。南に向かう列を成した雁を遥かに見て 風音が爽やか、その秋風が雁の翼の波に吹き付け 雁行は順調に進む。

 

 

 

秋12 (定家 秋・223)  (『新後撰集』 291)

  [詞書] 海のほとりをすぐるとて 

ながめやる心もたえぬわたのはら八重のしほじの秋の夕暮れ 

 (大意) 大海原の、その限りない潮の流れを眺めているうちに 耐えがたい寂しさを感じた秋の夕暮である。

<漢詩> 

 秋天晚憂鬱  秋天 晚の憂鬱     [上声十三阮韻] 

大海茫茫穩, 大海 茫茫(ボウボウ)として穩(オダヤ)かに,

潮路無際遠。 潮路(シオジ) 際限無く遠し。

碧空遙望尽, 碧空(ヘキクウ) 遙かに望んで尽き, 

寂寞秋天晚。 寂寞(セキバク)たり秋天の晚(クレ)。  

<簡体字表記> 

 秋天晚忧愁  

大海茫茫稳, 潮路无际远。

碧空遥望尽, 寂寞秋天晚。

現代語訳>

  <秋の夕暮れの憂鬱> 大海原は広々として穏やかに、潮路は際限なくはるかに遠い。蒼空は遥かに望む所まで広がり、寂しさを覚える秋の夕暮れである。

 

 

 

 

秋13 (定家 秋・228) 

 [詞書] 田家夕雁 

雁のいる門田の稲葉ちそよぎたそがれ時に秋風ぞふく 

 (大意) 秋の黄昏時、遥かに見る大空には南に渡る雁の群れが目に入る。あばら屋の門前に広がる田園では 稲穂が秋風にそよと揺れている。

<漢詩> 

田家傍晚       田家の傍晚    [下平声七陽韻] 

火焼雲間群雁翔,火焼雲(ユウヤケグモ)の間に 雁の群が翔んでいる,

田園瞭望映金黃。田園 瞭望すれば 金黃(コガネイロ)に映える。

威威搖動門前景,威威(ソヨソヨ)と搖動(ユレ)ている門前の景,  

佳節清商掠稲粱。佳節の清商 稲粱(トウリョウ)を掠(カス)めてあり。

<簡体字表記> 

田家傍晚       

火烧云间群雁翔, 田园瞭望映金黄。

威威摇动门前景, 佳节清商掠稻粱。

現代語訳>

  <田舎の夕暮れ時> 夕焼雲の雲間に雁の群れが飛んでおり、田園遥かに見渡せば、黄金色に映えている。門前で そよそよと稲穂が揺れ動いており、爽やかな時節、秋風が稲を掠めて吹き渡っているのだ。

 

 

 

 

秋14 (定家 秋・237)   (『新勅撰集』 秋・303)

  [歌題] 鹿をよめる 

雲のいる梢はるかに霧こめてたかしの山に鹿ぞ鳴くなる 

 (大意) 雲の掛かっている梢を 見渡す限り遥かに霧が籠めて、高師山に鹿が鳴いている。

<漢詩> 

    聞鹿     鹿を聞く    [入声一屋韻]   

峨峨高師岫, 峨峨(ガガ)たり高師(タカシ)の岫(ヤマ),

雲翳罩山腹。 雲翳(ウンエイ) 山腹に罩(カカ)る。

梢外霧弥漫, 梢外(サンガイ)に霧 弥漫(ビマン)し,

呦呦鳴叫鹿。 呦呦(ヨウヨウ)と鹿 鳴叫(ナ)く。

<簡体字表記> 

  闻鹿      

峨峨高师岫, 云翳罩山腹。

梢外雾弥漫, 呦呦鸣叫鹿。

現代語訳> 

  <鹿の鳴くのを聞く> 高く聳える高師の山、中腹に雲が覆うってあり。梢の向こうでは霧が一面に立ちこめていて、山では鹿が鳴いている。

 

 

 

 

 

秋15 (定家 秋・243)  (『続千載集』秋・下・284)

[詞書] 名所秋月

さゝ浪や比良の山風さ夜深(フケ)て月影さむし志賀の唐崎 

 (大意) 比良山から山風が吹き下ろす中、夜更けて 月が寒々と照らしている志賀の唐崎である。

<漢詩>

   名勝秋月    名勝の秋月     [上声二十三梗韻]   

比良山風過, 比良の山風 過ぐ,

松籟清涼境。 松籟(ショウライ) 清涼なる境(トコロ)。

志賀唐崎畔, 志賀の唐崎の畔(キシベ),

夜深寒月影。 夜深くして 寒き月影。

<簡体字表記> 

   名胜秋月  

比良山風过, 松籁清凉境。

志贺唐崎畔, 夜深寒月影。

現代語訳>

  <名所の秋月> 比良の山から山風が吹き下ろし、麓では爽やかな松籟が響く。志賀の唐崎の岸辺には、夜更けて 寒々とした月影が映えている。

 

 

 

 

 

 

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