[三十四帖 若菜上-2 要旨] (光源氏 39歳冬~四十一歳春)
新年、明石の女御の産気が近づいて、六条院では読経が元日から始められていた。明石夫人は、これまで姫君の誕生当時の事情など話したことはなかった。明石の尼君が、時に姫君の側を訪れては、涙ながらに昔の話をするのであった。
女御は、自らをれっきとした家柄の子であると思い込んでいたが、尼君の話から明石の田舎で生まれたことを知って愕然とする。尼君は立派な美しい姫君に視線をやって、感激の涙をながして、次の歌を認めた。姫君も堪えがたくなって泣きつつ返歌する。
老いの波 かひある浦に 立ち出でて
しほたるるあまを たれか咎めん (尼君)
三月の十幾日、明石女御が春宮の第一皇子を出産します。かつて葵の上の経験から、出産を危ないことのようにして、多くの祈祷が神仏に捧げられていたが、大した苦しみもなく、しかも男宮の誕生である。
養祖母の紫の女王は始終皇子を手に抱き、実祖母の明石夫人は産湯の仕度などにかかっている。両祖母の若宮を愛する気持ちの交流が暖かい友情までも育んでいるのである。宿願がかなった明石の入道は、この幸運が夢に予言されていたことや、住吉神社など神仏への祈願等々、さらに自らの消息は不問に付すこと等 尼君に長い手紙を認め、山に入り消息を絶つ。
春うららかな日、六条院で蹴鞠が催された。その最中、走り来た唐猫が偶然にも女三の宮の部屋の御簾を引き上げ、柏木が女三の宮の姿を垣間見ることができた。以来、柏木は女三の宮に懸想する。
本帖の歌と漢詩
ooooooooo
老いの波 かひある浦に 立ち出でて
しほたるるあまを たれか咎めん (尼君)
[註]○かひ:甲斐と貝の掛詞; 〇波、かい、浦、しほ、あまは、縁語。
(大意) 長生きしたかいがあって、こうした晴れがましきに出逢って 嬉し
涙で泣いている、だからと言って この海女(尼)を誰が咎めることが
できましょう。
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<漢詩>
喜悅眼淚 喜悅眼淚 (ウレシナミダ) [上平声四支韻]
乃知長寿效, 乃(スナワ)ち知る 長寿の效(コウ),
遇到絕佳時。 遇(タマタマ)到(デア)う絕佳の時。
惟落歓喜淚, 惟(タダ)に落つ 歓喜の淚,
誰訶此老尼。 誰か訶(トガメ)ん 此の老尼(ロウジ)を。
[註] ○效:効果、甲斐; 〇絕佳:ずば抜けてすぐれた。
<現代語訳>
嬉し涙
まさしく長寿の甲斐を知る、偶然にも素晴らしい時期に巡り逢えたのだ。唯に喜びの涙が流れて止まない、この老尼を誰が責められようか。
<簡体字およびピンイン>
喜悦眼泪 Xǐyuè yǎnlèi
乃知长寿效, Nǎi zhī chángshòu xiào,
遇到绝佳時。 yù dào juéjiā shí
惟落欢喜泪, Wéi luò huānxǐ lèi,
谁诃此老尼。 shuí hē cǐ lǎo ní.
ooooooooo
尼君の昔話を聞いた明石の女御は、尼君の案内で明石の浦を尋ねてみたいと、次の歌を詠う。
しほたるる あまを波路のしるべにて 訪ねてもみばや 浜の苫屋を
(明石の女御)
[註] ○しほたるる:しずくが垂れている、みすぼらしいようすの。
(大意) 泣いている尼君に海路の案内をしていただいて 私の生まれた浜の
苫屋を尋ねてみたいものです。
【井中蛙の雑録】
〇『蒙求』と『蒙求和歌』-4 8句が一塊/接着剤は“韻” -(1)
蒙求は596句からなるが、8句一塊の集合とみることが出来ます。その頭書の8句を下に示しました。
1王戎簡要、裵楷清通。孔明我龍、呂望非熊。
5楊震関西、丁寛易東。謝安高潔、王導公忠。
この集合体を一塊として繋ぎ留めているのは“韻”(字)です。即ち、“対”にした四字句で偶数番の句の最後の文字、上記例では赤字で示された文字、それらは、同一韻目、この例では‘上平声東韻’に属しています。
漢詩の形の五言律詩、七言律詩に倣って言えば、この一塊は“四言律詩”
と言えようか。