本書のテーマである「日本的編集方法」の探究とははなれて、松岡氏の指摘のなかで印象に残ったものをご紹介します。
まずは、松岡氏による「徳川時代の意味づけ」です。
(p155より引用) 徳川時代は実に多くのことを試した時代でした。明が倒れ、鎖国がなかったらこうはならなかったかもしれませんが、まさに国産化が試され、芝居が試され、農事が試され、染めが試され、浮世絵が試され、思想が試され、メディアが試されています。しかもそれらをいま眺めても、そのほとんどがそれぞれ究極の仕上がりに近くまで達していたのではないかと思えます。・・・
徳川時代ほどに文化実験的な創発力が熟成していた例は、世界史上でもめずらしかったと思います。
明の衰退によって、徳川幕府が基軸にしようとしていた中華思想・儒教思想の基盤が失われてしまいました。そこから鎖国・日本国内重視の動きが始まり、自給自足体制の充実という徳川幕藩システムが立ち上がったのです。その中で、あらゆる分野での国内実験が進んだというわけです。
事象をシンプルな基本コンセプトで切り出し、それらの関連性の中で位置づけ、意味づける説明ぶりは、私も常々身につけたいと思いながらもまだまだ全く至りません。
その他の興味深い指摘としては、日本の外交・渉外面でのダイナミズムの欠如の原因を「法の成り立ち」に求めている点がありました。
(p216より引用) 日本はつねに「判例法」や「慣習法」を重視してきた国で、どんなことも実態を見てから法令をくみあわせて切り抜けてきた。
これに対してアメリカなどは、制定した法が新たな現実そのものになっている。法は理想であって、かつまた現実そのものなのです。・・・
日本ではめったにこういうことはない。少年犯罪が多くなると少年法の対象年齢を下げ、構造設計のミスが多いとその基準を変えるわけで、現実のあとを追いかけるのが法律なのです。
最後に、これは松岡氏の著作でよく触れられている「引き算の文化」についての指摘です。
本書では、明治期の哲学者清沢満之の「消極主義」「二項同体」の思想の説明の流れで登場しています。
(p245より引用) 二項同体、消極主義、ミニマル・ポシブル‐。まさに「日本という方法」です。私たちの先祖たちは、水を感じたいからこそ枯山水から水を抜いたのです。墨の色を感じたいから、和紙に余白を担ってもらったのです。それはすべてを描き尽くす油絵とは異なります。油絵は白を塗って光や余白をつくるのですが、日本画は塗り残しが光や余白をつくるのです。
日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス) 価格:¥ 1,218(税込) 発売日:2006-09 |