本書において、藤井氏は、自身の多彩なビジネス経験にもとづくリアルな課題認識を紹介しています。その中には、いままでもいろいろな人が既に指摘しているものもあれば、藤井氏流のユニークな視点によるものもあります。
そういう藤井氏の示唆の中から、私が興味をいだいたものをいくつか書き留めておきます。
まずは、時折日本で見られる「会社は誰のものか」という議論についてです。
このひとつの答えは、当然「株主のもの」ですが、そう答えても何の意味もないと藤井氏はいいます。問いの立て方に問題があるというのです。
(p181より引用) グローバルなエクイティ資本が日本企業に入ってくる際の問題の定義は、「会社が外国人のものになる」ことではなく、「短期収益性の要求」と「経営陣を変える要求」に対処する準備ができているか、という点にフォーカスすべきなのだ。
「誰のものか」という「所有者」を確定しても何のアクションにも結びつきません。「外国人株主の支配」が一体どういう問題状況を生じさせるのか、それを明らかにするような問い立てにすべきとの指摘です。
もうひとつ、日本企業の経営者がよくいう「現場主義」についての藤井氏のコメントです。
藤井氏は、「現場尊重」と「現場至上主義」との違いという形で説明しています。
(p198より引用) 「現場尊重」は絶対忘れてはならない日本の国際競争力の骨太の源泉だ。・・・
私が警鐘を鳴らすのは、現場を束ねる上部のガバナンス機構にも、現場がすべてであり、現場にすべての解があり、現場さえちゃんとしておれば大丈夫といった「現場至上主義」の考えが強すぎることである。・・・
私の考える「現場至上主義」の弊害は、それがレバレッジの効かない考え方であることと、大きな構図を変える際に現在に縛られた考え方に陥りやすい点である。
「現場重視」という考え方は、往々にして「現場力」を活かす「戦略構築力」への無関心・無理解に繋がりかねません。一朝一夕には育てることができない「現場力」という貴重な強みを、めまぐるしく変化する経営環境の中で活かすには、現在日本企業のマネジメント層の「構想力」があまりにも弱すぎるとの指摘です。
著者は、日本人の思考様式に根深く存在する「正解信仰」からの脱却を強く求めています。
「正解信仰」は「完璧主義」に繋がります。「完璧主義」は失敗を恐れ、また自らが傷つくのに過敏になります。
(p240より引用) 自分は間違っているかもしれないし、自分より優れた意見があるかもしれないと考えられる人は心に余裕があり、自分に本当の自信がある人である。
このような人は自分の論理を攻撃されても、自分の人格まで攻撃されているとは受け取らない。他人の意見も取り入れて、自分の意見をさらに進化させたいと思っているからである。
どこかにある「普遍的な正解」を求め、少しでも100点に近づこうをするのではなく、正解が既定されていない一人ひとりの「個別解」を求めて自らチャレンジし続けること・・・、本書を通じて著者が訴えるメッセージです。
最後に、今回のアメリカ発の金融危機についての著者のコメントです。
(p207より引用) 英米の多くのエリートは「汗水流さずに頭を使って金持ちになれる」ウォール街やシティの金融機関に職を求める。このような強欲なエリートたちが、地道な製造業の生み出す付加価値をないがしろにし、他人の生み出した付加価値をいかに安く買い、他人に高く売りつけるかに莫大な知恵をめぐらせているうちに、気がつくと誰も実体がわからなくなった巨大なバブルの上で火遊びをしていたのが今回の金融危機の本質だ。
「人の金で自分だけが儲ける」「自分はリスクをとらず、弱者に損の付回しをする」・・・、そういう仕掛け作りのためにのみ頭を使う。
今回の現象が、いわゆる現代的「エリート」が目指した「個別解」のゴールの行く末だったとすると、「個別解」の暴走を抑止する「普遍的な思想」が必要だと思うのです。
グローバル・マインド 超一流の思考原理―日本人はなぜ正解のない問題に弱いのか 価格:¥ 1,680(税込) 発売日:2009-01-17 |
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