本書の帯に書かれているキャッチコピーは「『グーグル化』でヒトはバカになる」。かなり挑戦的でセンセーショナルですね。
実際、このグーグルについては、第8章「グーグルという教会」というタイトルの章で取り上げられています。
そこでは、グーグルの基本思想を、機械工業の効率化を推し進めたテイラーの考え方になぞらえて説明しています。グーグルの教条は「テイラー主義的倫理」だというのです。
そして、その教条にもとづき、グーグル社は「オンライン広告の販売及び普及」というメインビジネスを営んでいます。
(p223より引用) いっそう多様なタイプの情報をデジタル化し、ウェブ上へと移動させ、データベースに取りこみ、同社による分類とアルゴリズムを通過させ、同社の呼び名で言うところの「断片」のかたちにし、できれば広告を付けたかたちでウェブ・サーファーに分配することだ。
グーグルはすべての情報をネット内にデータベース化しようと試みています。
こういった現状は、「検索しさえすれば必要な情報はすぐに入手できる、外部データベースは、人間の脳による『記憶』を不要にするものだ」と考える人を生み出しています。そして、そう考えている人々は、記憶の外部化により「人間の脳を記憶という負荷から解放し、そのリソースを創造的な思考に振り向けることができる」と主張するのです。
この考えは正しいのでしょうか。
(p265より引用) 長期記憶を貯蔵しても、精神の力を抑えることにはならない。むしろ強化するのだ。メモリーが拡張されるにつれ、われわれの知性は拡大する。ウェブは、個人の記憶を補足するものとして便利かつ魅力的なものであるが、個人的記憶の代替物としてウェブを使い、脳内での固定化のプロセスを省いてしまったら、われわれは精神の持つ富を失う危険性がある。
ウェブの効果は、むしろ人間の高度な論理的思考能力のリソースを奪うというのが著者の主張です。
(p269より引用) 記憶を機械にアウトソーシングすれば、われわれはみずからの知性、さらにはみずからのアイデンティティの重要な部分までをも、アウトソーシングすることになるのだ。
そうですね。やはり人間の知的営みにおいては、外部データベースを補完的に活用することがあったとしても、やはり「自己の脳」の活動が主人公であって欲しいものです。
さて、本書ですが、読み通してみて興味深い点が数多くありました。
流れとしては、神経可塑性に関する生化学や文字・印刷・出版等の歴史等を辿ってから、インターネット時代の知的探索活動について論を進めていきます。ちょっと迂遠な立論のような印象も抱きましたが、まさに、そういった構成自体が、旧来のテキストメディアのよさを自己証明しているようにも感じられますね。
ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること 価格:¥ 2,310(税込) 発売日:2010-07-23 |
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