本書は、タイトルそのままの「幸福論」だと思って読むとちょっと感じが違うと思うでしょう。
幸福も含めた「こころ」「気持ち」についての哲学的エッセイのような風情です。
たとえば、こんなくだりがあります。
(p171より引用) 幸福は自分の影のようにわれわれが追い求めても逃げて行くと人は言う。しかしたしかに、想像された幸福はけっして手に入れることができない。でも、つくり出す幸福というのは、想像されないもの、想像できないものなのだ。・・・希望などは棚にあげて、信念を持つことである。壊すこと、そしてつくり直すこと。
アランは、「思考」の中で「幸福」を論じることを是としてはいないようです。「考えよう考えよう」とすると、かえってその思考の虜になってしまって、結局のところ「幸せになるにはどうすればいいのか」と問い続けてしまう、すなわち、際限のない思索の谷間に落ち込んでいくとの危惧を抱いているのです。
それ故に、本書に採録されている多くのコラムでは、アランは、あえて行動や体の動きという視点から、幸福の実現を語っています。
幸福ではない状態のひとつは「憂鬱」です。アランが勧める憂鬱から脱する方法も、やはり「思考」ではありません。
(p172より引用) 憂鬱な人に言いたいことはただ一つ。「遠くをごらんなさい」。憂鬱な人はほとんどみんな、読みすぎなのだ。人間の眼はこんな近距離を長く見られるようには出来ていないのだ。広々とした空間に目を向けてこそ人間の眼は安らぐのである。・・・自分のことなど考えるな、遠くを見るがいい。
「遠くを見る」というは思想スタイルの比喩ではありません。真に、夜空の星や水平線といったような遠くの風景を見ることが、思考の狭窄から心を解放させることになるとの論なのです。
ともかく、頭を使うことより、行動です。その点では、読書に解決策を求めることも、アランは否定します。
(p173より引用) 書物の世界もまた、閉じた世界、あまりに目に近い、あまりに情念の近くにある世界なのだ。思考がとらわれて、身体がうめく。なぜなら、思いが縮まるということと、身体が自分自身とたたかうこととは同じことであるから。
本書の最後のあたりに「幸福になる方法」というタイトルの章があります。ここに記されている「方法」とはこうです。
(p307より引用) そのための第一の規則は、自分の不幸は、現在のものも過去のものも、絶対他人に言わないことである。・・・自分について不平不満を言うことは、他人を悲しませるだけだ、つまり結局のところ、人に不快な思いをさせるだけだ。
苦しみを語ることは、人に嫌な思いをさせるとともに、自分自身もそれだけ長く不幸を感じ続けるということなのです。
さて、本書を読み通しての感想です。
こういったコラムが新聞の連載になるというのも、すごいことですね。そもそも新聞というメディアの位置づけが今と異なっていたのかもしれませんし、その当時の世情でもあるのでしょうね。
私レベルの知識と感性では到底全編頭に入ったとは言えませんが、確かに深遠で興味深い内容のものが数々ありました。とてもユニークな著作だと思います。
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幸福論 (岩波文庫) 価格:¥ 840(税込) 発売日:1998-01-16 |