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いつも聴いている大竹まことさんのpodcast番組に著者の頭木弘樹さんがゲスト出演した際に紹介された本です。
頭木さんの著作は以前にも「NHKラジオ深夜便 絶望名言」「NHKラジオ深夜便 絶望名言2」を読んだことがありますが、とても大切な視点からご自身の考え方をしっかりと開陳する姿勢が印象的でした。本書は、その頭木さんの初エッセイ集とのことで手に取ってみました。
期待どおり数々の興味深い指摘やエピソードの紹介がありましたが、それらの中から特に私の関心を惹いたところをいくつか書き留めておきましょう。
まずは、巻頭の「言葉にできない思いがありますか?」とタイトルされた小文から。
(p16より引用) もやもやした思いを、言語化するのは難しい。
不可能な場合もある。
それなのに、話し合いで解決しようとすると、言語化できることだけでの解決になってしまう。
しかも、言葉というのは手品を仕込むことができるから、手品のうまいほうが勝ちになってしまう。 ・・・
話し合いで解決というのは、とんでもないな、というのが小学生のときの印象だ。
そのときから、「うまく言えない」ということが気になるようになった。うまく言えないことの中にこそ、真実があると感じるようになった。うまくしゃべれない人に、とても魅力を感じるようになった。
私も、旗色が悪くなると言葉(理屈にもならないような理由)で相手を言い包めがちなので、かえって「ほんとはそうなんだよね」と、この感覚はよくわかります。
そして、もうひとつ、心当たりのある状況。
(p24より引用) 思わず口にしてしまった言葉は、本心であることが多いだろう。
しかし、100%ではない。
私の場合のように、心にずっと秘めていたことを叫んだとしか見えないが、じつは心の中にまったくないことだった、という場合もある。
そう、不思議なことに、やりとりのテンションが高じてくると、思ってもいないことが口から出てしまうことはあるんですね。
別の著書「絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ: 文豪の名言対決」で頭木さんは、 “弱いもの” “小さいもの” に思いを致すカフカを紹介していますが、本書での基本的な立ち位置はその “弱者の視座” です。
“弱者” は他の人々からの “親切” “配慮” を受けなくては暮らしていけない。
そういった親切を受けると、弱者は感謝するが、親切をした側の人々にはいろいろなタイプがある。中には(無意識の中で)感謝を求める人いる。もし、弱者から感謝の言葉や態度がないと、親切をした側は、かえって不快に思ってしまう。だから、(弱い立場の人は)親切を受けたら感謝しなくてはならない・・・。果たして、そうでしょうか???。
感謝することを否定するわけではありませんが、“親切は当然、感謝は不要(感謝の気持ちを表に出さない、感謝の態度を求めない)” という世界の方が本来的には望ましいのではないかと、頭木さんは思っています。そうですね、“感謝” は決して強いるものではないでしょう。
こういった考え方は、 “弱者の思想” ではなく “人間の理想” なのかもしれません。
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