せっけい日和

MKデザインスタジオ一級建築士事務所柿本美樹枝のブログです。設計者として、生活者として、多用な視点で綴っています。

祈りの力、願いの力、信じて冬を迎える。

2022年12月12日 | ワークライフハッピー


日が暮れるのも、早くなって参りました。
冬至に向けて、陰が極まる季節です。

冬至の際に、朝日が登ってくる方向に、
鳥居が設けられた近くの神社。

マイ、パワースポットです。



安産祈願も、コロナ感染予防の願掛けにも通った祈願の場所。
この秋、早朝に祈ることを日課として再開しました。

祈りの力は、非科学的と思われる方も多いでしょうね。

それでも、新年には、初詣と称して、
願いを叶えにお参りに行くことは
毎年、恒例になっている方も
多いのではないでしょうか。

この、祈りの力と、願いの力は、
何が違うのでしょう?

本日は、建築のはなしというよりは、
「場の持つ役割、心の置きどころ」のような話を綴ります。

私自身は、いつの間にか、神社では、
「祈る」ことに重点を置くようになりました。

あれを叶えたい、これをやりたい、、
と自分の潜在的な想いに自分自身で問いかけるのは、
新月祈りの習慣で行っているので、

近くの氏神様のおられる神社には、
自分のこと以外の願い=祈りを行う場所
として訪ねます。

その作法が、良いのかどうか、

誰かに教えてもらったわけでもないのですが
自然と、自分の心の整え方で、そう落ち着いております。

今、また早朝神社もうでを始めたのは、
母亡き後の父の具合が芳しくないからです。

神にすがるというのではなく、
神に祈る。。。

それは、家族やクライアントさんや
友人知人などに対して、
自分自身で出来る行動と
できない行動があるからです。

出来ることは行動し、それ以外は、
私のできない部分に
関わってくださっている方への感謝と、
その方達が、気持ち良く関わってくださるように
祈るのです。

そして目に見えない力を感じながら
心を整えるためです。

この「祈りの力」の効果を実感したのは、
母の闘病生活での毎朝の神社詣です。

日本の医療の技術もさることながら
一人当たりにかかる人の手の多さ。
介護にしても。

多くの方への感謝と、治療を受ける本人への
パワーを送るような気持ちで祈る。

そういったことが、
決して効果がないということではないことが
その後、書かれている書物にも出会いました。

医療関係者によれば、
うつ病に関しても治りの早い人は、やはり
家族の支えがある方だそうです。

なんといっても、孤独や空虚感、不信感などが
蓄積されていく病気だと思うので、
その逆の感覚が必要なのかなとも思います。

そして、どの病気にも
言えることなのではないでしょうか。

祈りの力の良いところは、
自分自身も癒されることです。

病を抱えた家族と接するとき、
それはそれは、多量のエネルギーを使います。

心身ともに、自分自身が疲弊しないためにも
必要だと感じています。自然を愛でることも。



そして、今日なんと、もう一人分
祈ることが増えました。

義母が倒れました。
私が熊本から戻り、何となく具合が悪そうだなと感じ

心配していたところ、頭が痛いけど、熱はないから
病院に通うほどではないと言います。

しかし、高齢なので、一度、かかりつけ医に行き、
大きな病院を紹介してもらって検査した方が良いですよ

と、伝えると、月曜日には行くから、、、

その月曜日の今朝、嘔吐し、そのまま意識を失いました。

嘔吐物が喉に詰まらぬよう、横にして支えながら、
救急車を呼び、意識が無いということで、
消防車まで来てくれました。

今、こうしてブログを綴っていられるということは、
入院して、急ぎ手術できたからです。

間に合ってよかった!有難いことです。
ですから、明日から、二人分、祈ってまいります。

病院の方々に、感謝してまいります。

本来は、週末に出会った芸術の世界を綴るつもりの
月曜日でしたが、今日は急遽、
プライベート満載の話を綴らせてもらいました。

消防救急車、タクシー、病院の皆様
本当にありがとうございました。

これまで、支えてくれた義母には、
出来るだけのことをして参ります。


建築の原点を探る旅、哲学堂

2022年12月05日 | 模型・実験・見学・講習・イベント


先週末のヘリテージマネージャーの講習会で訪ねた
熊本の三軒堂。

その設計のモデルとなった建築が、「中野区にある
哲学堂であろう」という学芸員さんの説に従い、

今回の休日は、哲学堂へ足を運んだのである。
紅葉の真っ盛り。

公園の一角にあることから、こちらもでも素敵な
秋の風美を味わうこととなった。

特別に古建築解放デーとあって、
マイナーな場所の割には、人が多かったのではあるまいか。

公園内は、散策の親子ずれや、野鳥撮影のカメラマンなども
ちらほらの見受けられたが、

公園の一角にある野球場での試合における
小学生の野球チームの子どもたちの賑わいが一番であった。

一般にも貸し出しているという木造の邸宅は、
野球チーム保護者控室として利用されていた。

地域の形とっては、当たり前の風景なのかもしれない。

さて、それにしても、どの建物も大変ユニークであった。
「哲学」を基にした建築の、寄せ集めとなっているこの場所。

賢人を敬い、精神修養をする場所としての建築。

これまで、様々な建築を見てきたつもりだったが、
このような、個人の思いから作られ、そして維持管理されながら

今日まで、生かされてきた建築のそのまた歴史を垣間見るのは
初めて出会った。

そして、直感した。


やはり、熊本の三軒堂は、この場所、この施設、この思想を
絶対に意識したと。

大正から明治にかけて、整備されたこの地を
きっと訪ねて参考にしたに違いない。

特に、平面は正方形に近い建物の角から入り、
45度に振られた四角形の中に、銅像が建っている様は、

三軒堂で、賢人達に対面した時と
同じ感覚になったからだ。名前も「宇宙館」(大正2年)



三軒堂も、「大宇宙を象徴し、大神州を表現す」と神鏡に
刻んである、そうなのです。(参考:安達謙蔵自叙伝)

一方は、円形の建物だが、
このアプローチの手法は非常に似ていると言わざるを得ない。

古い建物は、ただ古い。。。としか
見ていなかった若かりし頃。

歴史、哲学、思想、宗教、学問、、、、
さまざまなものが絡み合って出来上がるのが建築だと今は分かる。

「六賢台」は、狭い空間のため、定員が3名で換気も悪いため、
密になるのが御法度なご時世を鑑み、残念ながら非公開であった。



入って見たかった!
瓦屋根の天狗はユニークでしたけどね。

それにしても、門の左右が阿吽の仁王像ではなく、
幽霊と、天狗というユニークさ。
実は梅の木に幽霊が出るらしい。




ここの建主、哲学館大学(現東洋大学)創設者の井上円了氏は、
なんと妖怪博士でもあったとか。

鬼灯篭


裏にまわれば、なんと褌姿。


哲学的散策の仕掛けがあるのに加えて、
妖怪も配置されているらしい。

しかし、「77あった見所ポイントは、50箇所程度になってしまった」
とおっしゃるのは、公園ボランティアガイドさん。

理由は、洪水(水害)らしく、
流されてしまった場所もあるのだとか。
長い歴史の中では、そういうことも起こりうるのだった。

解放されていた古建築のなかで最も気に入ったのが
読書堂の役割をしていた「絶対城」(大正4年)


まったく、お城の形ではないのに、おかしなネーミングと
思って、中に入って、その理由が述べられていた。

「読書は、絶対の妙境に到達する道理」なのだそうだ。
ここでは1階が書庫で、2階は吹き抜けを囲んで畳がひかれてある。


ここに座って、読書したのだろうか。。。
天窓の明かりと、窓から見える自然。すごく良い。



そして、婦人部屋というのは、当時はまだ女性が学問をするのが
許されていなかった時代。女性が籠って読書する場所というのが
設けられていた。広さにして、2畳ほど。



狭いけど、むしろ、集中できそうだ。

この回廊型の、読書のための建物が、
いっぺんに好きになる。

外観は、洋風だが、使い方も最先端をいっていたのだろう。

三軒堂の建築的な参考は、四聖堂や六賢台であったと思われるが
思想は、この場所も踏襲されているに違いない。

三軒堂では、女性も一緒に講和に参加できていたのか
不明だがそうであって欲しいと思う、、、。

建築の不思議を、探る旅であったが、
おもがけず、私には収穫となった。

「建築のモノづくりには、哲学が必要だ」

とは、昨今、大先輩が講演会で述べられたばかり。

私自身は、思想が必要だと思っている。
どんな発想力も、その人の思想がなければ生まれてこない。
形だけではダメなのだ。

使い方、運営の仕方、空間から何を感じ取って欲しいのかまで、
一生懸命に考えてこそ、きっと構成まで残るのだろう。

久しぶりに、納得した建築めぐりとなったお天気にも恵まれた
昨日の日曜日。

と、ここまで、綴っておいて、夜更かししているのは
もちろん、サッカーW 杯にて日本を応援するためです。

こちらは、監督の緻密な作戦とアスリートの鍛錬
そして、チームワークの結果によるものですね。

会場が、亡くなった女性建築家
ザハ・ハディットのスタジアムであることもあり、

今晩、いえ今朝は張り切ってTVの前にいようと思います。
頑張れ!日本。