この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

帰ってきた映画『ガタカ』、最終考察リターンズ、その2。

2018-11-29 21:14:01 | 日常
 昨日の記事の続きです。

 自分はジェロームが自ら命を絶ったのはヴィンセントが生きて地球に帰らないと思ったからだと考えています。
 そしてジェロームが残した大量の検体サンプルは偽物だったに違いない、そう睨んでいます。

 しかしここでは一旦その考えを取り下げましょう。
 ヴィンセントが見事タイタンでの任務をやり遂げ、一年後に地球に帰還したときのことを想像してみしょう。

 地球に帰還したヴィンセントはまず誰よりも先にジェロームに無事生還したことを報告しようとするでしょう。
 しかし当然ジェロームとは連絡は取れません。
 ただこのときはヴィンセントもそこまで深刻には考えないでしょうね。どこかに旅行にでも出かけているのかな、ぐらいで。
 自宅であるアパートメントに帰り着き、ドアを開けたときに異変に気づきます。
 やけに焦げ臭い匂いがする…。
 異臭をたどり、焼却炉の扉を開け、そしてジェロームの変わり果てた姿を目にします。
 そのとき彼は何を思うでしょうね。
 大変なショックを受けるのは間違いないでしょう。
 呆然自失となるか、半狂乱になるか、ともかくまともな精神状態でいられないはずです。
 そんな精神状態でヴィンセントがこの先タイトロープの上を渡るようなガタカでの生活を送れるとは思えません。

 ヴィンセントが無事に地球に生還するということは彼がジェロームの死体の第一発見者になるということに他ならないのです(少なくともその可能性は否定できない)。
 自分はそのようなアフターストーリーは望みません。

 自分はジェロームが自ら命を絶ったのはヴィンセントが生きて地球に帰らないと思ったからだ、と述べました。
 しかし仮にジェロームがヴィンセントは地球に戻ってくると思っていて、それでも彼に死ぬ理由があったとすれば、彼はきっとヴィンセントに彼の死を知られぬ方法で死んだに違いない、そう思うのです。例えば異国の砂漠で、極北の地で、人里離れた森の奥で。
 もちろん基本的に移動の手段が車いすである彼が遠出をすることは困難に決まっています。
 しかしそれは困難であっても不可能ではないはずです。最悪人を雇って連れて行ってもらえばいいのですしね。
 彼が死に場所を二人が暮らしたアパートメント(の焼却炉)を選んだことが彼がヴィンセントは生きて地球に帰らないと考えた何よりの根拠になる、そう自分は考えます。

 検体サンプルが偽物であると考えたのもそこからきています。
 ヴィンセントが二度と地球に帰らないと考えたのであれば、あえて本物の検体サンプルを用意する必要はないですからね。

 なぜ『ガタカ』を見た多くの人がヴィンセントは宇宙飛行士になるという夢を見事叶えたのだ、と考えるのか何となくわかります。
 人は知らず知らずのうちに物語にハッピーエンドを求めるのでしょう。
 その気持ちはわからないでもない。
 ただあまりにその気持ちが強いと物語の本質を見誤ることになります。
 『ガタカ』は決して、努力をすれば夢は叶うというようなスポ根的なお話ではないのです。
 でもだからこそ、自分は『ガタカ』を見るたびに泣けて泣けて仕方がありません。

 先日、考察について思うことを書きました(こちら
 簡単にまとめると、考察において重要なのは①素直に丁寧に情報を読み取ること、②常識に従うこと、③欠落した個所を想像すること、その三つです。
 
 『ガタカ』がどういうお話なのか、本質は何か、考察する際の三つのポイントを念頭に入れて考えてみてください。
 今まで思っていたのとは違う、別の『ガタカ』が浮かび上がってくるはずです。
コメント (5)
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