橋下大阪府知事が快調だ。最近も、高校生を前にして、国歌と国旗の必要性を説いた。ちょっと前に、日教組の先生方と議論をして、かなりのヤジを浴びていた。
教育問題に熱心なのだが、それ以上に彼の世代が感じているタブーに挑戦しているようでもある。
国歌と国旗のことについて、なにも教えられてこなかった。その重要性は大人になって分かるのだが、なぜ教育の中でそれが行なわれないのか。そういった基本的な疑問を提示している。
一般の国民はほとんどそう思っている。しかし教育現場で忌避されてきた。なぜかは、不必要な軋轢を避けたいからだ。
日教組とそのシンパが現場を牛耳り、校長や教育委員会などの管理者がそうしたいと思っても、思うようにいかない。かえって混乱を招く。それならしない方がいい、という判断でずっと来てしまった。
だから、教育現場では、国家や国歌・国旗がタブー視されてきた。被害者は生徒である。平等と自由、権利だけを教えられ、社会人として常識、つまり国民としての義務を教えられなかった。つまり、労働の大切さ、納税の義務、社会道徳などなど。
現在の引きこもり、ジコチュー、身なりの乱れなど、親の教育と合わせて、ここに原因があるのだろう。
それを教えれば、いつか来た道に、とヒステリックに叫ぶ一群の人々がいる。それをさせないことによって、自分たち学校現場のフリーハンドの既得権を守っているのだ。
戦後も60年が経って、そうした社会のあちこちの矛盾、不合理などを、修正しなければならない時期に来ている。それを放置したことによって、あまりにも社会の歪みが大きくなってしまったのだ。
教育もそうなら、道徳の教えもそうで、国家観もそう、原子力もそうだ。議論さえ封殺されてしまう。大阪府でいえば同和問題がある。
そうしたタブーを、冷静な議論ができる場に持ち込まなければならない。団塊の世代は結局押し流されてしまった。その下のこれから世の中を変えられる世代が、そのタブーに挑んでほしいと思う。 http://www.blogmura.com/ にほんブログ村
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教育問題に熱心なのだが、それ以上に彼の世代が感じているタブーに挑戦しているようでもある。
国歌と国旗のことについて、なにも教えられてこなかった。その重要性は大人になって分かるのだが、なぜ教育の中でそれが行なわれないのか。そういった基本的な疑問を提示している。
一般の国民はほとんどそう思っている。しかし教育現場で忌避されてきた。なぜかは、不必要な軋轢を避けたいからだ。
日教組とそのシンパが現場を牛耳り、校長や教育委員会などの管理者がそうしたいと思っても、思うようにいかない。かえって混乱を招く。それならしない方がいい、という判断でずっと来てしまった。
だから、教育現場では、国家や国歌・国旗がタブー視されてきた。被害者は生徒である。平等と自由、権利だけを教えられ、社会人として常識、つまり国民としての義務を教えられなかった。つまり、労働の大切さ、納税の義務、社会道徳などなど。
現在の引きこもり、ジコチュー、身なりの乱れなど、親の教育と合わせて、ここに原因があるのだろう。
それを教えれば、いつか来た道に、とヒステリックに叫ぶ一群の人々がいる。それをさせないことによって、自分たち学校現場のフリーハンドの既得権を守っているのだ。
戦後も60年が経って、そうした社会のあちこちの矛盾、不合理などを、修正しなければならない時期に来ている。それを放置したことによって、あまりにも社会の歪みが大きくなってしまったのだ。
教育もそうなら、道徳の教えもそうで、国家観もそう、原子力もそうだ。議論さえ封殺されてしまう。大阪府でいえば同和問題がある。
そうしたタブーを、冷静な議論ができる場に持ち込まなければならない。団塊の世代は結局押し流されてしまった。その下のこれから世の中を変えられる世代が、そのタブーに挑んでほしいと思う。 http://www.blogmura.com/ にほんブログ村
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