団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

解任校長先生に復帰の声

2008-11-17 09:02:42 | Weblog
 服装や外見で問題生徒の入学をはねて解任された校長先生の復帰の声が高まっている、と新聞が伝えている。
 入試基準にそうしたチェック項目がないのに、それを理由に合格させなかった、というのが解任・更迭の理由だった。
 いろいろな問題点があるが、まず高校の受験であること。高校は義務教育ではない。私立は論外だが、公立であってもどんな生徒を入学させるかは学校側にその決定権がある。その決定時に、いくら入試基準にない基準を重視しても、イニシアティブが学校にある以上問題にはならないだろう。
 むろんそれは常識の範囲という前提であり、茶髪やピアスをやっている生徒をわざわざ入れて矯正することの義務はないのである。
 この場合、そんな格好で合格できる、と考えている生徒が馬鹿である。生徒はそれでも通ると思っているのは、義務教育の延長という甘えがあるからであろう。
 入学しても、学校の決められた規則に反すれば、どんどん退学させることができるのである。そんなことを、なぜ親が教えないのか、これまた疑問である。
 もうひとつは、教育の現場がことなかれ主義に陥っており、そういう現場では声が大きい方に流れる傾向がある。
 つまり今回の場合は、入試基準にない項目で入学させないとは何ごとか、生徒の権利はどうなる、生徒がかわいそうではないか、という権利意識と感情をうまく織り込んだ声が湧き起こった。 教育関係者の世渡りのモットーはことなかれ主義だから、ことが起こったら大騒ぎ。ことを起こしたことそのものを問題にして、校長を切ってチョン、という次第だ。
 ところが、あとでその校長が行ってきたことによって、学校の荒廃がなくなり、校内の正常化が達成された、ということが分かってきた。なによりPTAの人や教え子から復帰を願う声が高まっている。
 一般の人は、ふだんはなにも語らない。声なき声、というものが大切なところはそこにある。ところが権利意識の強い方々や日教組の関係者は、いつも声高に叫ぶ。そうすることによって自分たちの存在感を高める味を知っているからだ。
 今回もまたそうした図式が作用したが、なにより人事を左右できる方々は、ことなかれ主義をやめて、ことが起こったときのマニュアルでも作っておけばどうだろうか。
 そして、大切なことは拙速でなく、じっくり時間をかけて調査し、声なき声をしっかりと聞く、という姿勢だろう。たいていのことは時間が経てばほとぼりが醒める。それから考えても遅くはないケースが多い。
 これで校長先生を復帰させたら面目丸潰れであるが、この人事ですでに教育関係者の信用は失墜しているのである。

 カメラ・写真、フォトギャラリーの動向に興味のある方は「Web写真人」をご覧ください。また拙著「団塊の世代の世間話」の案内ページにもアクセスできます。「Web写真人」で検索できます。アクセスをお願い申し上げます。首都圏のフォトサロン/ギャラリー一覧を掲載。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村