団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

空幕長処分で言論の自由はどうか

2008-11-07 09:25:57 | Weblog
 田母神空幕長が民間の懸賞論文に応募して、日本は侵略国家ではない、といった論旨を発表して解任、そして定年退職した。退職金も払わない、という見当違いな論議もあった。
 その理由は、政府見解と反するから、というわけだが、もちろん自衛隊の幹部が日本政府と意見を異にしているのは問題である。有事の際にシビリアンコントロールができるのかという深刻な問題が浮上する。
 もう少し待てば、空幕長として定年、それからでも自分の意見を世の中に問うのは遅くなかったと思われるが、待てなかった心情も分からないではない。ますます自虐史観が固定化していく傾向にあるからだ。
 それよりも気になることは、空幕長に言論の自由、思想信条の自由はないのか、という問いだ。立場上、制限されることは理解できるが、それでは平隊士が同様の論文を発表したらどうなのか。
 たぶん、その隊士が解雇されれば、言論の自由を盾に、朝日新聞や左翼系のメディアはその処分を不当として、騒ぎ立てるにちがいない。論文の内容が左翼系メディアに気に入らないにしても、自由を守ることの方が重要だ。あるいは国家公務員だったらどうなのか。
 自衛隊の幹部も国から給料をもらっている以上、役人である。霞ヶ関の役人もその意味では違いない。空幕長の処分から、役人には言論の自由がないことになる。
 もっと拡大すれば、地方公務員も教職員も、その属する自治体の見解に反する行為や意見を発表したら、解雇や処分の対象になるというわけで、言論の自由も思想信条の自由もないことにならないか。
 それなら、いっそないことにした方が、世の中はうまく治まる。給料をもらっている相手に楯突いて、ふつうなら世の中は通らない。通ってしまう不思議さが、この国にはある。
 憲法で保障されているから、と権利が侵害されれば、なんでも裁判沙汰にする。そんな風潮はもう見飽きてきた。
 はっきりいえば、空幕長に言論の自由はなく、まして役人にもない、と解釈すべきだ。それは立場によって制限されるもので、公人であるなら自らが属する組織にダメージを与えたら責任を負うのが筋だ。それは憲法でもなんでもなく社会規範といえる。
 そろそろ自由や権利の解釈を変える改憲も、いまの日本の社会には必要になってきている。改憲は憲法9条だけが必要ではないのである。。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村

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