夫婦で楽しむナチュラル スロー ライフ

日々の生活、男の料理、庭仕事、気になった事など気ままに綴っています。

キンショーメロンを見ると思い出す

2010年05月28日 | いろいろな事
キンショーメロンが安く売っていたので
「ワ~、キンショーメロンだおまけに安い」と2個買って来ました。
    
黄色いキンショーメロンを見ると50数年前の出来事を
思い出します。

私の家は小さい農家でした。父母が丹精こめた野菜や苺、
メロンを市場に出すために家中でよく夜なべ仕事を
していました。

ある晩のことたくさん収穫したキンショーメロンを
きれいに拭いてシールを貼って箱に詰める作業を
皆でしていると。ガラス戸をたたく音に父親が出てみると
いつも私とよく遊んでいるコトミちゃんが涙を浮かべ
立っていました。
どうしたのかとの父の問いに
「お父さんが血を吐いて倒れてしまった」との事。

コトミちゃんのお父さんは結核を患っていました。
お母さんは東京で商売しているらしく滅多に来ない。
コトミちゃんはお父さんの結核の療養に付き添って
東京を離れて我家の近くに二人で住んでいました。

そのコトミちゃんのお父さんが喀血して倒れた。
あの頃は一般の家に電話などありませんでした。
「誰にも言う所が無かったのでここに来た。
 助けてください」とコトミちゃんは泣きながら
助けを求めてきた。父はすぐに知り合いの医者を
呼びに行かせ、医者と一緒にコトミちゃんの家に
出向きました。

コトミちゃんのお父さんはダメでした。医者を連れて
行ったときには、お父さんはすでにこと切れていました。
喀血した血が気管を塞いでの窒息死でした。
「可愛そうなコトミちゃん」と思いました。
「それにしても医者は偉いな~」と帰ってきた父が一言。
父の知人の医者はコトミちゃんのお父さんが亡くなって
いるのを見届けると、吐いて気管に詰まって固まっていた
血痰を引き出し顔をきれいに洗っってあげたそうだ。
今なら当たり前ですが、50数年前結核は不治の病と
いわれていて、結核患者はたくさんいました。

泣きながら帰っ行くコトミちゃんの後姿を何も言えずに
見ていた私です。次の日コトミちゃんは親戚の人が来て
東京へ引き取られていきました。
コトミちゃんの姿を見たのはあの晩が最後でした。
私より2歳年上でお父さんが亡くなったときは小学校5年生
くらいでした。仲良くしてくれて、よく遊んでもらいました。
今頃どうしているでしょうかね。コトミちゃん。
キンショーメロンを見ると思い出す、遠い昔の思い出です。
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尾曽律葉さんのちぎり絵展

2010年05月28日 | いろいろな事
ご近所に住む「ちぎり絵作家」の尾曽律葉さんが東京で展示会を開きます。
今日は父ちゃん荷物の運搬係としてレンタカーを借り荷物をたくさん積んで
展示会場へ運びました。
    

尾曽さんは素敵なちぎり絵をたくさん作っています。毎年「現代童画展」に大作を
出品されていますが個人的には3年に一度の個展(遊月展)を開いています。

ほのぼのとした物語性のあるちぎり絵です。展示販売もするそうです

会期は5月30日~6月5日まで
お時間がありましたら覗きに行ってみてください。
コメント (6)
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