自分の記録のために、今回の入院について簡単に(病気に関するリアルなシーンはぼかしつつ)書き留めておきます。
入院2日目、手術当日。
「患者さんをリラックスさせるために、お好みのCDを手術室にかけます」
ということだったので、手持ちのドビュッシー名作集に決めました。
当日、私の手術は3番目。
多少前後するけれど、14時半開始、ということになっていました。
13時半頃に「だいたい予定通り」と連絡があったのでそのつもりでいたら、14時前に「さぁ行きましょう」と別の看護師さんがやってきてびっくり。
あたふたと仕度をし、その時まで提出を求められなかったCDを渡しました。
主人の手術室入りはこの2年で4回も見送ってきました。
しばらく廊下を歩いて、手術室フロアの入口で別れ、そこから各手術室へ。
そんなイメージでいました。
が、しかし。
今回入院したのは総合病院ではなく(小規模な専門病院)、たまたま私の病室の前が手術室コーナーの入口で、しかも入ったらすぐに私の手術部屋。
小組曲が静かに流れる中、心を落ち着かせて入場する、とばかり思っていたのに、CDのセッティングが間に合わなかった模様でした。
手術台に自力で上り、麻酔の準備がどんどん進む。無音で。
今回は、全身麻酔・硬膜外麻酔併用でした。
手術で一番怖いのが、この硬膜外麻酔。
それなのに無音か・・・。
やっとCDがかかったと思ったら音量の調整がうまくいかないようで、鳴ったり鳴らなかったり。
もう、気になるー。
硬膜外カテーテルを入れられる気分の悪さは辛かったです。
マスクをしてからの意識はありません。その前に腕に注射をされたかも。
気付いたら手術終了後で、気管に挿入された何かを抜きました。
また意識は飛び、次に気付いたら部屋に戻っていました。
名前を呼ばれたんだったか自然に目覚めたんだったか。
とにかく朦朧としていました。
私はひどい近視なので医師が説明に来てくれてもよく見えないし、頭はぼんやりしているし、今言われたって~・・・と思いながら生返事をしていたような。
後々聞いたら手術時間はだいたい2時間弱だったらしい。
その後は、とにかく寒気がひどく、寒くて寒くてたまりませんでした。
寒気のあとは発熱。寒くなったり暑くなったり。
ひざ下に装着されたフットポンプの音がうるさい。
術前検査で、血圧高め、血糖値も高め(専門医の見解は問題無しだったけれど)のため、両方の管理が行われていました。
うとうとしかけると、検温、血圧の検査、点滴の取り替え、指先からの採血(数値が高ければインシュリン注射)、血栓予防の注射、ひっきりなしに何かがチェックされ処置される。
術後の痛みは特に悩まされるほどではなかったです(手術当日は)。
闘病ブログを読むと、
「同じ姿勢で寝ているのがつらい」
「看護師さんが向きを変えに来てくれる」
と書いている人が多かったですが、私は天井向いたままで寝返りも無く(たぶん)、姿勢に関しては気になりませんでした。
とにかく辛かったのが、夜以降にやってきた吐き気。
胃の中は空っぽなので出るものはない(故に、胃液みたいなのが出る)んですが、とにかく気持ちが悪い。
起き上がれないので横向きに容器を使うんですが、その姿勢もつらいし、胃がせり上がってくるときに傷も痛い。
手術当日の夜から翌日いっぱいひどい吐き気に悩まされました。
それを改善すべく硬膜外麻酔のカテーテルを外されたら、吐き気は治まってきたものの今度はお腹に激痛が。
吐き気と引き換えに、お腹の痛みがやってきました。
七転八倒するほど痛いんですが、実際は反転するのもままならない。
抗生剤の副作用でお腹は壊れるし(抗生剤が腸の善玉菌もやっつけてしまうらしい)、傷が痛いから動きたくないのにも関わらず、お手洗いとベッドの往復を頻繁に繰り返しました。
個室でよかった!
と心底思いました。
個室じゃなければ他の人に気を遣うし、お手洗いを占領するわけにもいかないし。
こんなことを繰り返した2日目3日目が本当につらかった。ベッドの柵を握りしめて耐えるのみ。
もう社会復帰はできないかも、と勝手に絶望しました。
一般的に食事が始まるときもまったく受け付けず、2回パスしたような。
最初は重湯などの回復食だったはずなんですが、私が食べる気になったときはもう普通食で、味噌汁だけやっと口に入れたような状態でした。
その後もお腹は空いているのに食は進まず、という、自分とは思えないような日を過ごしました。
そうこうしていたら、術後4日目には急にラクになりました。
まとめて眠れるようになったし、食事も摂れるように。
長くなったので、続きは後日にします。
入院2日目、手術当日。
「患者さんをリラックスさせるために、お好みのCDを手術室にかけます」
ということだったので、手持ちのドビュッシー名作集に決めました。
当日、私の手術は3番目。
多少前後するけれど、14時半開始、ということになっていました。
13時半頃に「だいたい予定通り」と連絡があったのでそのつもりでいたら、14時前に「さぁ行きましょう」と別の看護師さんがやってきてびっくり。
あたふたと仕度をし、その時まで提出を求められなかったCDを渡しました。
主人の手術室入りはこの2年で4回も見送ってきました。
しばらく廊下を歩いて、手術室フロアの入口で別れ、そこから各手術室へ。
そんなイメージでいました。
が、しかし。
今回入院したのは総合病院ではなく(小規模な専門病院)、たまたま私の病室の前が手術室コーナーの入口で、しかも入ったらすぐに私の手術部屋。
小組曲が静かに流れる中、心を落ち着かせて入場する、とばかり思っていたのに、CDのセッティングが間に合わなかった模様でした。
手術台に自力で上り、麻酔の準備がどんどん進む。無音で。
今回は、全身麻酔・硬膜外麻酔併用でした。
手術で一番怖いのが、この硬膜外麻酔。
それなのに無音か・・・。
やっとCDがかかったと思ったら音量の調整がうまくいかないようで、鳴ったり鳴らなかったり。
もう、気になるー。
硬膜外カテーテルを入れられる気分の悪さは辛かったです。
マスクをしてからの意識はありません。その前に腕に注射をされたかも。
気付いたら手術終了後で、気管に挿入された何かを抜きました。
また意識は飛び、次に気付いたら部屋に戻っていました。
名前を呼ばれたんだったか自然に目覚めたんだったか。
とにかく朦朧としていました。
私はひどい近視なので医師が説明に来てくれてもよく見えないし、頭はぼんやりしているし、今言われたって~・・・と思いながら生返事をしていたような。
後々聞いたら手術時間はだいたい2時間弱だったらしい。
その後は、とにかく寒気がひどく、寒くて寒くてたまりませんでした。
寒気のあとは発熱。寒くなったり暑くなったり。
ひざ下に装着されたフットポンプの音がうるさい。
術前検査で、血圧高め、血糖値も高め(専門医の見解は問題無しだったけれど)のため、両方の管理が行われていました。
うとうとしかけると、検温、血圧の検査、点滴の取り替え、指先からの採血(数値が高ければインシュリン注射)、血栓予防の注射、ひっきりなしに何かがチェックされ処置される。
術後の痛みは特に悩まされるほどではなかったです(手術当日は)。
闘病ブログを読むと、
「同じ姿勢で寝ているのがつらい」
「看護師さんが向きを変えに来てくれる」
と書いている人が多かったですが、私は天井向いたままで寝返りも無く(たぶん)、姿勢に関しては気になりませんでした。
とにかく辛かったのが、夜以降にやってきた吐き気。
胃の中は空っぽなので出るものはない(故に、胃液みたいなのが出る)んですが、とにかく気持ちが悪い。
起き上がれないので横向きに容器を使うんですが、その姿勢もつらいし、胃がせり上がってくるときに傷も痛い。
手術当日の夜から翌日いっぱいひどい吐き気に悩まされました。
それを改善すべく硬膜外麻酔のカテーテルを外されたら、吐き気は治まってきたものの今度はお腹に激痛が。
吐き気と引き換えに、お腹の痛みがやってきました。
七転八倒するほど痛いんですが、実際は反転するのもままならない。
抗生剤の副作用でお腹は壊れるし(抗生剤が腸の善玉菌もやっつけてしまうらしい)、傷が痛いから動きたくないのにも関わらず、お手洗いとベッドの往復を頻繁に繰り返しました。
個室でよかった!
と心底思いました。
個室じゃなければ他の人に気を遣うし、お手洗いを占領するわけにもいかないし。
こんなことを繰り返した2日目3日目が本当につらかった。ベッドの柵を握りしめて耐えるのみ。
もう社会復帰はできないかも、と勝手に絶望しました。
一般的に食事が始まるときもまったく受け付けず、2回パスしたような。
最初は重湯などの回復食だったはずなんですが、私が食べる気になったときはもう普通食で、味噌汁だけやっと口に入れたような状態でした。
その後もお腹は空いているのに食は進まず、という、自分とは思えないような日を過ごしました。
そうこうしていたら、術後4日目には急にラクになりました。
まとめて眠れるようになったし、食事も摂れるように。
長くなったので、続きは後日にします。