7月22日(日)
6時半過ぎに起床。
さっき寝たばかりなのにー。自業自得ですが。
女川・石巻への移動はチャーターした観光バスです。
バスの運転手さんがとてもいい方でした。
最初はにぎやかだった車内ですが、女川に向かう間のどんどん変わっていく景色に、一同声を失くしました。
想像以上に続く瓦礫の山、おびただしい数の壊れた車、1階部分が空洞のようになった家、横倒しになって建物の基礎が見える交番。
そしてそれすらもない場所が延々と。
女川の人たちの、のどかな暮らしや営みがあった場所です。
先月、産経新聞の朝の詩に掲載されていた詩(6月の月間賞になったそうです)を思い出しました。
検索していたら、作者のブログにいきついたので、シェアさせていただきます。
ニュースで見ていたあの景色が、1年4ヶ月経った今でもそこにあるんです。
仙台は、震災のことを忘れるくらいの普通の街並みだったのに、バスで2時間弱走ると、まったく別の世界でした。
自分の目で実際見た衝撃は、言葉では言い表せません。
それぞれの思いを胸に、今日の演奏会場、女川第二小学校に到着。
ボランティアの方の活躍で、椅子が既にセッティングされていました。
この日は、石巻マンドリーノと、仙台マンドリンクラブの有志の方と一緒に演奏です。
事前に譜面と練習音源をお渡ししただけの、当日合わせ。
短いリハーサルのあとに、石巻マンドリーノのマンドリンの方3人に、震災当時の話を伺いました。
家がすっかり流されてしまった方。
一番たいせつにしていた楽器をご主人が2階へ持って逃げてくれた方。
メンバーの安否がわかったあとも、楽器が無い、練習会場が無いなどで、なかなか活動が再開できなかったそうです。
会場が小学校なので、小さい子がたくさん来てくれるかな、と思っていたら、意外にも子供はゼロでした。
この日は他にもイベントが重なったとのことで(帰り、石巻に向かう道のショッピングセンター前で、太鼓の演奏があったようですごい人だかりでした)お客様は少なかったです。
でも、やわらかな光が射し込む体育館は、とても豊かな響きで、本当に気持ちよく演奏ができました。
ダンディーな女川のデンティスト、木村さんのソロ。
グリーグの精霊の踊りです。フルートの音色が、今も頭の中で響いています。
演奏の途中で、石巻マンドリーノの代表の方のお話がありました。
小穴さんから直接電話があって驚いたこと、一緒に演奏しましょうと誘われてうれしかったこと。
こうして音楽をできる仲間がいること、聴いてくれる人がいることがとてもしあわせだということ。
話を聞いてプレソメンバーはもらい泣きで、そのあとは泣きながら演奏しました。
こちらこそ、一緒に演奏させていただけて、本当によかったです。
震災後初めての演奏会を9月9日に開催されるそうです。
できることなら、聴きに行きたいです。
豪華お弁当をいただいたあと、バスで石巻へ移動。
こちらの会場はコモレビフォーラムというところでした。
会場にはパイプオルガンが。
石巻マンドリーノの常連のお客様がたくさん来てくださって、うれしかったです。
休憩時には、お客様とお話をさせていただきました。
本当につらい内容を、でも明るく話してくださって・・・。
上を向いて歩こうの歌詞のようでした。
私はちょうど隠れていますが、いるんです。
バスで仙台へ向かい、仙台駅前で記念撮影。
メンバーの充実した表情がいいですね。
今回、とてもいい演奏ができたと思います。
女川・石巻に行って、現地の今を実際に見て、ひとりひとりが感じたことが、音になって会場に飛んでいきました。
東京にいてどんなに全員が完璧に弾いても、あのような音楽はできなかった。
解散から新幹線出発まで約30分ということで、お土産を買いに走りました。
私は定番の萩の月、笹かまぼこ、牛タンスモーク、ずんだ餅等を購入。
仙台といえば牛タンですね。
それが今まで自分が食べていた牛タンとは違うんです。知らなかった。
とても厚切りなんですねー。
仙台へ行ってからお弁当ばかりだったので、専門店で牛タンを満喫したいところでした。
仕方ないので、牛タン弁当を購入。
これも、厚切りのおいしいお弁当があったんですが、注文してから時間がかかるので、私は他のお弁当を買いました。
新幹線に乗ったら、多くのメンバーが、この高級なほうの牛タン弁当(確か、伊達の牛たん弁当)を手にしていました。
うらやましい・・・。
心優しい人が貴重な牛タンを1枚分けてくれまして、味わうことができました。
おいしかった。しあわせでした。
今度は、お土産を買う前に注文しておいて、改札に入るときに引き取るようにしたいな。
・・・って今度がいつかはわかりませんが。
それに今度があるなら、お弁当じゃなくてお店で食べたいものです。
長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。