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本日、
日の光強い、家の中にいても眩しい。
と思ったらいきなりの豪雨。
昨日は雷は鳴るわ、豪雨で
すごい一日だった。
気圧低いと体調崩していたのが、
今はそれはなくなったのは幸い~~。
西加奈子の「夜が明ける」(新潮社)を
読みました。
「貧困格差」がテーマ、
というけど、
これは読むのも辛かった。
少し前に読み終わっていたのですが、
アップする気力もなく~~。
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普通ならアップするために、
再度ページを開くのですが、
それさえ辛い。
すごい貧困のなかに育ち、
一方は奨学金をもらい進学、
テレビの下請け会社に勤め、
それでも
「いつかは撮りたいものを撮る」との
志を持ってーー、
食べるものも食べずに働く~~。
この描写が凄まじい、と思える。
特にロクに食事もせず、
コンビニ弁当が腐っていく箇所や
繁華街の朝の
もうあまりにリアル?な描写に
本を置いてしまいました。
もう一人は、
学校にも行かず、これは
映画「ジョーカー」を思わせる。
希望がない~~、
一人はラストに
撮りたいものを撮るとの兆し、
もう一人は死の前に穏やかな
一時期を過ごせる、けど。
同じころに
別に買ってあった、
沢木耕太郎「深夜特急」や
辺見庸「もの食う人々」
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「深夜特急」はもう50年くらい前の作品、
著者が24.5歳の頃に、
思い立って
鉄道とバスでパリまで横断したときの記録。
若い頃に読んだ記憶があるけど、
やはり、当時の東南アジアの
凄まじい貧しさに圧倒された。
今、再読すると、
著者の視線、彼らと同じ位置に立っての
視線に圧倒される。
生半可な同情もなく、
たとえば、幼い子どもの物乞いにも、
「一度渡すと限りなくついてくる」と
無視、それでいて、
自分の気持ちと相手の観察を忘れない。
私なら10円くらいあげればいいのにと
思ってしまうけど、
これはまた別の問題なのね。
この人、若い頃からすごい。
いきなりですが、
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朝の自家製ヨーグルト、
豆乳ヨーグルトに牛乳で作ると
こんな風にすごい粘りが出て、美味しい。
こんな朝ごはんを摂れるシアワセ。
もう一冊の
「ものを食う人びと」(角川)
こちらも1994年刊だから、
30年も前。
こちらも再読。
共同通信の記者で芥川賞作家の著者が
「飽食の日本に嫌気がさし、
我が胃袋をイジメたくなった」と
世界の食を食べて回る。
もちろん、それはグルメなんかではなく、
バングラデッシュ、インド、ベトナム、
ウガンダ~~など。
こちらも凄まじいけど、
「記者」としての視点が
読み手にも距離感をもたせて
まだ救いがある、
「深夜特急」も「もの食う人びと」も
古さを感じない、
それは世界中に、
未だにこんな人々が
いるせい、ですね。
「夜が明ける」は、
日本のリアルを描いている
のだけど、それがゆえに
読むのが辛い~~。
距離感がつかめない、
ただオロオロする。
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でも、
三冊を続けて読んで、
三食、きちんとご飯を食べられるとは
それだけで恵まれているとつくづく
感じました。
貧しさだけではなく、
忙しさのあまり、
お金がどんなにあっても、
きちんとご飯を食べない、
食べられないことも、人もいる。
かつての私もそんな時期があった。
その結果、身体を壊し。
お金のあるなしに関係なく、
つつましい食事だろうが、
日々ちゃんとしたご飯を食べる、
食べられる、
それが「豊か」ということだと、
つくづく思い至りました。
最後まで
ありがとうございました。
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