8月になり、原爆忌や終戦記念日が近づくと俄に靖国だの中・韓との関係だのと少し真面目なメディアは、思い出したように騒ぎはじめるようです。
戦後レジュームからの脱却と唱える安倍首相のいう戦後レジュームが何を意味するかを分析していたBSフジの2時間報道番組「プライムニュース」で東京裁判・サンフランシスコ講和条約・靖国へのA級戦犯合祀など昭和史の見えにくい部分が識者によって語られていました。
しかしこれ以外では、この種の微妙な問題をジックリ考える余裕をあたえるような番組はほとんど見たことはありません。
靖国に祀られているかどうかはさておき、私の父も終戦の10ヶ月前、私が産まれる2ヶ月前に東シナ海で潜水艦の攻撃により戦地に赴く途中で、闘う事も無く戦死しています。
どうしても、この時期になるとこうしたマスコミの論調に対して一言いいたい気分にさせられ、いろいろ言ってきたものでした。
しかし、考えて見れば言いたいことはほぼ同じ論旨だし、世の中もちっとも変わってはいないので、いっそ手間を省いて3年前にUPしたものをコピーして憂さを晴らそうかなどと考えてみました。
第百七話 2010夏 2010.8.5
8月のメディアは先の戦争の話題から始まる。 かなり独善的ですが私は間違っていないと、今でも思っています。 結びの言葉は自分への戒めなのですが・・・。 こうした視点で新聞テレビを見ると、結論ありきの検討を指示したり、やむを得ないという空気感を醸成するような論調で解説されていたりするものです。 やらなければならないが、声の大きい側の国民に不人気な政策がどんどん脇に追いやられ、後回しにされ、安易なその場しのぎの政策や、威勢がよく耳触りがよくスカットする切り口上策が歓迎されたりするのです。 両極端には真実は無いが持論です。 忍耐・努力こそが重要で中庸の中にしか真実はないと思います。
年々その内容も変遷しているようにも感じるのだが・・・・。
終戦から65年も経過すると、内容が違ってくるのは当然と言えば当然なのだろう。
戦後30年~40年当たりでは、最終的に特攻や原爆投下後の悲惨さを訴えて通り一遍の反戦報道が目立っていた。
あまりに通り一遍であるが故に、つまり早い話が8月ともなればセレモニー的に何か流さねばという程度かと見る側として思っていた。
しかし半世紀を過ぎる当たりから、やっと戦争に参加した年代の証言などが組み込まれるようになってきた。
この国は、先代の失敗の教訓やその実態は先代が生きている間はまともに語られることは少ない。
そんな中で、今年のNHKのBSは興味深い特集番組を放送していた。
戦後間もない頃に、政界・軍(上層部と一兵卒まで)・報道機関・作家・一般国民など多岐にわたる出席者で開かれた座談会があったらしい。
その司会を作家の半藤氏が担当し、その有様を今年の夏に再現してみようという試みであった。
その中で一番印象的だったのはある政治評論家の言葉で、終戦とともに昨日までの正義や価値観がものの見事にひっくり返り、西欧列強に対する正義の戦いが誤った軍国主義だったと教えられたことという下りだ。 教えた人が同じ先生であったため、この国に信頼するに値するものは有るのだろうかと疑いの念だけがつのったという。
以来、多数意見は疑って掛かるようになった。真実は少数意見の中にあると信じるようになったという。
とかく空気が読めないなどと、最近馬鹿にされる向きもあるが国中に流れる空気のようなものが戦争の原因だったとハッキリ言った。
何が戦争を始めたのでしょう?という問いに、メディアが世論を形成し戦争を煽り大衆がこれを支持し、支持率に敏感な政治が便乗し、軍が形として追随し実行していった。・・と言った。 今のメディアの実態を見るとなにやら似たような感じもする。
移ろい易い大衆の不満を煽り、世論調査を乱発して出てきた支持率で政治を動かしてしまおうというのである。
勿論、世論の形成はメディアの役割だと思うから当たり前の事ではあるのだが・・・・。
メディアの成長と少数意見を最大限反映する民主主義の成熟しか誤りを再び繰り返さない処方箋はなさそうだ。
2010年夏、判断を何処かに委ね赤信号を皆で渡る愚行は繰り返してはならない。
・・・・とまあ、相変わらずマスコミ批判を3年前もやっておりますね。