町の情報交流セン企画展企画展「眠れる森の城と火山」が催されている。
センターの直ぐ近くに位置する里山をめぐっての身近な話なので興味津々。
(会場のパネルや展示品など)
我が町では、地震の後の復興工事に先立って、地質調査や遺跡調査等が行われ定期的にそれらに伴う出土品の展示なども行われている。
しかし、今回は地震とは無関係とは言えないものの、ちょっと異質な感じがした。
「我が町にある2つの火山」というパネルを見て先ず驚いた。
(船野山)
先日中腹まで歩いた、町に4つある里山の一つ「船野山」がその火山だという話である。
4つある里山の中では、いちばんなだらかで船をひっくり返したような低く登りやすい山である。
10年以上も前に、相方と弁当を持ってノンビリ登ったことがある。
ただ正面から見ると左右は緩やかな曲線だが、手前の北側斜面は急峻で熔岩のような石がゴロゴロしていた。
まるで火山のようだと二人で話ながら登ったものだった。
(パネル:船野山北側からの眺望)
どうやら二つの火山とは、この「船野山」と足元のこん盛りした森(赤井城跡)の間の赤い破線で囲まれた「赤井旧火口跡」のことらしい。
(火口一帯の噴出物の展示)
スコリアという気孔の多そうな岩石や熔岩、それにスコリアを巻き込んでしまった熔岩などが展示されていた。
2つの火山が活動した後、阿蘇の4期目の大噴火による火砕流で一帯は覆い尽くされてしまったようだ。
以前この辺りを、編集を担当しているミニ機関紙に紹介するため歩いたことがある。
そのとき小さな熔岩の欠片を拾って持ち帰った。
(赤井火口跡の田んぼ脇から拾った熔岩の欠片)
辺りの畑の土はほぼ赤い色をしている。
今では、火口は埋め尽くされ田んぼや集落の一部になり、船野山も浸食によってなだらかな山に・・。
ただ、この火山活動と阿蘇の火砕流などの影響を受けた地形によって、豊かな地下水に恵まれている。
(阿蘇から有明海に至る地形断面パネル)
赤井城跡の堀の役目も果たした「そうめん滝」と呼ばれる湧水の噴出について、その原理も展示されていた。
市街地から田んぼを挟んで目と鼻の先にある里山が火山と知ったとき、10年以上前に相方と登った時に感じたことは本当だったのだと思うと、妙に懐かしくも感慨深いものがある。
この町に住むようになって28年が過ぎようとしているが、面白いものは意外と足元にあるものなのだ。
「目に映る自然は神のメッセージ」・・・しろ猫