カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

言葉がどんどん痩せ細る

2019-10-10 16:47:57 | 日常あれこれ
 去年の年末の、確か謡曲の練習の最終日だったと思う。

 「皆さん一年お疲れさまでした、来年もよろしくお願いします。」等と言いながら、葉っぱを2枚ずつ皆に配った人がいた。

 
 (多羅葉)

 葉っぱの裏に「よいお年を」と書いてあった。

 先の尖ったもので、擦るように書いていくとそのまま黒く残るという話だった。

 確かに今でもその時の葉っぱは写真のごとくしっかり字が残っている。

 インドの仏典を伝えるために、釈迦の弟子たちが「多羅樹(ターラの樹)」の葉っぱに教えを書いて保存したそうだが、その木はシュロに似た感じで写真の多羅葉とは違う。

 ただ日本にも、インドから伝わったらしい、葉っぱに字が書ける種類の木があって、まるで多羅樹みたいだというので「多羅葉」と名付けられたらしい。

 葉書の語源も、明治の郵便発祥時に命名されたという説もあるようだ。

 言葉とか、言の葉とか、とかく葉っぱが介在しているのが共通している。

 
 
 言葉は幼児からだんだんと、生きていく間に沢山覚えて行って、分からない場合は辞書を引いても覚えようとする。

 単語として覚えたり、あるいは言い回しというか「語彙」として、脳裏に刻まれていく。

 この、手持ちの「語彙」というものが多いほど、文章や話し言葉が豊かになっていく。

 ところが、年を取ってくると忘れっぽくなって人の名や物の名など固有名詞がすんなりと出てこなくて往生することがある。

 ましてや「語彙」などというものは、日ごろ使う場面が少ないとドンドン忘れていってしまう。

 ブログや川柳など、ある意味「語彙」との関りが重要な意味を持つ。

 体は使わないと太るのに、語彙は使わないと痩せていく。

 先日超高齢作者の「歌集」をみて驚いた。

 

 現在の作というよりも、奥さんを亡くされた前後の作品を、孫にあたる方がブログに発表して好評を博し、歌集として発行することになったとある。

 孫にあたる女性の巻末の言葉で紹介されているが、ちょっとほろりとさせられる。

 それを読んだ後、また読み返すと更に歌の内容が心に染みてくる。

 そうした瑞々しい感性も、結局は伝えようとすれば言葉の力なのだ。

 その言葉の使い方で、ここのところ久しぶりに頭をひねっている。


 
 月末の川柳大会に寄せられた子供たちの投句が、1500名ほど(約3000句)が送られて来て、6畳の部屋いっぱいに広がってしまった。

 この中から、特選句3、秀句7、佳作60の合計70句を選びぶという作業は、なかなか疲れる。

 昨年は課題「窓」を担当したが、今年は「自由題」を担当することになった。

 子供たちの身近な学校や家庭での生活ぶりが垣間見えてくる。

 ただ沢山の類似の句が、これでもかというくらい部屋中に並ぶのである。

 家庭や学校生活、友達関係や勉強宿題など、似たような環境にあるのでやむを得ないとも言える。

 こうした類似の状況の中で、ピカッと光るのは、日常から飛び出そうとする句や、使われている言葉とその伝え方がユニークなものである。

 小学生と中学生では、使える語彙の量や経験が違うので相当に差が出るのかなと思っていたら、そうでもないようだ。

 学校や家庭の枠という観点からは、むしろ小学生の方が自由でのびのびした作品が多い。

 制限された枠の中で、言葉を選び表現することに興味を持ってもらえたらうれしい限り。

 結果報告まであと数日、にらめっこはつづく。

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