ウオーキング住宅地コースでは、時々妙な路地に出くわす。
当地では、もう死語になってしまったが「背戸屋」という言葉が昔はあった。
各家庭の裏口(勝手口)を結んだ、まったくの住民専用の生活道路。
ただ、田舎でもそうした通路の使い方はもう見られない。
熊本では、杖立温泉の背戸屋巡りツアーなるものにチャレンジしている若い人達もいるが。
住宅地では、歩いていると時々妙な路地風の空き地が目に付く。
隣家同士は、お互いにブロックの塀をこしらえているが、その間に空き地がある。
最初に見たときは、奥のお宅への進入路かと思ったが、草ボウボウになっても誰も手入れをしない土地だと分った。
手前の舗装道路の反対側を見ると・・。
砂利が敷いてある方は、左のアパートの土地で、看板の右手のブロックとの間に細長い空き地が出来ている。
ここも、行き止まりの空き地。
ここも、道路拡張工事に伴って、立ち退いた跡の境界とその隣家の間の空間。
ここは、完全にまとめて宅地造成された分譲地なのだが、なぜかこの空間が空いている。
ここの場合は、行き止まりの空間ではなく、二つの道路につながっているので人が通ることが出来る。
無闇にバイクなどが通らないように、車止めがしてあって、人専用の通路になっている。
私も、このあたりをウオーキングで通る時は、時々利用させてもらっている。
何故にかくも、あちこちに一見道路風の行き止まり空間があるのだろうと考えた。
すると昔の田舎の、畑の風景が思い出された。
並んだ畑の、奥の畑には狭い畑道を馬車などで通っていたが、奥の畑の入り口でその通路は終わっていた。
こうした畑作地帯には、こうした通路が無数にあったのだ。
そうした地域が、高度成長期以来の開発で工場になり宅地になっていったのだ。
土地を手放す人の、売買の時期が異なるし、自分の所有地ではないところは例え隣同士でも空き地として残っていく。
使いようもない、不思議な空間は町中にも無数に有り、これらを集めると相当の面積になるはずだ。
でも、現実には適当な居住空間や、防災上の適切な空間確保という意味で役に立っているのかも知れない。
多分、町有地として記録されているのだろう。
ただ背戸屋巡りには、活用できそうにもない。
「東口そして安易に西口へ」・・・・しろ猫