五月九日(水)曇り。
まあ仕方がないかもしれないが、テレビは人の不幸を見せたがる。今朝も、先日の竜巻で被害を受けた家のリポートで「まだ市から、何の義捐金も送られて来ていないそうです」とやっていた。思わず、まずお前がいくらか出せよと、言ってしまった。災害から二三日で市からお金などでるわけもないではないか。市からの義捐金と言っても、市長のポケットマネーではないし、税金である。被害の程度や人的被害を精査して、誰にどのくらいの援助をするかを決めるのに、二三日では絶対に無理であることは、子供でも分かる。もちろん早いことにこしたことはない。被害を受けた方々も「突然」の事ならば、支援する方も「突然」の事なのだ。無責任な言動は慎むべきだと思った次第。
しかし、東北の大震災、先日の京都は祇園の暴走車による大事故、そして今回の竜巻の被害と、災難は突然善良な方々に襲い掛かる。無慈悲、と思わざるを得ない。そういった災難がいつでも自身にも起こり得る、と言った諦観、無常観を常に持ち合わせているほど、私は達観していない。むしろ自分だけは大丈夫だと思っている方だから、いつも楽天的に考え、そう生きることによってストレスをためずにいられる。それが特技と言えば、そうかもしれない。
もう、いわゆる「傘貼り浪人」の生活を長くしている。常に感謝しているのは、様々な方からの「義侠」である。それに応えるには、せめてまっすぐな生き方をする以外にない。そう思いつつ、今日も原稿に向かっている。
仕事を終えて(その程度が仕事か、とカタギの衆に怒られそうだが)、夕食時に、「さつま島美人」の四合瓶を買ってきて、かつおを肴に飲みつつBSで、裕次郎と浅丘るり子が主演の「銀座の恋の物語」を見た。この映画は、映画館でも見たし、これまでに幾度も見ている。こんな純愛の人の心を打つ映画はない。単なる、オヤジのカラオケの一曲としてしまうのには惜しい。映画を見ずして、この歌を歌うなかれ若者達よ。最も今の若い人は、こんな古いデュエット曲を歌わないか。
映画の中で、裕次郎との待ち合わせの新宿駅に向かう浅丘るり子が、急な仕事が入って、時間ぎりぎりに仕事場からタクシーを飛ばして向かうのだが、間に合いそうもない。するとるり子が、運転手に、「間に合わないから省線で行くわ」という台詞を言う。この台詞ひとつで時代が分かると言うものだ。JRの前身は国鉄、その前は鉄道省の管轄だったから略して「省線」。分かるかなぁー。
※蛇足ながら、正確には「省線」とは、1920年から1949年の間、現在の「JR線」に相当する鉄道を指した言葉。当時の国有鉄道が、以下のような「省」レベルの政府機関によって運営されていたことによる。
鉄道省(1920年~1943年)
運輸通信省(1943年~1945年)
運輸省(1945年~1949年)