五月二十日(日)晴れ。
以前、年下の友人が、後、二三年もすると携帯電話はすべて「スマホ」になる。と言っていた。厄介な話ではないか。別に、現在使用している携帯電話で何の不自由もない。単に、受ける、掛ける、だけの機能だけでも十分という人も多いのではないだろうか。まあ、そうなる前に、来年くらいには、スマホに変えてみるか。
ドコモが、いわゆるお年寄り向けの「らくらくホン」のスマホ版の発売を発表した。何やら、お年寄りに親切をうたい文句にしているが、テレビでその携帯を見たときに、正直言ってアレっと思った。それは、画面に出てくる様々な機能の案内が、「ツール」とある。お年寄りに、果たして「ツール」が何を意味するのか、分かる人がどれほどいるのだろうか。日本語で「機能」と表示した方がよっぽど親切、丁寧だと思うのだが。
そういえば、先日乗ったエレベーターにの案内に、カタカナで「エントランス」と表示してあった。これも変ではないか。カタカナで書くくらいならば、なぜ「入口」と書かないのか。外人が多いのならば、英語で、ENTRANCEと書くならわかるが、なぜカタカナなのか。先ほどのドコモの「ツール」と一緒で、「エントランス」が、すぐ「入口」と理解できるお年寄りがどれほどいるのか。
マンションの名前もそうだ、カタカナばかりで、一体、それがどんな意味なのか、ほとんど分からない。そんなものを考える奴の顔を見てみたいものだ。
今日は、午後から、家族で戸塚のダイエーに出かけた。岳父の命日が近いので、届け物を買うのと、子供たちと、簡単な食事をするため。途中、いつも通っている道なのだが、どこにあるのだろうと気になっていた、旧東海道の難所、権太坂の「投げ込み塚」を偶然に発見した。おおっ!こんな所にあったのかと、車を止めて、まず手を合わせてから写真を撮った。
箱根駅伝の、花の二区の途中にある権太坂は、道路の拡張のために新設されたもので、本来の権太坂は、旧東海道にあった。急な坂が約1・5キロメートルも続き、箱根につぐ難所で、行き倒れも多く、その人たちを投げ込む井戸があった。昭和36年(1961)の開発で発掘され、多数の人骨が発見されたことに伴い、旅人の霊を慰めようと「投込塚之跡」の碑が祀られた。発掘された人骨は、戸塚区平戸の通称「赤門の寺」東福寺に埋葬された。
※「投込塚之跡」の碑。(昭和39年・1964年)建立。投込塚之跡」碑の右に無縁・馬頭観世音と左に宝永7年(1710年)銘と天保2年(1831年)銘の庚申塔。碑文「この地は権太坂投込塚と称し、旧東海道品濃坂につぐ難所であって往時旅人の行倒れせし者多く之を埋葬せる処也。偶々当地区開発に当り多数の白骨を発掘現在平戸町東福寺境内にて再埋葬供養碑を建て、之ヶ菩提を弔い在者也 昭和三十九年四月建之」
井土ヶ谷の駅近くにある、「井土ヶ谷事件の碑」もそうだが、思いがけず発見する。元来の方向音痴と地図音痴なので、資料などを読んでも、そういったものの場所がピンと来ない。それでも、今日は嬉しかった。
夜は、酔狂亭で月下独酌。