五月十二日(土)曇り。
午前中は、「大吼」や「燃えよ祖国」の原稿の段取り。次から次と締切や原稿に追われているとの強迫観念があって、どうも落ち着かない。ひと段落してから東京行き。
六時半に門前仲町の「日本再生酒場」にて、大熊雄次氏と隠岐康氏と待ち合わせ。六月の後半に行う、「沖縄祖国復帰四十周年記念・戦跡慰霊巡拝団」(主催・群青忌実行委員会。団長・隠岐康)の打ち合わせ会。さすがに三十名のスケジュール調整となると、中々簡単には行かない。特に、札幌からの参加者や関空を利用する人など、飛行機の時間や集合時間の調整に手間がかかる。
さらに、大変なのは資金である。今回の沖縄行きでは、参加者に飛行機、ホテル、朝食分だけ負担してもらい、参加しやすいようにした。しかし、ハイシーズンとあって、当初予定していた料金より十五パーセントほと割高となってしまった。かといって、そを参加者に負担させては申し訳ないので、我々が負担することにした。その他、結団式をする神社の玉串料、講師の謝礼、二日間使用する貸し切りバスの費用、懇親会の費用となどは、今回の旅行費には含まれていない。すべて主催者の負担である。これを合計すると、エッと驚くほどお金がかかる。それでも、今更、後には引けない。
こういったことを行う「苦しみ」を克服してこそ運動として成功する。また、私たちの趣旨に賛同して参加して頂く人たちに良かったと思われなけれは、行う意味がない。沖縄には、これまで度々訪れているが、原点は、三十年前、祖国復帰十周年を記念して行われた戦跡慰霊である。参加して感激をしたことを社友や友人諸兄にも味わって貰いたいと思って企画した今回の訪沖である。やり遂げなければ。
打ち合わせが、終了後に、「日本再生酒場」の近く、昭和の風情の残る辰巳新町の小料理屋に飛び込みで入って一献。一時間ほど飲んで解散、帰宅。