白雲去来

蜷川正大の日々是口実

君津へ。二時間十五分読書三昧。

2012-09-23 16:38:38 | インポート

九月二十二日(土)曇りのち晴れ。秋分の日。

今日は、古い付き合いで、私が野村先生の所へ行くきっかけを作ってくれた、現在は大行社の副会長をしている周本昌山氏の主催で、氏の地元である千葉県の君津で「ビアガーデンの集い」があり参加した。

当初、松本佳展君らと一緒に行こうかと思ったが、アクアラインを往復すると首都高速代を含めて往復一万円にもなる。不如意な所に加えて、高速を走るだけで一万円とは、納得が行かない。パソコンで調べたら、ちょうど保土ヶ谷駅発で、君津まで直行の総武線がある。これで行けば一八八〇円で済む。土曜日だし電車も空いているだろうと思い、八時十五分発、君津駅着十時三十二分の電車に乗った。

家を出るときに、本を持っていないことに気が付き、慌てて書棚から持ってきたのが、伴野朗の「上海伝説」(集英社文庫)。この本は、二年ほど前に一度読んだことがあるが、まあいいかと持って行った。自宅近くのバス停から七時四十八分発の保土ヶ谷行きに乗り、駅でコーヒーを買って電車に乗った。案の定空いていた。早速、本を読む。この時間がいい。物語は、まず、ある紳士がガーデンブリッジを人力車に乗って渡る所から始まる。上海の人たちにガーデンブリッジといってもほとんど分からない。「外白渡橋」と書くと分かる。一九〇七年に建設された蘇州河に架かる橋である。

その橋を渡った所にあるのがブロードウェイマンション。やはり、上海の人には通じない。現在は「上海大廈」。そこに入ってくる紳士とは、男装の麗人、東洋のマタハリと言われた川島芳子。偶然にエレベーターで一緒になるのが、若き日の児玉誉士夫。こうなるともう止まらない。三分の二ほど読んだ時に終点の君津着。どこかの喫茶店で終わりまで読もうかとも思ったが、時間がないので、会場となっているビアガーデンに向かった。

主催者の周本氏や千葉で民族派運動を展開している大行社の人たちや、同志の方々に挨拶。そのうちに明鏡会の仲程氏や木場氏らも到着し、一献。菊水国防連合の人たちなどほとんどが知っている人たちばかりで、楽しい酒席となった。一時前に、ご挨拶をして席を立つ。帰りは、仲程、木場の両氏にお世話になって送って頂いた。何と、一時間もかからないうちに自宅に着いた。

五時過ぎまで、休んだ。愚妻がサリーファミリーたちとディズニーランドに行っているので、子供たちにオムライスを作って、カメ&アコちゃんたちと夕食を兼ねて「やまと」へ。その後、久しぶりに愛福楼に転戦。十時前に帰宅。

Photo※オールド上海が好きな人にはたまらん。


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数知れぬ過ちは酒とともにあり。

2012-09-23 13:08:40 | インポート

九月二十一日(金)曇りのち雨。

 

朝起きて、子供たちの弁当を作ったり、朝食の後片付けをしたりでのんびりする暇もない。一段落してから、出かける支度。

 

今日は、午後一番で、野村先生の盟友であるサムエンタープライズの盛田社長の会社へ、来月の墓前祭のご報告に伺う。まず、社友で元盛田社長の会社にいた古谷喜久男氏を迎えに行くが、昨夜、テキーラの一気飲みをやったとかで、ヘロヘロの状態である。「財布にお金がないが記憶にない」と。誰しもそんな夜はある。

私の道の兄であった元楯の会の故阿部勉さんの歌に、「数知れぬ過ちは酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん」というものがあった。私も、何度、そのような夜と酒を経験したことか・・・。

その後、藤巻強氏を迎えに行き、一路赤坂へ。この町は懐かしい。みすじ通りにはかつて野村先生の事務所があり、七丁目には、一時、私の会社もあった。今では、皆、幻のようである。

昨年の墓前祭以来であるから、ほぼ一年ぶりにお会いする。ご無沙汰をお詫びして、墓前祭のご報告。一時間ほどいてからお暇した。藤木、古谷の両氏を送ってから帰宅。

夕方は、上の子供を歯医者に連れて行って、みなとみらいのスーパーで夕食の買い物を済ませて、愚妻を仕事場に迎えに行ってから帰宅。

夕食は、子供たちには、肉野菜炒めとわかめスープにジャガイモの煮物。私は、カツオの刺身で一杯。それでも深酒をせずに、パソコンで仕事。近頃、パソコンばかりで、字を書くことが少なくなったので、今日から、「言い忘れの記」という日記をつけることにした。ブログは不特定多数の人たちに対する私の「忘備録」。従って、本音をすべて吐露することはできないので、「遺書」と言えば大げさだが、いずれ家族と信頼している人たちに読んでもらうつもりでいる。

機関誌、「燃えよ祖国」の準備をしながら、日にちが変わったぐらいに布団に入った。


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桐一葉落ちて天下の秋を知る

2012-09-23 09:57:56 | インポート

九月二十日(木)晴れ。

 目を覚まして時計を見れば七時過ぎ。隣には山口申先生、その隣には大熊雄次氏、別の部屋には四宮正貴先生が寝ていた。滑川会長は、朝早く帰ったらしい。ひと風呂浴びてから朝食会場へ。朝から豪華な食事である。主催者の荒井先生に感謝しつつ頂いた。

 

 九時に、ロビーで同志らとお茶。山口先生、四宮先生、森田忠明先生、平澤次郎先生、大熊雄次氏などである。ガラス越しに、国民新聞社の山田恵久先生がお帰りになるのが見えた。小田急で新宿まで戻るとのこと。

 

 この旅館の喫茶室には白楽天が唐の玄宗皇帝と楊貴妃のラブロマンスを詠んだ「長恨歌」の一節、「温泉水滑洗凝脂 」(※温泉の水は滑らかに白い肌を洗う)の扁額が掛っていたが、今回は別のものになっていた。支配人に聞けば、熱海の駅前にある「MOA美術館」に貸し出しをしたそうだ。その扁額の文字を書いたのは徳富蘇峰翁である。蘇峰が創刊した「国民新聞」の系譜を継ぐ山田恵久先生が早く帰ったのは、その書を見に行ったのかもしれない。

 

 山口先生、大熊氏と一緒に駅までの道を二十分ほど歩く。散歩にはちょうど良い天気である。道には、落ち葉がチラリホラリ。正に、「桐一葉落ちて天下の秋を知る」か・・・。

 

 東海道線でのんびり帰ろうかとも思ったが、そこはお付き合いと別れがたく新幹線に乗った。新横浜駅で両氏と別れて、地下鉄で蒔田駅。そこからバスを乗り継いで自宅に戻った。家には誰もいないので、着替えをしてから事務所に行き資料整理。

 

 夜は家族そろって食事。当然休肝日とした。早めに横になって、録画しておいた「山田洋次が選ぶ日本の映画」の中から、「お嬢さん乾杯」を見た。その映画は昭和二十四年公開の日本映画で、製作は松竹。監督は木下惠介で脚本は新藤兼人が担当している。
自動車修理工場を経営する青年が、元華族の令嬢とお見合いをする事から始まる喜劇なのだが、これがとても良い映画だった。モノクロだが、映画や役者の上質なものを見たような気がした。主演は、佐野周二と原節子で佐野周二の弟役に佐田啓二が出演している。主題歌は、タイトルのままで「お嬢さん乾杯」。歌っているのは灰田勝彦(分かるかなぁー)である。

 見終わって、何となくほのぼのした思いのまま寝た。良い映画、良い本、良い友と良い酒。これがあれば金などなくとも、いつも幸せと感じる。

51tvg724c6l_sl160_1※DVDになっているそうです。レンタルできましたら是非。昭和二十年前半の東京の風景を見るだけでも楽しい。日本は、敗戦からわずか三年で、復興に向かっていることを実感させられた。大したものだ。

 

 


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