白雲去来

蜷川正大の日々是口実

我に諂諛(てんゆ)する者は吾が賊なり

2016-03-20 11:15:35 | 日記
三月十五日(火)晴れ。

雨戸を開けると、さぁーっと春の日差しが飛び込んできた。暖かな朝である。しかし、マンションと違って我が陋屋は密閉性が悪く、家にいても花粉で目がしょぼしょぼ、鼻はグズグズ。マスクをして寝たら良いと、盟友の周本昌山氏より教わったので、早速買いに行くつもり。

食後、最近歩いていないので、一時間ほど歩いた。マスクは買ったものの、サングラスを忘れたために、風が強いためか目がしょぼしょぼして仕方がない。同級生が、美術市場を主催しているので、その会場まで歩いた。丁度一時間なり。プロの骨董商の皆さんに交じって、書画を堪能する。帰りも歩こうかと思ったが、花粉に負けて結局バスで帰宅。シャワーを浴びてから事務所へ。

また、お隣の若き首領様が「暴れる君」となっている。ノドンミサイルが一発いくらするのか知らないが、きっと夏の隅田川の花火の総額より高いのに違いあるまい。一見、景気よさそうにポンポン撃っているが、そのお金を国民に使ったならば、どれほど感謝されるのだろうか。きっと彼の周りに苦言を呈する人がいないのだろう。最も、火炎放射器や機関銃で打たれたらたまらんもんなぁー。

荀子の言葉に、「我に諂諛(てんゆ)する者は吾が賊なり」という言葉がある。「詔訣」は、こびへつらうこと。耳にここちよい甘いことばをもって近づいてくる者は、みな賊のようなものだという。なぜなら、ついその気になってのぼせあがり、自分を見失ってしまうからである。これはとくに人の上に立つ者の自戒しなければならないことだ。おべっかや甘いことばに弱いのは、人間の常である。きついことを言ってくる相手よりも、心をくすぐるようなことを言ってくる相手を引き立てたくなるのは、人情の自然でもある。現に、どんな組織でも、そういうケースが少なくない。だが、リーダーがそれをやっていたのでは、二重の意味で不幸である。
第一に、自分をダメにしてしまう。甘いことばだけ聞かされていたのでは、進歩も向上も望めないからだ。第二に、それは軽重の判断を誤る元であり、その結果、組織までダメにしてしまう。(守屋洋『中国古典一日一言』)

分かるかなぁー。分かんねぇだろなぁー。(そう言えば昔こういうのが流行ったな)

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桃は紅にして 復た宿雨を含み。

2016-03-20 10:42:33 | 日記
三月十四日(月)雨。

横浜に知り合いが泊まると、ホテルでの朝食をパスしてもらい、中華街の「安記」にて朝食の会を催すことにしている。「安記」は朝早くから開店しているので、何時もなら九時過ぎごろに行って、「モツ皿」「レバ皿」「焼売」などで酔い覚ましの、迎い酒となる。他の一品料理は十一時からなので、それまでビールでチンタラ飲んでから、紹興酒に換えて、「イカといんげんのニンニク炒め」(これは絶品です)を肴に、一杯、一杯、復一杯、と言うことになる。若い頃は、そのまま河岸を変えて飲み、暗くなったなら狭斜の巷へ繰り出す、ということもしばしばだった。一泊のつもりでヨコハマに来た友人は、そのまま居続けになるのだから、さぞ大変だったに違いあるまい。そういった飲み方を覚えたのは、岐阜の花房東洋先輩を訪ねてから。早い話が、気の合う同志と「離れ難い」という思いに酒が加わるからだ。

岩田温先生は、午前中に原稿を一本書き上げなければならないと言うことで、十一時にホテル前で待ち合わせ。埼玉の社友の神山さんも別のホテルでピックアップしてから「安記」へ。残念ながら私は運転なので、もっぱらお茶でお相手をする。外は雨。雨の中華街もたまには良い。
ふと王維の「田園楽」七首のうちの「其六」が頭に浮かんだ。 

桃は紅にして 復た宿雨を含み
柳は緑にして 更に春煙を帯ぶ
花落ちて家僮掃はず 
鴬啼きて山客猶ほ眠る

この漢詩には、格別の思い出があるのだが、それはいずれ書くことにする。食後、神山さんと中華街で別れて、岩田先生を新横浜の松本洋三氏の会社にお送りしてから帰路に就く。

夜は、恒例の「蜷川政経懇」を同級生の経営する野毛の「弥平」にて開催。その後関内の「HIRO」に転戦。久しぶりに日にちを跨いで帰宅。

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