白雲去来

蜷川正大の日々是口実

経団連事件から三十九年。

2016-03-09 10:53:59 | 日記
三月三日(木)晴れ。

今日三月三日は、「桜田門外の変」と「経団連事件」の日。今年は、経団連事件から三十九年となる。

警視庁は、平成二十六年一月十五日に創立百四十年を迎えたのを機に、「首都百四十年の十大事件」を警視庁全職員アンケートを実施した。更に、創立百四十年を迎えたことを記念し、警視庁の歴史を振り返る「警視庁創立百四十年記念特別展」を開催。その特別展では、明治七年に警視庁が創立されて以来、一四〇年の間に起こった百大事件などを取り上げ紹介している。

その百大事件の九十一番目に、昭和五十二年三月三日に、野村先生が同志らと共に、「財界の営利至上主義を糾弾する」として、経団連会館を襲撃占拠した、いわゆる「経団連事件」が入っていた。「経団連事件」以外の民族派関係の事件では、「二・二六事件」(十八位)、「五・一五事件」(三十八位)、また大正十年の中岡艮一による「原敬首相の暗殺事件」(四十九位)を「右翼・民族派」の事件の範疇に入れて良いか迷うところだが、私の独断により入れることにした。「三島事件」(五十二位)、「浅沼社会党委員長室さ事件」(五十九位)、「血盟団事件」(八十二位)、「三木首相殴打事件」(九十二位)、「嶋中事件」(九十三位)となっている。ちなみに第一位は「オウム真理教事件」。

経団連事件・檄文
三島由紀夫・森田必勝烈士と楯の会会員が、自衛隊を衷心から敬愛し、かつ信頼していながら敢えてあの市ヶ谷台の挙に及んだに等しく、われわれも敢えて今日この「檄」を日本財界首脳諸氏に対して叩きつける。
大東亜戦争の敗北によって、廃墟と化した戦後日本の復興に、財界が少なからぬ寄与をし、如何にその指導的役割を果たしてきたか、これまでの歴史的事実を、われわれは決して軽んずるものではない。
しかしその反面において、諸君らの営利至上主義が、どれほど今日の日本を毒し、日本の荒廃と混迷を促し、社会世相の頽廃を煽ってきたか、その罪状看過すべからざるものがある。
ロッキード疑獄が投じた政治の混乱は、国民の政治不信を抜き差しならぬところまで追い込み、自由社会の根幹をすら揺るがすに至っている。
それだけではない。
日本の文化と伝統を慈しみ、培ってきたわれわれの大地、うるわしき山河を、諸君らは経済至上主義を持ってズタズタに引き裂いてしまった。
環境破壊によって人心を荒廃させ、「消費は美徳」の軽薄思想を蔓延させることによって、日本的清明と正気は、もはや救い難いところまで侵蝕されている。自ら生んだ子供をコイン・ロッカーに平然と遺棄する異常の社会を、君らは、君らが意図したか否かは別として、現実として構築し続けてきた。営利至上主義の犠牲となった薬品公害患者の苦悩を、君らは一度でも、真摯に顧みたことがあるのか。
水俣病患者・スモン病患者の心痛に対して、一度でも敬虔な反省をもったことがあるのか。
大昭和製紙等に見られる無責任きまわるヘドロ公害、または瀬戸内海を死の海へと追いたてている現実の大企業体質を、君らは一度でも虚心に直視したことがあるのか。
祖国民族あるを忘れ、大衆国民のあるを軽んずるこの天を恐れぬ諸君らの所業は、必ずや日本を、否、全人類をも亡ぼすこと必至である。
しかし、われわれの悲願は、ヤルタ・ポツダム体制そのものの打倒にあるのだ。したがって、諸君らのみをたんに弾劾するつもりはない。
日本は、大東亜戦争の敗北によって無条件降伏を強いられたが、アメリカを中軸とした戦勝国は、戦後処理を徹底的に日本民族の弱体化に置いて敢行して行った。瞭然たる史実である。
その結果が、現今、眼前に晒されている日本の姿である。物質的に豊かになったと言う美辞に弄されているのは錯覚である。
日教組の目に余る偏向教育は、青年たちから夢や浪漫や祖国愛を奪い、連帯感や責任感の喪失を顕著にして重大な社会問題を提し、マスコミ、殊にマンモス化した新聞の横暴と跳梁は心ある人々の慨嘆と怨嗟の声を集めている。政治の混迷は祖国日本の基盤そのものさえ揺るがし始めている。
東洋の君子国と謳われた日本の栄光は、いまやかけらほども見出すことができない。
すべては日本民族の弱体化を眼目としたヤルタ・ポツダム体制の歴史的呪縛にその源泉を見る。だがしかし、この三十年間に及ぶ戦後体制を最も強力に支えて来た勢力が、金権思想・営利至上主義の大企業体質そのものであったことも韜晦をゆるされぬ事実である。
われわれはかくのごとく断じ敢えてこの挙に及ぶ。
古代ローマは平和を貪ることによって自ら亡んだ。祖国日本が同じ轍を踏むのを座して看過できない。
日本を亡ぼしてはならない。
営利至上主義のために「祖国」を見失ってはならない。
 憲法改正!
 安保廃棄!
 天皇陛下万歳!
 
 YP体制打倒青年同盟  
 日本財界首脳諸君へ


夜は酔狂亭で、「おでん」を肴に月下独酌。

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体のメンテナンス。

2016-03-09 10:17:29 | 日記
三月二日(水)晴れ。

良い天気なり。朝食は、サバの文化干しに大根おろし添え。小カップの納豆に青さのりの味噌汁。前は工場だった敷地に家が沢山建って、めっきり日当たりは悪くなったが、それでも天気の良い日は気持ちが良い。最近、歩いていないので、一時間ほど歩いた。顔が大きいので、子供からマスクが小さく見えて可笑しい。と言われてから、どうもマスクをするのに抵抗があるが、この時期は花粉予防のために欠かせない。

知り合いの、警視庁の公安氏よりメール有り。何でも、沖縄から一時期こちらに来ていたHという男が、先月、沖縄のアパートで亡くなっていたと言うこと。病死、それも孤独死らしい。歳をとっての一人暮らしは気ままで良いが、寂しさの方が上回るに違いあるまい。

そう言う私も、最近ちょっと体調が良くない。背中右側の傷みが一月ぐらい続いている。押しても叩いても痛みは感じないのに、痛みがあるのだから、きっと内臓に不具合があるのではないかと思う。お世話になっている岐阜の細川先生に病院を紹介して頂き、検査をして貰うことになった。何があってもおかしくない歳になっているので、こまめにメンテナンスをしなければならない。

晩酌の時に最近欠かせないのが「長ネギ」である。それも少々高いが、細身の柔らかいものを買ってくる。焼き鳥屋で出てくるネギ焼きと同じように串に刺して、軽く塩胡椒してグリルで、焦げ目がつかない程度に四分ほど焼く。これがとても美味しい。ネギ好きの私の健康食である。

「そごう」の地下の生鮮食品売り場に行ったら、「メジマグロ」かとおもったら何と「カツオ」があった。まだ「ハシリ」の物なので、色が悪いのは仕方がないが、ふふふと買い物かごに入れようかと思ったら、なんと一七五〇円もする。浪人の身としては、こんな高いカツオを買って、独り占めしては、家族に申し訳ないとあきらめた。

初鰹が高いと言うのは、今に始まったことではない。文化九(一八一二)年三月二十五日に魚河岸に入荷した初鰹の数は十七本で六本は将軍家てお買い上げ、三本は料亭八百善が二両一分で買い、八本を魚屋が仕入れ、そのうち一本を中村歌右衛門が三両で買って、大部屋役者にふるまった、という。当時の下働きの女の一年間の給金が一両二分くらいだったのだから、初鰹の値段がいかにたいへんなものだったかは十分に想像できる。( 興津要さん著『江戸食べもの誌』)

旬のカツオで一杯やるために、体のメンテをしっかりやらなければ。
コメント (1)
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