三月一日(火)晴れ。
昨夜、豚のナンコツをたくさん買ってきて、圧力鍋で柔らかくしてから、新しいスープで大根やニンジンと一緒に煮た。沖縄の「ソーキ」とはちょっと違うが、さっぱり味で家族にも評判がいい。朝になって、より味わい深くなったものを朝食のおかずにした。
早いなぁー、。今日から三月かぁー。あっという間に桜の季節。それはそれで嬉しいのだが、花粉の季節にもなって、少々憂鬱である。五年ほど前に突然花粉症の症状が出て、この時期はちょっと辛い。私の場合は、くしゃみと目がかゆくなる。一日中、空気清浄機をつけているのだが、一軒家はマンションのように密閉性が無く、効果が無いような気がする。それでも熱が出たり、医者に通うほどではないので、まあ我慢しなければ。
午後一時半より、私が諮問委員をしている神奈川県維新協議会の福永晴彦議長や役員の方々との昼食会を関内の「利休庵」にて。上等な天ぷらそばをご馳走になった。この「利休庵」という蕎麦屋はヨコハマでは名店の部類に入る。二階のテーブル座敷では懐石料理も味わえる。蕎麦好きの私にしてみれば、嬉しい昼食となった。その後、三十分ほど打ち合わせをして解散。そのまま事務所にて五時過ぎまで書棚の整理。
私は比較的に本を大切にする方である。一応名前だけは出版社の社長なので、一冊の本を世に出すことの大変さを知っているつもりであるから、読み終わった本でも、どうも捨てられない。捨てられないから当然本がどんどんたまってくる。書棚に入りきれないので、趣味の中国史関係の本などは、段ボールに仕舞ってしまった。反対に本をあまり大切にしない人もいる。直木賞作家で飛行機事故で亡くなった向田邦子さんは文春文庫から出ている『無名仮名人名簿』の中にこんなことを書いている。
「うちの本棚の本は、みな裸でならんでいる。本を買うとまず腰巻を脱がす。腰巻というのは、本の下半身についている細長い帯である。次に外箱を捨てカバーを捨てる。中には捨てるにしのびないようないい装幀のもあるが、心を鬼にして紙屑籠にほうりこむ。ほうりこんだものの心が残り、拾い上げて取って置くものもあるが、たいていは目をつぶって捨てることにしている。中にはさまっている、本の整理番号などを書いた栞も抜きとって、もうこれ以上はがすものはないという状態にしてからページを開く。心を静めて二、三行読みはじめると、部屋の隅から『ジョワジョワジョワ』と音がする。何事ならんと目を凝らすと、つい今しがたひんむいて叩き捨てたビニール・カバーが恨みをこめて紙屑籠の中で起ち上がっていたりして、深夜、肝を冷やすこともあるが、とにかく、カバーがついていると落ちつかないのである。ページをめくるときに音がする。気が散って身が入らない。これでは著者に申し訳が無いような気がして、――というのは口実で、つまりわたしはカバーというものが嫌いな人種なのであろう」。
いやはやビックリポンや。
昨夜、豚のナンコツをたくさん買ってきて、圧力鍋で柔らかくしてから、新しいスープで大根やニンジンと一緒に煮た。沖縄の「ソーキ」とはちょっと違うが、さっぱり味で家族にも評判がいい。朝になって、より味わい深くなったものを朝食のおかずにした。
早いなぁー、。今日から三月かぁー。あっという間に桜の季節。それはそれで嬉しいのだが、花粉の季節にもなって、少々憂鬱である。五年ほど前に突然花粉症の症状が出て、この時期はちょっと辛い。私の場合は、くしゃみと目がかゆくなる。一日中、空気清浄機をつけているのだが、一軒家はマンションのように密閉性が無く、効果が無いような気がする。それでも熱が出たり、医者に通うほどではないので、まあ我慢しなければ。
午後一時半より、私が諮問委員をしている神奈川県維新協議会の福永晴彦議長や役員の方々との昼食会を関内の「利休庵」にて。上等な天ぷらそばをご馳走になった。この「利休庵」という蕎麦屋はヨコハマでは名店の部類に入る。二階のテーブル座敷では懐石料理も味わえる。蕎麦好きの私にしてみれば、嬉しい昼食となった。その後、三十分ほど打ち合わせをして解散。そのまま事務所にて五時過ぎまで書棚の整理。
私は比較的に本を大切にする方である。一応名前だけは出版社の社長なので、一冊の本を世に出すことの大変さを知っているつもりであるから、読み終わった本でも、どうも捨てられない。捨てられないから当然本がどんどんたまってくる。書棚に入りきれないので、趣味の中国史関係の本などは、段ボールに仕舞ってしまった。反対に本をあまり大切にしない人もいる。直木賞作家で飛行機事故で亡くなった向田邦子さんは文春文庫から出ている『無名仮名人名簿』の中にこんなことを書いている。
「うちの本棚の本は、みな裸でならんでいる。本を買うとまず腰巻を脱がす。腰巻というのは、本の下半身についている細長い帯である。次に外箱を捨てカバーを捨てる。中には捨てるにしのびないようないい装幀のもあるが、心を鬼にして紙屑籠にほうりこむ。ほうりこんだものの心が残り、拾い上げて取って置くものもあるが、たいていは目をつぶって捨てることにしている。中にはさまっている、本の整理番号などを書いた栞も抜きとって、もうこれ以上はがすものはないという状態にしてからページを開く。心を静めて二、三行読みはじめると、部屋の隅から『ジョワジョワジョワ』と音がする。何事ならんと目を凝らすと、つい今しがたひんむいて叩き捨てたビニール・カバーが恨みをこめて紙屑籠の中で起ち上がっていたりして、深夜、肝を冷やすこともあるが、とにかく、カバーがついていると落ちつかないのである。ページをめくるときに音がする。気が散って身が入らない。これでは著者に申し訳が無いような気がして、――というのは口実で、つまりわたしはカバーというものが嫌いな人種なのであろう」。
いやはやビックリポンや。