二月十九日(金)晴れ。
朝起きて、朝食を作るのが面倒なので、運動がてら歩いて二十分ぐらいの場所に出来た「ホカ弁屋」に行った。その昔は、おばちゃんが二、三人いて手作り感があったが、すっかりきれいになり、弁当屋と言うイメージではなくなった。ファーストフード店と言った方が良いかもしれない。買ったのは「のりタル弁当」で三百七十円でした。食べているうちに一人暮らしをしている頃を思い出した。
平成二年に戦線復帰した時に、住んでいたのが横浜市磯子区丸山という所にあったマンションで、少し高台にあったため、ベランダに出ると海が見えて中々環境の良い部屋だった。広さも七十五㎡の三LDKあって独り暮らしには十分すぎるほどで、時、まだバブルがはじける前と言うこともあり、独身暮らしを謳歌していた。当然、部屋はほとんど宴会場のようになり、神奈川の民族派の若い人たちや、盟友の古谷喜久男、成田功の両氏なども、初代酔狂亭の常連だった。
独り暮らしだったので、良くお世話になったのは、車で五分ぐらいの場所にあったホカ弁屋。しかし、その店で良く弁当を買っているうちに、そこで働いている、推定四十歳過ぎの、歯茎の目立つ大柄なおばちゃんが、ご飯を大盛りにしてくれたり、竹輪を一本サービスしてくれるようになった。「食べきれないから普通でいいよ」と言っても、サービスは続いた。ある時、私が行くと、他のおばちゃんたちが、「ほらほら来たわよ」といって、歯茎の熟女を冷かした。多分、私が、その歯茎に気が有ってホカ弁を買いに来ていると勘違いされていたらしい。ナメンナヨと、ちょうどその頃、古谷氏のお世話で買ったベンツのSLをオープンにして、当時のガールフレンドを隣に乗せて、ホカ弁屋に行ってやったら、皆さん目を丸くしていた。東海林さだおのマンガにたまに出てくる歯茎のオバハンを見るたびに、当時のホカ弁屋を思い出して、一人苦笑する。
久しぶりのブログの更新が、ホカ弁の話で申し訳ありません。もう巷は三月ですね。頑張って更新しますのでご勘弁の程を。
朝起きて、朝食を作るのが面倒なので、運動がてら歩いて二十分ぐらいの場所に出来た「ホカ弁屋」に行った。その昔は、おばちゃんが二、三人いて手作り感があったが、すっかりきれいになり、弁当屋と言うイメージではなくなった。ファーストフード店と言った方が良いかもしれない。買ったのは「のりタル弁当」で三百七十円でした。食べているうちに一人暮らしをしている頃を思い出した。
平成二年に戦線復帰した時に、住んでいたのが横浜市磯子区丸山という所にあったマンションで、少し高台にあったため、ベランダに出ると海が見えて中々環境の良い部屋だった。広さも七十五㎡の三LDKあって独り暮らしには十分すぎるほどで、時、まだバブルがはじける前と言うこともあり、独身暮らしを謳歌していた。当然、部屋はほとんど宴会場のようになり、神奈川の民族派の若い人たちや、盟友の古谷喜久男、成田功の両氏なども、初代酔狂亭の常連だった。
独り暮らしだったので、良くお世話になったのは、車で五分ぐらいの場所にあったホカ弁屋。しかし、その店で良く弁当を買っているうちに、そこで働いている、推定四十歳過ぎの、歯茎の目立つ大柄なおばちゃんが、ご飯を大盛りにしてくれたり、竹輪を一本サービスしてくれるようになった。「食べきれないから普通でいいよ」と言っても、サービスは続いた。ある時、私が行くと、他のおばちゃんたちが、「ほらほら来たわよ」といって、歯茎の熟女を冷かした。多分、私が、その歯茎に気が有ってホカ弁を買いに来ていると勘違いされていたらしい。ナメンナヨと、ちょうどその頃、古谷氏のお世話で買ったベンツのSLをオープンにして、当時のガールフレンドを隣に乗せて、ホカ弁屋に行ってやったら、皆さん目を丸くしていた。東海林さだおのマンガにたまに出てくる歯茎のオバハンを見るたびに、当時のホカ弁屋を思い出して、一人苦笑する。
久しぶりのブログの更新が、ホカ弁の話で申し訳ありません。もう巷は三月ですね。頑張って更新しますのでご勘弁の程を。