白雲去来

蜷川正大の日々是口実

風紀名門の子女に恋するを 純情の恋と誰が言う

2016-03-07 17:45:04 | 日記
二月二十九日(月)曇り。

二月は逃げる・・・か。その昔、店をやっている頃、この二月が一番嫌だった。正月枯れで、街に活気はないし、おまけに普段より営業日が二日も少ない。それでいて支払いは普段の月と変わらず往生したものだ。客商売は、ニッパチと言って二月と八月は暇な月と決まっていた。

とうとうメインのパソコンが壊れた。DELLのもので四年前に買ったものだ。いきなり画面が落ちて、ウンともスンとも言わなくなった。幸いに大事なデーターは外付けのハードディスクに入れておいたから良かったが、子供のモバイルにつないで何とか機関誌を作っているが、不便この上ない。しかし、白物家電は四年や五年では壊れることが無いのに、パソコンはまだ繊細で不具合が多い。大事なデーターは、分割して保存しなけれけばとあらためて認識した。

話は変わるが、戦前より拓大の学生などによって歌われてきた「蒙古放浪歌」というものがある。哀愁を帯びていてとても良い歌である。確かルバング島で小野田さんを探しに行った青年もその歌を歌ったと何かの本で読んだことがある。司馬遼太郎も愛唱していたと言う。また沢木耕太郎の「深夜特急」の中にもその歌を歌う場面があったように記憶している。ユーチューブなどで様々な人が歌っているのを視聴できるが、私は加藤登紀子さんの歌うものが好きだ。歌詞は以下の通り。

蒙古放浪歌
一・心猛くも 鬼神ならぬ 人と生まれて 情けはあれど
母を見捨てて 波越えてゆく 友よ兄等と 何時亦会はん

二・波の彼方の 蒙古の砂漠 男多恨の 身の捨てどころ
胸に秘めたる 大願あれど 生きて帰らむ 希みはもたぬ

三・砂丘を出て 砂丘に沈む 月の幾夜か 我等が旅路
明日も河辺が 見えずば何処に 水を求めん 蒙古の砂漠

四・朝日夕日を 馬上に受けて 続く砂漠の 一筋道を
大和男の 血潮を秘めて 行くや若人 千里の旅路

五・負はす駱駝の 糧薄けれど 星の示せる 向だに行けば
砂の逆巻く 嵐も何ぞ やがては越えなん 蒙古の砂漠

実は、この歌には「序文」がある。この序文が入った蒙古放浪歌を是非聞いてみたいものだ。

風紀名門の子女に恋するを 純情の恋と誰が言う
路頭に迷う女性に恋するを 不純の恋と誰が言う
雨降らば降るがよい 風吹かば吹くがよい
泣いて笑って月下の酒場に こび売る女性は 水蓮の如き純情あり
酒は飲むべし百薬の長 女は買うべし人生無上の快楽
幼少美女の膝枕に快楽の一夜明ければ 夢もなしまた金もなし
砕く電剣握る美林 のぞくコンパス六分の儀
ああ我山行 渡鳥 いざ唄わんかな 蒙古放浪の歌を

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皇居の勤労奉仕のご案内。

2016-03-07 16:40:50 | 日記
皇居勤労奉仕のご案内。

日本のこころを知る
日本人である事を再確認する
あなたも 皇居の清掃奉仕に参加しませんか?
 
寒さの厳しかった冬もようやく終わりに向かい、梅から桜へと春の訪れがようやく少しずつ感じられる今日この頃です。
皆様方におかれましてはお元気にお過ごしの事と思います。
さて、本年も例年通り、秋の好日を選んで宮中の勤労奉仕を致したく思います。
終戦直後、戦火で荒れ果てていることを聞きつけた宮城県の有志
らが、天幕や食料持参で駆けつけたことが始まりとなった皇居勤労奉仕は戦後七十年を過ぎた今日でも、国民が皇室を思う同じ志で続いております。ご家族、ご友人、お誘いの上、是非ご参加下さい。 
平成二十八年三月吉日 まことむすび会 代表 野呂道則


 まことむすび奉仕団 平成二十八年度 皇居勤労奉仕のご案内
奉仕期日・:平成二十八年十月の連続する平日の四日間
 (宮内庁の許可にて、五月中に日程が決定する・本年は十月二十四目からの最終週で第一希望の申請を出す予定) 二目、二目だけの奉仕は申し受けません)
○参加資格…この案内の届いた方。又は、その方の推薦する方で満十五歳以上七十五歳迄の健康な男女。(未成年者は、保護者の同意書を提出して下さい)
○参加費……一一万七千円(三泊二記念写真代、初日会食代、打上げ懇親会込。(その前後宿泊希望者は、別途一泊・五千円程度追加)

○申込み要領…(仮申込み)
 氏名(本名)、生年月日、年令、職業(学生は、学校・学部・学年) 
 郵便番号、住所、自宅電話、FAX、携帯電話、喫煙(する、しない)を記入の上事務局へ・・・FAXで送付する。
※まことむすび奉社団は、事務局が特別に認めた場合を除き、全員が原則団体行動(宿泊)です。

○申込み締切・:三月二十五日(金)必着。
 宮内庁より許可が出た者には、事務局より連絡致しますので、指定期日までに参加費の振込みをお願いします。振込みを確認次第、正式な申込み
 と致します。尚、正式に参加を認められた方には、奉仕までの間にあと一回通知します。
 正式に申し込みを受ける際、参加費の納入無き者は、キャンセル扱いにします。尚、会費を納入し、正式申込みをされた後でキャンセルされた場 合は、参加費の返却は致しません。ご了解下さい。


まことむすび奉仕団 事務局 FAX…○四七一三二六―一四三〇
問い合せ○九〇一八八一丁六六四一連絡責任者 人見仁(ひとみ・ひとし)
新しい参加者を歓迎します。お知り合いの方で奉仕に関心を寄せれる方がいらっしやいましたら、ご推薦、ご一緒にご参加下されば幸甚です。





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お別れの会へ。

2016-03-07 09:36:23 | 日記
二月二十八日(日)晴れ。

随分前に「男の顔は履歴書」という映画がつくられた。主演は安藤昇氏で、子分は安部譲二さん。映画通に言わせるとやくざ映画の中で隠れた佳作であると言う。残念ながら私は見ていない。私は、個人的に「ヤクザ映画」があまり得意ではない。健さんの任侠映画を見るには見たが、ファンになる、と言うほどではなかった。特に最近のVシネマなどは、全く見なくなった。私が子供のころから夢中になったのは、戦争映画である。戦前、戦後に作られた物はほとんど見ているのではないだろうか。いや私の映画の趣味の話ではない。

青山斎場にて行われた「安藤昇お別れ会」に出席した。といっても私は、生前の安藤昇氏とは一面識もない。主演した映画を見たと言う記憶もない。ただ戦後の一時期、疾風のように駆け抜けた、時代を象徴する方だと、男として尊敬をしている。

青山斎場に来たのは、野村先生の葬儀以来だから二十三年ぶりのことである。乃木坂の駅から歩いて葬儀場に向かう道すがら、降り注ぐ陽射しの中に、野村先生の葬儀のことがが甦ってきた。到着したのは、一時の開式の二時間近く前だったので、一般の来客はほとんどいなかったが、カメラマンが大勢待機していた。お世話になっている三本菅啓二先生にご挨拶して、側に付き添いカメラマンの大役をこなす。

会場には、大きな祭壇に故人となられた安藤氏の遺影が。そのサングラスの奥に秘められた鋭い眼光の遺影を見ていると、大宅壮一氏の「男の顔は履歴書」という言葉が浮かんだ。正にこの言葉は安藤氏のためにあるような気がした。

式が始まり、「惜別の歌」が流れる中で、故人の縁の方たちの弔辞、次いで梅宮辰夫氏の献杯、その後ご焼香。北島三郎氏や芸能関係者、任侠界、マスコミ、民族派関係者などが続く。ご焼香が済めば別室で直会。作家の山平重樹氏や大下英治氏などの知己とお会いする。終了後に、山平重樹氏にご紹介された東京国際大学の福井雄三先生らと銀座の「がんこ」というお店へ。岐阜から、ご子息の下宿探しに来ていた細川嘉彦先生も合流。
細川先生が中座した後に、河岸を変えようと言うことになった。

店を出てもまだ外は明るい。御徒町へ行こうと言うことになって、久しぶりに「新東陽」へ。群青の会の大熊雄次氏が合流。問答無用の酒となった。もうこうなると、矢でも鉄砲でも持って来い。と言う気になる。仕上げは、御徒町駅前の「吉池」。時計を見ると十時近い。さすがに解散。ヘロヘロになって自宅着。

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