白雲去来

蜷川正大の日々是口実

北辰斜め。

2016-04-01 12:44:49 | 日記
三月三十日(水)晴れ。

今日も良い天気なり。昨日に続き歩こうかとも思ったが、先日の勉強会の講師である岩田温先生の講演テープを原稿に起こさねばならないので。ということを自身の言い訳にして、事務所行き。

話は変わるが、私の映画コレクションの中で、必ず年に二、三回見直す物がある。昨夜は、そう言った映画の中から平成十九年に公開された『北辰斜め』を見た。大体こういう映画を見る時は、酒も入っているので、良いシーンになると感極まっていつも涙を流す。家族は、冷たいもので、また始まったと、言う感じで、それぞれの部屋に退避してしまう。まったく女子供には男のロマンを理解させようと思う方が間違いである。映画の主役は三國連太郎と緒形直人。題名の「北辰斜め」というのは、鹿児島の旧制第七高等学校造士館寮歌「北辰斜に」に因む。

七高五高野球対抗戦百周年を迎えるにあたって、七高OBの本田一は、メジャーリーグで行われていた復刻版ユニフォームでの試合に影響を受けて、現在の鹿児島大野球部と熊本大学野球部の選手が旧制高校時代のものを模したユニフォームを使用して記念試合を行うことを発案する。また、会場は、五高にとってはホームとなる熊本県内であり、七高にとってはかつての名投手「上田兄弟」の故郷である人吉にある川上哲治記念球場となる。

七高OBたちは上田勝弥の出席を待望するも、本人は渋る。勝弥は七高時代の寮生活や憧れの草野先輩との思い出を回想する。勝弥の七高時代の思い出話を聞いた孫の勝男が鹿児島大学への進学を希望、また、高校時代に勝弥とバッテリーを組んでいた西崎浩一の死去により、勝弥は記念試合への出席を決めるのだった。そして、回想を通じてなぜ勝弥が野球や七高から遠ざかっていたのかが明らかになる。原作は、室積光の小説『記念試合』小学館文庫。

緒形直人が、映画の初めにタイトルとなった「北辰斜め」の巻頭言を獅子吼する場面がとても良い。ユーチューブで予告編を見れますので、是非。

北辰斜め《巻頭言》
流星落ちて住む処、橄欖(かんらん)の実の熟るる郷(さと)
あくがれの南(みんなみ)の国につどいにし
三年(みとせ)の夢短しと結びも終えぬこの幸を、
或いは饗宴(うたげ)の庭に或いは星夜の窓の下に、
若い高らう感情の旋律をもて思いのままに歌い給え、
歌は悲しき時の母ともなり嬉しき時の友ともなれば。

北辰(ほくしん)斜にさすところ
大瀛(たいえい)の水洋々乎(ようようこ)
春花(はるはな)薫る神州の
正気(せいき)は罩(こも)る白鶴城(はっかくじょう)
芳英(ほうえい)永久(とわ)に朽(くち)せねば
歴史も古りぬ四百年(しひゃくねん)

紫さむる黎明(しののめ)の
静けき波に星数え
荒涼の気に咽(むせ)ぶとき
微吟消え行く薩摩潟(がた)
不屈の色もおごそかに
東(ひがし)火を噴(は)く桜島

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いまやらなければいつできる。

2016-04-01 12:06:35 | 日記
三月二十九日(火)晴れ。

花粉が飛びまくっていると、天気予報で行っていたが、最近は運動不足なので、意を決して、マスクにサングラスと言う、誰が見ても怪しいおっさん風になって、一時間半ほど歩いた。たかが一時間半だが、良い運動になった。こんな日は、何か良いことがありそうだと思っていたら友人から、是非一献との誘い。善は急げと、。五時に井土ヶ谷の駅で待ち合わせて、駅からすぐ近くの「志」という三浦の魚を売りにしているお店に入った。当然ながらまだ陽は高い。背徳感と期待感が入り混じって、「黒霧島」で乾杯。

ラッキーだったのは、美しい鰹があるとのこと。二人前頼んで、口角泡を飛ばす暇もなく、グラスと箸の交互に忙しかった。七時より、町内のジジ・ババたちとの月に一度の会合があるので、きっちり二時間で友人氏と別れて、近くの「たつ屋」へ向かう。集まりが悪かったので、愚妻と上の子供を呼んで、ご相伴にあずかった。

我が家の至宝、というものでもないが、私が大事にしている「書」が何点かある。まあほとんど生活費や、お付き合い、あるいは私の酒代に代わってしまうのだが、久しぶりに平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)という人の額を飾ってみた。そこには、平櫛が好んで揮毫したと言う「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」が書かれている。

平櫛 田中(一八七二年二月~一九七九年)は、日本の彫刻家。本名は平櫛倬太郎。旧姓は田中。井原市名誉市民、福山市名誉市民、小平市名誉市民、90歳で文化勲章を受章。田中は写実的な作風で、高村光雲、荻原碌山、朝倉文夫などと並び近代日本を代表する彫刻家の一人である。代表作は国立劇場にある「鏡獅子」や、「烏有先生」「転生」「五浦釣人」など。また、田中語録と呼ばれる名言も多く残している。田中の出身地の井原市に井原市立田中美術館、また、晩年を過ごした小平市には小平市平櫛田中彫刻美術館があり、作品を公開している。

絵を飾ることはまずないが、頭山満翁をはじめ、先人の書に鼓舞されることもある。もちろん野村先生の書にも。

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