白雲去来

蜷川正大の日々是口実

5・3憲法を考える青年集会

2016-04-13 22:08:54 | 日記

四月十三日(水)曇り。「憲法を考える青年集会」のお知らせです。

戦え!力を賛美せよ!

謹啓 陽春の候、皆様におかれましては、日々邦家の御為にご尽力のこと敬服いたします。
さて、本年も「憲法を考える青年集会」を開催させていただくはこびとなりました。
例年は、渋谷の街をデモ行進しながら、シュプレヒコールを通じて、広く私たちの憲法観を主張してまいりましたが、本年は趣向を変え、演説会を通じて、わが国の「本来あるべき憲法とは何か」を具体的に訴えてみたいと考えています。
昨年の安全保障法制の議論以降、国民の憲法に対する意識は少なからず高まり、また夏に予定される国政選挙は、憲法改正がひとつのその争点になるともいわれています。現行憲法制定から七十年になろうとする祖国の現状のなかで、改正か、自主憲法か、帝国憲法復元改正か…。
それぞれの立場から、民族派の憲法観をご主張いただければと考えます。
皆様にはなにかとご繁忙の時とは存じますが、神州男児の気概を示すべく、下記の通りご参集いただき、また、ご登壇いただければ幸いに存じます。
    平成28年4月吉日
     
憲法を考える青年集会 実行委員会 代表 横山孝平  

      ☆     ☆     ☆     ☆     ☆


    【日 時】5 月3 日(火) 正午開始から午後4時頃まで
    【場 所】JR 新宿駅西口広場
    ※駐車施設がございませんので、公共交通機関をご利用下さい。
                      
                  主催・憲法を考える青年集会実行委員会
                      

                           実行委員 志村 馨
                           小針政人

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栄養失調で餓死した「南極の英雄」。

2016-04-13 11:08:30 | 日記
四月十一日(月)曇り。

朝食を作るのが面倒なので、今日もズルした。ホットモットの「特のりタル弁当」。食べたことのない人のために書けば、のり弁に、メンチ、から揚げが一個ずつ付いて、魚のフライにタルタルソースが添えてある。ちなみに一番安い「のり弁」は、魚フライとちくわ揚げが付いて三百五十円。外は曇り、朝から初老の男が、一人でホカ弁を食べているというのは、シュール、かつ自虐的で、これも一興かもしれない。

南極観測船の名前は「しらせ」。明治四十五年の一月に我が国で最初に南極に上陸した探検家の白瀬 矗(のぶ)の名前に由来しているのはご存じのとおり。極点には到達できなかったが、その壮挙は国内外から称賛された。とここまでは、知っていたが、晩年の白瀬は不遇で、昭和二十一年九月四日、八十五歳で「我れ無くも 必ず探せ南極の 地中の宝 世にだすまで」という辞世を残して亡くなった。死亡の理由は、何と栄養失調による「餓死」だったことは不覚にも知らずにいた。

大正元年六月、「南極の英雄」白瀬が帰国すると待っていたのは、国民の歓呼の声と共に莫大な借金だった。白瀬が南極に行くために募ったお金は十二万円で、総経費の額は十六万円。差し引き四万円の借金が残った。現在の価値にすると四億円にもなると言う。借金を返すために家や土地など売れるものは全て売り払い、大学に在学中だった娘を中退させ、娘と探検の際のフィルムを抱えて日本全国を講演して回った。しかし生活は苦しく、昭和二年、探検家として有名なアムンゼンが来日した際に、白瀬に会いたがったが、彼は貧乏で着て行く服がなく、浴衣に夏羽織という格好で会いに行った。誰の手も借りずに白瀬が借金を返済したのは昭和十年、七十一歳の時。実に律儀な性格であることが分かる。その頃の日記には、「困りけり、ああ困りけり、生活難に困りけるかな」と書いてあったという。

この歳になるまで、随分と本を読んだつもりなのだが、知らないこと、知らなければいけないことが、山ほどある。

「この地上に生きた、あるいは今も生きている偉大な人々について読むことは、偉大な心に触れることである。彼らは皆、周囲の圧力に屈せず、自分の胸の中の羅針盤で、人生の行路を選び、常に選択と態度の自由、そして個人的な責任の受容を指針としている。私はこの偉大な人々の生涯について、そして彼らが成功の高みに登る途上で乗り越えた数々の失敗や落胆について読むたびに、その忍耐力、勇気、粘り強さに畏敬の念を覚える」。これは、かつて私の「勉学用ノート」に写した、城山三郎氏の『ビジネスマンの父より、息子へ三十通の手紙』からの引用である。

夜は名前だけ立派な「蜷川政経懇」を関内のHIROにて開催。その後、尼野保君らと共に、旧知の井上伸一君が南区榎町で奥さんと営む「団欒酒場」へ転戦。一時間ほどで帰宅。

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