白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お見舞いに、仲良しさんたちとの飲み会。

2016-04-18 12:56:04 | 日記
四月十六日(土)晴れ。

午前中に、残っている仕事をけ片づけようと思ったが、ヒゲジイことサリーパパが、トラックから落ちて、左の肩を骨折し、入院していることを思い出して、愚妻とお見舞いに行くことにした。小港にある病院に行く途中に、桜の名所である大岡川の附近を通ったが、桜は皆、葉桜となっていて、初夏の装いを醸し出していた。

ヒゲジイは、手術が成功して、二十日の退院を待つばかりとかで、元気そうなので安心した。サリーを誘ってサリーの家のすぐ近くの「美奈登庵」で昼食でもと思ったが、生憎駐車場が一杯。仕方がないので、河岸を変えて中華街の「安記」へ。土曜日とあって中華街は人で溢れていた。中華街の近くで育った私やサリーは、昔のことを考えると、どこか違う町に来たような感じがしてしまう。

「お粥」の前に定番の「モツ皿」「レバ皿」「焼売」で軽くビールを。食後はサリーを送ってから帰宅。夕方まで仕事をしてから、弘明寺の「花笠」へ。メンバーは、カメ&アコちゃん。山崎雅夫氏、幼馴染の水原広雅氏、東京から大熊雄次氏が参戦。気の置けない人たちとの酒席ほど楽しいものはない。二時間ほど飲んでから、前里町の「だんらん亭」へ転戦。十時少し過ぎに解散。深夜、熊本に震度六強の地震あり。

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災害に備える。と言ってもなぁー。

2016-04-18 12:22:42 | 日記
四月十五日(金)晴れ。

熊本の災害は、全く予期せぬことで、(災害のほとんどがそうなのだが)これまで、「近い将来必ず来る」と言われていた東海、東南海、関東などの警戒地域とは違って、全く想定外のことだった。私のような素人には、地震は通常、最初に大きいのが来ると、徐々にその威力が軽減して行くものと思っていたが、「本震」だと思っていたのが、「前震」で、後から来た大きいのが「本震」であるなどとは、誰が想像しただろうか。

最初の地震のニュースを見て、古い建物で、重い瓦の乗った民家の被害は、むべなるかなと思ったが、最近の厳しい建築基準法の下で建築された建物は、多少の被害はあったものの、倒壊には至らず、大したものだと内心思っていた。先の東北沖の震災の時も、地震そのものの被害は少なく、ほとんどが津波によるものとの発表を聞いて、日本の建築技術を見直したものだった。しかし、震度六前後の地震が幾度も続いたならば、ダメージが重なり、余程頑丈な建物でなければ、被害は免れないだろう。

日頃から「震災に供えよ」と言われているが、今回の熊本のような地震が来たら、一体、何をどう備えて良いのか、見当もつかない。東京や横浜のような住宅密集地だったら、被害はもっと広がるのに違いあるまい。家だけでも無事であったなら、例え電気や水道、ガスなどが止まったとしても、何とか我慢は出来るが、家が倒壊したら、その時点で助からない。「最低限の備え」は日常心がけているが、どの程度の地震か、その時、自分がどこにいるのか・・・。こういうことが運命の分かれ道となる。

大都市では、住民が避難する場所も限られているし、冬のそれも雨の日だったら、お年寄りや子供の体力が奪われるのも早い。運を天に任せる以外にないが、ジタバタしても仕方がない。熊本の地震が一日も早く終息するのをただ祈るのみである。

昼は、下の子供と一緒に、「つけ天」の「角平」にて昼食。私は定番の「海老のつけ天」、子供は名物の「カツ丼」。ここのカツ丼は、ご飯よりも「カツ」の方が大きく、初めて食べる人は皆、ビツクリポン。子供も格闘しながら食べていた。

夜は、カメちゃんを誘って「やまと」へ。地震で苦労なされている人達のことを考えると、申し訳ないが、無力感を肴に飲んだ。

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