四月三日(日)曇り。神武天皇祭。
今日は、神武天皇祭である。初代天皇である神武天皇の崩御日にあたる四月三日に毎年行なわれ、神武天皇の天皇霊を祭る。崩御日は『日本書紀』によれば紀元前五八六年(神武天皇七十六年)三月十一日であるが、これをグレゴリオ暦に換算して四月三日としている。宮中の皇霊殿と神武天皇陵に治定される奈良県橿原市の畝傍山東北陵で儀式が行われる。今年は初代天皇である神武天皇の没後二千六百年とされており、両陛下は橿原市にある陵で式年祭に臨まれる。
起床後、橿原神宮を遥拝。床の間に鷲尾勘解治が「昭和の大典」の際に書いた「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」(天地とともに永遠に極まりなく続くさま。「天壌」は天と地。「無窮」は極まりないさま、永遠の意。ご皇室の繁栄の永続性を寿(ことほ)ぐ、という思いを込めて使われる)の書を掛けた。
鷲尾勘解治は、明治十四年(一八八一)五月十日に兵庫県武庫郡須磨村白川(現在の神戸市)に生まれる。住友合資会社の別子事業所支配人として、自彊舎・親友会・改善会をつくり企業と地域の共存共栄の精神を醸成する。山田社宅の建設、別子銅山無き後の新居浜後栄策の作成など今日の新居浜市の基盤をつくる。昭和通りや新居浜港の建設、現・住友重機械工業(株)、現・住友化学(株)の振興などに尽力した。
自彊舎(じきょうしゃ)は、もともと明治四十五年に旧別子の風呂屋谷で、会社の舎屋を借り受けて鷲尾勘解治の私塾として開かれたものである。鷲尾は自ら志願して坑内で働いた経験から、青年坑夫の精神的な向上を図る必要性を痛感して、総理事の鈴木馬左也に、学生時代の禅の修業経験を加味した教育を行うことを申し出て了承を得て開塾した。
六時過ぎまで、何処にも出かけずに、テープ起こし。久しぶりに真面目に仕事に取り組んでいる。七時過ぎから、酔狂亭で独酌。
今日は、神武天皇祭である。初代天皇である神武天皇の崩御日にあたる四月三日に毎年行なわれ、神武天皇の天皇霊を祭る。崩御日は『日本書紀』によれば紀元前五八六年(神武天皇七十六年)三月十一日であるが、これをグレゴリオ暦に換算して四月三日としている。宮中の皇霊殿と神武天皇陵に治定される奈良県橿原市の畝傍山東北陵で儀式が行われる。今年は初代天皇である神武天皇の没後二千六百年とされており、両陛下は橿原市にある陵で式年祭に臨まれる。
起床後、橿原神宮を遥拝。床の間に鷲尾勘解治が「昭和の大典」の際に書いた「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」(天地とともに永遠に極まりなく続くさま。「天壌」は天と地。「無窮」は極まりないさま、永遠の意。ご皇室の繁栄の永続性を寿(ことほ)ぐ、という思いを込めて使われる)の書を掛けた。
鷲尾勘解治は、明治十四年(一八八一)五月十日に兵庫県武庫郡須磨村白川(現在の神戸市)に生まれる。住友合資会社の別子事業所支配人として、自彊舎・親友会・改善会をつくり企業と地域の共存共栄の精神を醸成する。山田社宅の建設、別子銅山無き後の新居浜後栄策の作成など今日の新居浜市の基盤をつくる。昭和通りや新居浜港の建設、現・住友重機械工業(株)、現・住友化学(株)の振興などに尽力した。
自彊舎(じきょうしゃ)は、もともと明治四十五年に旧別子の風呂屋谷で、会社の舎屋を借り受けて鷲尾勘解治の私塾として開かれたものである。鷲尾は自ら志願して坑内で働いた経験から、青年坑夫の精神的な向上を図る必要性を痛感して、総理事の鈴木馬左也に、学生時代の禅の修業経験を加味した教育を行うことを申し出て了承を得て開塾した。
六時過ぎまで、何処にも出かけずに、テープ起こし。久しぶりに真面目に仕事に取り組んでいる。七時過ぎから、酔狂亭で独酌。