四月二十二日(金)晴れ。
今は、そんな女の人はいないかもしれないが、その昔(どのくらい昔だ)は、生活のために、仕方なく体を売って生活する女性がいた。戦後になってそんな「商売」が倫理上宜しくない、とおばちゃんの代議士さんたちが騒いで、法律で禁じた。その売春防止法が完全施行されたのが昭和三十三年。私は七歳で小学校の一年生だった。
私は、その時代のことは知らないが、映画や本で読んで、何となく皮膚感覚では分かる。ひところ、フイリピンやタイなどから我が国にそう言った商売を目的に日本に来る女性たちを「ジャパゆきさん」と言ったことがあった。その言葉の語源となったのは、十九世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のことを「からゆきさん(唐行きさん)」と言ったことに由来する。資料によれば、「長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身の女性が多く、その海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在していた。「唐」は、漠然と「外国」を指す言葉である」。伊豆の下田で、日本の初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスの世話をした、有名な「唐人お吉」もそうだが、「唐」とは漠然と外国を指す言葉として使われた。「からゆきさん」のことは、ノンフィクション作家・山崎朋子さんの『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』に詳しい。
いやはや、そんな女性の底辺史を書くつもりなどない。北国で繰り広げられている、鶴田浩二の歌の文句のような、馬鹿とアホウの絡み合いを、眺めていて、ふと頭に浮かんだのが、苦界に身を沈めた女の人たちのことだった。一説によれば、そういった不特定多数の見知らぬ客を相手にする女性にも、操を立てる(調べてみてね)意地があって、嫌な客には、決して、唇を合わせないとか、朝までの「泊まり」の客にはしなかったそうだ。しかしあまり選り好みもしていられないので、客の中で、景気の良さそうな客を馴染みにしてダンナのようにしている女性もいたと聞く。
ジタミさんという売れっ子の娼婦には、コーさんと言う馴染みの旦那がいて、金満家で鼻持ちならないが、身請けをしてくれる良いオトコが出てくるまでは、仕方なく一番の馴染みとして接している。しかし、周りの同僚からは、来た時と帰る時にお経を唱えるのが辛気臭いと、あまり評判がよくない。
最近入った、タミシンと言う名の娘は、節操がなく、寄ってくる者は誰でも良いと言うオールマイティー。肌が赤かろうが、桃色だろうが、一人でも二人の名前を使っている、アブナそうな男でも、自分がナンバーワンになるためには、なりふり構わない。多少、若いと言うこと売りにして、頑張ったが、世間というものは、やはりそういった客を選ばない、無節操なオンナの評判は、すぐ地に落ちて飽きられる。挙句の果ては、借金残してトンズラしてしまった。それも売れないことをお店のシステムにして。そうそう、お店の名前は「権力屋」だったそうだ。
暗くなるのを待って、我が酔狂亭で、ご恵送頂いた高知産の「カツオのタタキ」と、ご厚情に、感謝し「黒霧島」を相手に、世を罵り、我が不如意を嘆きつつ、月下独酌。
今は、そんな女の人はいないかもしれないが、その昔(どのくらい昔だ)は、生活のために、仕方なく体を売って生活する女性がいた。戦後になってそんな「商売」が倫理上宜しくない、とおばちゃんの代議士さんたちが騒いで、法律で禁じた。その売春防止法が完全施行されたのが昭和三十三年。私は七歳で小学校の一年生だった。
私は、その時代のことは知らないが、映画や本で読んで、何となく皮膚感覚では分かる。ひところ、フイリピンやタイなどから我が国にそう言った商売を目的に日本に来る女性たちを「ジャパゆきさん」と言ったことがあった。その言葉の語源となったのは、十九世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のことを「からゆきさん(唐行きさん)」と言ったことに由来する。資料によれば、「長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身の女性が多く、その海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在していた。「唐」は、漠然と「外国」を指す言葉である」。伊豆の下田で、日本の初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスの世話をした、有名な「唐人お吉」もそうだが、「唐」とは漠然と外国を指す言葉として使われた。「からゆきさん」のことは、ノンフィクション作家・山崎朋子さんの『サンダカン八番娼館-底辺女性史序章』に詳しい。
いやはや、そんな女性の底辺史を書くつもりなどない。北国で繰り広げられている、鶴田浩二の歌の文句のような、馬鹿とアホウの絡み合いを、眺めていて、ふと頭に浮かんだのが、苦界に身を沈めた女の人たちのことだった。一説によれば、そういった不特定多数の見知らぬ客を相手にする女性にも、操を立てる(調べてみてね)意地があって、嫌な客には、決して、唇を合わせないとか、朝までの「泊まり」の客にはしなかったそうだ。しかしあまり選り好みもしていられないので、客の中で、景気の良さそうな客を馴染みにしてダンナのようにしている女性もいたと聞く。
ジタミさんという売れっ子の娼婦には、コーさんと言う馴染みの旦那がいて、金満家で鼻持ちならないが、身請けをしてくれる良いオトコが出てくるまでは、仕方なく一番の馴染みとして接している。しかし、周りの同僚からは、来た時と帰る時にお経を唱えるのが辛気臭いと、あまり評判がよくない。
最近入った、タミシンと言う名の娘は、節操がなく、寄ってくる者は誰でも良いと言うオールマイティー。肌が赤かろうが、桃色だろうが、一人でも二人の名前を使っている、アブナそうな男でも、自分がナンバーワンになるためには、なりふり構わない。多少、若いと言うこと売りにして、頑張ったが、世間というものは、やはりそういった客を選ばない、無節操なオンナの評判は、すぐ地に落ちて飽きられる。挙句の果ては、借金残してトンズラしてしまった。それも売れないことをお店のシステムにして。そうそう、お店の名前は「権力屋」だったそうだ。
暗くなるのを待って、我が酔狂亭で、ご恵送頂いた高知産の「カツオのタタキ」と、ご厚情に、感謝し「黒霧島」を相手に、世を罵り、我が不如意を嘆きつつ、月下独酌。