六月二日(日)曇り。開港記念日。
たまに無性に揚げ物が食べたくなる時がある。といっても体のことを考えて、なるべく控えているのだが、コロツケ、またはメンチカツにキャベツの千切り添え、これに中濃ソース、というパターンである。付け合わせにキャベツの他にナポリタンがあれば最高なのだが、面倒なので、いつも省いてしまう。町の洋食屋さんに行った時など、オーダーした物の付け合わせに、ナポリタンがあると頬がゆるむ。
そんな訳で、今朝は、冷凍のカニクリームコロッケ、ボイルウインナー、目玉焼きにキャベツの千切り添え。生海苔の味噌汁。昼は、買い物に行ったついでに、ファーストキッチンにて「エビカツバーガー」。夜は、開港祭の花火見学で、焼き鳥やローストビーフなど。
今日は、横浜の開港記念日である。生憎日曜日と重なってしまったが、平日ならば、市立の小、中、高校は休みとなる。横浜港は安政六年六月二日に開港された。開港時には特にこれを祝う行事などは行わなかったが、翌年六月二日に開港一周年を記念して民衆が山車などを繰り出して祝ったのが横浜の開港記念日の始まりとされている。現在は毎年六月二日が横浜の開港記念日と定められている。
全国の市町村で、市や町の歌がどのくらいあるのか知らないが、横浜生まれで、横浜の市立の小、中、高校を卒業している人ならば、恐らく全員が「横浜市歌」を歌える。この歌を歌えない人は、当然ながら横浜生まれの人ではないといっても過言ではない。後輩のS君の結婚式の披露宴で、新郎新婦の入場の際の曲が、横浜市歌で、出席者に大うけしたことがあった。
ちなみに横浜市歌は、明治四十二年七月一日に横浜港の新港埠頭で行われた「開港五十年記念大祝賀会式典」の席で、初めて披露された。以来、市民に広く歌い継がれている。作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は東京音楽学校教師の南能衛(よしえ)。この曲は、横浜市が東京音楽学校に仲介を委託し、南が作った旋律の上に、森が歌詞を作り、完成させたものである。
開港記念日のお祝いの開港祭が、みなとみらいにて行われている。社友の松本佳展君のお世話で、この四、五年この日に行われる花火大会に招待されている。最近は、人気が高くて中々桟敷の升席が取りにくくなっているそうだ。今年は、一升用意して頂いた。我が家の家族とお世話になっている人達を招いて花火観賞。レザー光線と花火のシヨーは、とても感動した。いい一日だった。
たまに無性に揚げ物が食べたくなる時がある。といっても体のことを考えて、なるべく控えているのだが、コロツケ、またはメンチカツにキャベツの千切り添え、これに中濃ソース、というパターンである。付け合わせにキャベツの他にナポリタンがあれば最高なのだが、面倒なので、いつも省いてしまう。町の洋食屋さんに行った時など、オーダーした物の付け合わせに、ナポリタンがあると頬がゆるむ。
そんな訳で、今朝は、冷凍のカニクリームコロッケ、ボイルウインナー、目玉焼きにキャベツの千切り添え。生海苔の味噌汁。昼は、買い物に行ったついでに、ファーストキッチンにて「エビカツバーガー」。夜は、開港祭の花火見学で、焼き鳥やローストビーフなど。
今日は、横浜の開港記念日である。生憎日曜日と重なってしまったが、平日ならば、市立の小、中、高校は休みとなる。横浜港は安政六年六月二日に開港された。開港時には特にこれを祝う行事などは行わなかったが、翌年六月二日に開港一周年を記念して民衆が山車などを繰り出して祝ったのが横浜の開港記念日の始まりとされている。現在は毎年六月二日が横浜の開港記念日と定められている。
全国の市町村で、市や町の歌がどのくらいあるのか知らないが、横浜生まれで、横浜の市立の小、中、高校を卒業している人ならば、恐らく全員が「横浜市歌」を歌える。この歌を歌えない人は、当然ながら横浜生まれの人ではないといっても過言ではない。後輩のS君の結婚式の披露宴で、新郎新婦の入場の際の曲が、横浜市歌で、出席者に大うけしたことがあった。
ちなみに横浜市歌は、明治四十二年七月一日に横浜港の新港埠頭で行われた「開港五十年記念大祝賀会式典」の席で、初めて披露された。以来、市民に広く歌い継がれている。作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は東京音楽学校教師の南能衛(よしえ)。この曲は、横浜市が東京音楽学校に仲介を委託し、南が作った旋律の上に、森が歌詞を作り、完成させたものである。
開港記念日のお祝いの開港祭が、みなとみらいにて行われている。社友の松本佳展君のお世話で、この四、五年この日に行われる花火大会に招待されている。最近は、人気が高くて中々桟敷の升席が取りにくくなっているそうだ。今年は、一升用意して頂いた。我が家の家族とお世話になっている人達を招いて花火観賞。レザー光線と花火のシヨーは、とても感動した。いい一日だった。