不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

白雲去来

蜷川正大の日々是口実

人が不快になるようなことは、言わない。

2019-06-21 10:43:27 | 日記
六月十八日(火)晴れ。

料理に関するエッセイストとして有名な平松洋子さんの『焼き餃子と名画座』(新潮文庫)と言う本の中にこんな物があった。「東京は白山通りを水道橋方向へ歩いた左側に昭和の趣を漂わせる小さな中華料理店である。(中略)北京亭の箸袋にこうかかれているのを読んだことがある。「世界中、どこの国の人も、自国に誇りを持ちたいと思っています。大国でも小国でも同じです。私たち中国人は、日本の人がわが国を『シナ』と呼ぶとき、耐えがたい抵抗を感じます。中国人が祖国を『シナ』と呼んだことはありません。同じ漢字を用いる日本の人が中国を『シナ』と呼ぶとき、私たちはどうしても日本人が中国を侵略し、中国人を侮っていた頃の歴史を想起してしまうのです。両国人民の子々孫々の友好のために、どうか『シナ』といわず、『中国』と呼んでください。正式国名は『中華人民共和国』です。北京亭主人敬白」。

人が聞いて不快になるのなら改めれば良いだけの話である。でも、今の若い人に『シナ』などと言う言葉を使う人がいるのだろうか。私にも、デブだとかハゲだとか言うよりも、「ちょっと太ったね」とか、「髪の毛が薄くなったね」とか言って貰う方が、余り傷つかない。嫌がることはしないと言うのが、大人のマナーでもある。

夜は、月に一度の仲良しさんたちとの食事会を馬車道の「佐島」にて開催。ここで同級生より、知り合いの方の自裁を知る。何があったのかは知らないが、残念である。ニュースでは、新潟に地震とか。同胞の無事を祈るばかりである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

余に問う、何事か陋屋に住むかと。

2019-06-21 09:48:58 | 日記
六月十七日(月)晴れ。

六時に起きて、上の子供と一緒に食事。鮭の頭、白菜のおしんこ、あさりの味噌汁。鮭の頭にあさりの味噌汁何て、最強の朝食である。しかし、鮭の切り身はいくらでも買えるが、頭だけは中々売っていないから厄介だ。昼は、おにぎり一つ。夜は、カツオ、ブリ、笹カレイ。お供は「三岳」酔狂亭にて、月下独酌。

我が家は、山中と言うほどではないが、歩いて通うのにはかなり不便である。めったにないが、大雨、雪の日などは一切出かけずに。籠城を決め込む。そんな時に、ふと李白の「山中にて俗人に答える」という詩が浮かぶ。

「山中答俗人」
問余何事栖碧山 余に間う 何事か碧山に栖(す)むかと
笑而不答心自閑 笑って答えず 心自ずから閑なり
桃花流水沓然去 桃花流水沓然として去り
別有天地間 別に天地の人間(じんかん)に非ざるあり

世間の人々は、どうしてこんな山奥に住んでいるのかとたずねる。私はただ笑って答えないが、まことにのんびりとこの環境を楽しんでいるのだ。ごらん、桃の花びらが川面に浮かんでゆったりと流れ去り、俗世間とはまったく異なる風情があるではないか。時には、こんな一時をもってみたいものだ。

一応、我が家の庭には、築山と川が流れている。だから静かにしていると李白の思いが伝わる。羨ましい。ですって。何言ってんの「質の流れ」に「借金の山」ですよ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする