五月三十日(木)晴れ。
自宅の近くに、児童遊園地(遊園地と言っても遊具がある訳ではなく、森林公園である)があるので、この時期には、ウグイスの鳴き声が良く聞こえる。中には、夜更かしのウグイスがいて、まだ夜も明けきらぬうちから、その声を聴くことがある。二日酔いの時など、その鳴く音が「法法華経」と聞こえる。
『山頭火の秀句ー果てもない旅から』(上田耕史著・潮文社)の中に山頭火昭和十年の作として「うぐひすうぐひす和尚さん掃いてござる」というものがある。解説によれば、「『うぐひすうぐひす』という同語反復によって、広い境内のどこかに啼いているウグイスの張りのある音色が聞こえるようである。『履いてござる』は、朝の清浄な空気と、掃き清められた広い寺内での和尚さんの動きが、ささいな一挙手、一投足まで目に浮かぶようである」。私は、この句を読んだ時に頭に浮かんだのが、幕末の漢詩人である藤井竹外の「吉野懐古」の漢詩でる。
古陵の松柏 天飈(てんぴょう)に吼ゆ
山寺春を尋ぬれば 春寂寥
眉雪の老僧 時に帚くことを輟(や)め
落花深き処 南朝を説く
吉野を訪ねて、後醍醐天皇の古い御陵の前に来ると、松や柏の木は強い風にうなり声をあげている。山中の如意輪寺(にょいりんじ)あたりに春景色を尋ねてみると、桜の花は散り人影もなく静かでものさびしい。眉毛のまっ白な老僧がしばらく掃くことをやめて、落花の散り敷いたところで南朝の物語をしてくれた。(関西詩吟文化協会)
時を経て、場所は違えども、幕末の如意輪寺の老僧が落花を掃き清めていた時にも、ウグスは鳴いていたのだろうか。夜は、懲りずにサンズン、ヨツヤ程度のカツオを肴に酔狂亭にて月下独酌。
自宅の近くに、児童遊園地(遊園地と言っても遊具がある訳ではなく、森林公園である)があるので、この時期には、ウグイスの鳴き声が良く聞こえる。中には、夜更かしのウグイスがいて、まだ夜も明けきらぬうちから、その声を聴くことがある。二日酔いの時など、その鳴く音が「法法華経」と聞こえる。
『山頭火の秀句ー果てもない旅から』(上田耕史著・潮文社)の中に山頭火昭和十年の作として「うぐひすうぐひす和尚さん掃いてござる」というものがある。解説によれば、「『うぐひすうぐひす』という同語反復によって、広い境内のどこかに啼いているウグイスの張りのある音色が聞こえるようである。『履いてござる』は、朝の清浄な空気と、掃き清められた広い寺内での和尚さんの動きが、ささいな一挙手、一投足まで目に浮かぶようである」。私は、この句を読んだ時に頭に浮かんだのが、幕末の漢詩人である藤井竹外の「吉野懐古」の漢詩でる。
古陵の松柏 天飈(てんぴょう)に吼ゆ
山寺春を尋ぬれば 春寂寥
眉雪の老僧 時に帚くことを輟(や)め
落花深き処 南朝を説く
吉野を訪ねて、後醍醐天皇の古い御陵の前に来ると、松や柏の木は強い風にうなり声をあげている。山中の如意輪寺(にょいりんじ)あたりに春景色を尋ねてみると、桜の花は散り人影もなく静かでものさびしい。眉毛のまっ白な老僧がしばらく掃くことをやめて、落花の散り敷いたところで南朝の物語をしてくれた。(関西詩吟文化協会)
時を経て、場所は違えども、幕末の如意輪寺の老僧が落花を掃き清めていた時にも、ウグスは鳴いていたのだろうか。夜は、懲りずにサンズン、ヨツヤ程度のカツオを肴に酔狂亭にて月下独酌。