白雲去来

蜷川正大の日々是口実

あだ桜。

2019-06-04 15:12:19 | 日記
五月三十一日(金)曇り。

機関誌用のプリンターの調子が悪く、修理をお願いした。正直言って使っているプリンターはほぼ限界にきている。もう少しランクの良い物をリースしなければならないのだが、二の足を踏んでいる。十時に来て頂いて、修理が終わったのは、一時近くだった。とりあえずは、騙し騙し使うしかない。

また今日は、車の車検。トヨタの係りの人に取に来てもらったが、早いものでもう三年。走行メーターは約二万キロを指していた。初めての車検なので、「余計な物を交換しないでね」とゲンメイした。結局五時過ぎに車が戻って来て、お蔭で足がないので一歩も動けなかった。

人生の折り返し地点をはるかに過ぎ、残された明日は日一日と少なくなっているのに、まだ明日をたのむ気持は直っていない。さしあたって一番大切な、しなくてはならないことを先に延し、しなくてもいいこと、してはならないことをしたくなる性分は、かえって年ごとに強くなってゆくような気がする。突拍子もないいい方だが、豊臣秀吉とか田中角栄とか、一代にして急上昇した人は、決してそういうことのない人なのではないか。今、何をすべきか、鋭いカンでかぎわけ、いや、かぎわける前に、体がひとりでに動いてそれを実行している人なのだろう。

礼状を書かなくては、お見舞い状を出さなくてはと思いながら一日延しにする。不義理は重ねるほど気が重くなり、ますます日が延びる。口当りのいい、面白おかしいことを先にして、気の重さをごまかし、まだ大丈夫、明日があると思っているうちに、老眼となり、髪を分けると、白いものがまじりはじめる。今まで何ともなかった地下鉄から地上へ出る階段で息がきれるようになる。ああ、と溜息をついているうちに、雨が降り、風が吹いて、今年の桜も、散ってしまった。

これは、向田邦子さんの『父の詫び状』という本の中の「あだ桜」という文章の一節である。ちなみに「あだ桜は『徒桜』と書き、はかない桜、散りやすい桜」の意味である。いやはや向田さんには申し訳ないが、私も上記の文章と全く同じ性格をしている。読んでいて、ビシッとオデコにデコピンをやられたような気がした。今夜も天井に「反省」の文字を貼って寝るか。

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