白雲去来

蜷川正大の日々是口実

大桟橋のことなど。

2019-06-08 14:12:11 | 日記
六月五日(水)曇り。

汽笛が鳴った。桟橋の人々が手を振った。バイカル号の船体は、静かに岸壁をはなれた。テープがのびきって切れ、ゆるやかに海面に舞い落ちる。離岸し、後進し、桟橋から離れたところで、船は大きく船首をたてなおした。かすかにゆれながら、加速する。風が冷たくなった。音楽がやんだ。五千三百トンのソ連客船バイカル号は、いま横浜港を出て、シベリアの玄開、ナホトカヘ向かおうとしていた。五木寛之の『青年は荒野を目指す』の(第一章・霧のナホトカ航路)からの引用である。

横浜港の大桟橋が平成の時代に今のようなモダンな姿になる前に、幾度も行ったことがあった。二階にあった送迎デッキから五木寛之の書いた情景を見た記憶がある。確か、楽団が「蛍の光」を演奏していたと記憶している。しかし考えてみると、大桟橋で客船の出入港の折に演奏していた楽団は、何処の所属だったのだろうか。色とりどりの紙テープが船の乗客から投げられて、見送りの人たちが手に取り、別れを惜しむ。そのテープのあまりの多さに、船が繋がれて動けないのではとの錯覚に陥った。今では、環境に配慮してか、そんな別れのセレモニーは行われない。

何の映画かは失念したが、この港の別れのシーンで忘れられないものがある。アメリカに働きに行く彼氏を港で見送る彼女が、編みかけのセーターの糸の端を持って佇んでいる。本船に向かうボートの中に立つ彼のセーターが遠ざかるにつれてほつれて短くなり、セーターの下に着ているシャツがお腹から胸と露出して行く。そのセーターの毛糸が二人をつなぐ唯一のものとして、心細さと不安とを演出しているようで切なかった。映画は退屈な内容だっだが、このシーンだけが忘れられない。

大桟橋が小説に登場した最初の物は「桟橋が長い、長い」で始まる森鷗外の『桟橋』であろうが、有名な『舞姫』にも桟橋が登場する。前述の五木の『青年は荒野を目指す』や彼の『雨の日には車をみがいて』、更に三島由紀夫の『豊饒の海』の第四巻『天人五衰』にも大桟橋の場面がある。大桟橋に行く機会がありましたなら、是非とも、そんな小説を思い出して頂きたい。

夜は、友人と大通公園の脇の「おおぎ」といううどん屋で一献。あとから愚妻も合流して、楽しい飲み会となった。

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