白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お酒は「ぬる燗」ではなくて「熱燗」でね。

2016-04-25 12:18:38 | 日記
四月二十一日(木)雨。

雨か・・・。暇だけはたっぷりあるのに、金がない。やらなければ、ならないことが沢山あるのに、気力がない。酒で憂さを晴らしたいのだが、まだ午前中だ。朝っぱらから酒を飲むほどの中毒ではないので、夜が待ち遠しい。幸いに、社友から頂き物の「黒霧島」「赤霧島」の手を付けていないものがあって、私に夜な夜な秋波を送っている。その昔、若くて体力と気力に溢れていた頃は、金がなくとも落ち込むことなどなく、「あぶったスルメ」を肴に冷酒を飲んだものだが、最近は、すっかり歯が悪くなって、あぶったスルメで酒を飲むのが無理になった。それに、スルメには焼酎ではなく、日本酒が似合う。

確か、高倉健の「駅」という映画ではなかったか。大晦日の北国の港町、当たり前だが雪が降っている。酔いたくて入ったのが、赤ちょうちんの飲み屋。女将は倍賞千恵子。テレビから八代亜紀の「舟歌」が聞こえてくる。良いシュチュエーションだが、この「舟歌」は良く聞いてみると、フザけた内容の歌だと思う。

例えば、北国の港町、外は雪だ。コートの襟を立てて歩いていると、赤ちょうちんが見える。店の中から、おでんか何かの湯気が出ていて、それに誘われて、冷えた心と体を暖めようと店に入る。すると、するとだ。「お酒はぬるめの燗がいい」。いやここは、「熱燗」でしょう。せめて最初の一本は熱燗で、五臓六腑に沁み渡さなければ。冷えた体が温まらない。出されたツマミが、「肴はあぶったイカでいい」。良いわけないでしょう。ここは、おでんか、湯豆腐でしょう。冷えた体に、「あぶったイカ」じゃあ、心まで寒くなるし、私のように歯が悪かったら食べられネェーよ。

「女は無口な人がいい」。良いわけ無いでしょう。せっかく入った飲み屋に無口な女がいて、一体どうすんの。お化けじゃないんだから、飲み屋のオンナは多少ブスでも愛嬌が命。嫌だねぇー。そして「灯りはぼんやり、ともりゃいい」。冗談じゃないよ。私だったらこの時点で暴れちゃうね。良く考えてみて欲しい。大晦日の雪国の港町。本来は、家族で過ごすはずの年の瀬に、訳ありの男がたった一人で、飲み屋に入った。すると冷えた体に、出たのが、「ぬる燗」で、おいしい煮物か新鮮な刺身ではなく、あぶっだけのスルメが出て、薄暗い店の中に、無口な女がいる。この野郎ーナメンナよ。ということになるに違いない。

まあこんなくだらないことを、日々、四六時中考えている訳ではありません。雨の中をトボトボと歩いて事務所に行き、(本当は車で行きました)夕方まで、がぁっーと仕事。

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切手趣味週刊。

2016-04-22 12:13:48 | 日記
四月二十日(水)晴れ。

今日は通信記念日。そしてこの日から切手趣味週間がはじまる。世界で最初に切手を発行したのはイギリスで、一八四〇年のことだが、世界最初の記念切手は、一八八七年、ビクトリア女王の在位五〇周年を記念してイギリスで発行されたものである。わが国での初の記念切手は、明治二十七年(一八九四)三月九日に発行された、「明治天皇銀婚記念切手」であった。ツルと唐草模様をえがいた凸版刷り、二銭と五銭の二種類で、世界では十一番目のものとのこと。(楠本健吉『歳時記』)

私が小学生の頃に切手ブームがあり、少ない小遣いをやりくりして切手を買った。買うと言ってもシートではなく、一枚のバラ売りのものである。その切手帳が今もある。大した数ではないが、それらの切手を見ると集めていた小学生の頃を思い出す。中学の頃で一番大切な物は、昭和三十九年の東京オリンピックのもの。デパートの切手コーナーに行ったり、切手のカタログを見ると、「見返り美人」や「月に雁」などの高価なものに、ため息が出たが、とうとう手に入れずじまいで、私の切手収集の趣味は終わった。

この十年ぐらい、趣味とはいえたものではないが、毎月記念切手を通販で愚妻が購入している。これは実家が特定郵便局をやっていることのお付き合いみたいなものだ。最初の頃は、切手専用のスクラップブックに整理していたが、最近は、面倒なので止めてしまった。

しかし切手と言うのものはあくまで趣味の範囲で、「投資」には使えない。どんな切手でも金券ショップで売ろうとすると、二割ぐらい安くなってしまう。古い切手ほど、金額が中途半端なので使い勝手が悪く、安くなってしまうのだ。例えば、五十円の切手だとすると、封書に貼って出すのには、三十二円をプラスしなければならない。三十円の切手がない場合は、十円切手を三枚と二円切手を貼ることになる。これが面倒なので、古い切手ほど値打ちが下がると言うことにもなる。

ただ額面どうりに使えることもある。郵便局への支払いなどだ。その昔、機関誌を発送するときには、郵便局を利用していた。細かい話で恐縮だが、料金内の枚数で機関誌を作っていた。一通で二十円もオーバーすると、数が多いのでかなりの金額になってしまう。何とか定型内の金額で収まるように、計って作っていた。その支払いを切手で済ますことが出来る。つまり五万円の料金を五万円の切手で支払いが可能なのだ。だから、金券ショップで五万円分の切手を購入すると、良い時は一割五分安、悪くても一割安ぐらいで買えたから、結構助かった。今では、メール便などがあるので、そんな苦労をすることもなくなった。

今日は、私が役員の末席を汚している大行社の役員会議に出席するために東京行き。終了後は、六本木で打ち上げ。良い気分で酔って帰宅。

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結婚の条件は「タバコを吸わない人」だって。

2016-04-22 11:40:00 | 日記
四月十九日(火)晴れ。

朝食は、マルシンのハンバーグ、赤ウインナー、目玉焼きにキャベツの千切り添え。これに「しじみ70個分のちから」。お皿は、同級生で古美術商をしている方から頂いた、ウエッジウッドのもの。安い食材の時こそ食器には良いものを使う。「しじみのちから」も、やはり頂いた本漆のお椀である。箸は、朝と夜と分けて使っている。朝に使う箸は、やや太めで重い物。指の体操には丁度良い。夜は、ほとんど酒の肴が多いので、細めの軽いものを使っている。大したこだわりではないのだが、この歳になれば、朝昼晩の食事も、残り少ない人生の大事な一食である。

私の友人が、「結婚相談所」を開設している。どれだけのカップルが誕生したかは、聞いていないが、人口が減少している折、良縁に恵まれることは、お国のためにもなる。以下は、その結婚相談所のブログである。

※入会面談で、結婚の条件は「タバコを吸わない人」と言われる方が非常に多い。さらにこちらから聞くとほとんどの方が吸わない方が希望と答える。2015年「JT全国喫煙者率調査」では、日本人の喫煙率は19.9%(ほぼ2割り)、男性は31.3%・女性は9.6%との事。女性は横ばいだが男性は年々減少している。年齢別で一番喫煙率が高い年代は男女とも40代。

―タバコを吸う人が拒否される理由―
①「息がタバコ臭い」タバコを吸った後に「ミンティア」などの清涼菓子を使ってごまかしていた。自 分自身やタバコを吸う他人には全く感じない事。
②「飲み会では近くでタバコを吸われるのが嫌」会社での飲み会でも最近は、禁煙席で予約し喫煙者は喫煙ルームに行って吸うのが当たりまえとの事。以前の飲み会では一切そんな事は気にもしなかった。今や「タバハラ」と言われる。
③「料理にタバコの煙を吹きかける」大皿料理がカウンターに飾ってある店では、料理の上にタバコの煙が舞っていた。今ではそんな料理は絶対食べない。寿司屋でタバコ吸いながら寿司を同時に食べる事も平気だった。今ならそんな奴は寿司屋に来るなと。それより寿司屋を禁煙にしろと言いたくなる。
④「車の中でも喫煙」ゴルフなどで複数の禁煙者と同乗であっても喫煙者の立場が上だった。その為平気でタバコを車内で吸っていた。誰も声に出す人もいなかった。辛かったでしょうね!ごめんなさい。
⑤「横に座ると匂う」電車で横に喫煙者が座るとタバコの匂いが気になり思わず鼻をクンクンして確かめてしまう。自分が吸っていた時は隣の匂いなんて気にした事が無かった。
⑥「家の中が黄ばんでタバコ臭い」喫煙者の古い家に入ると壁紙が黄ばんで、匂いが染みついていている。自分もタバコを家で堂々と吸っていた時代もきっと同じだったと思う。世間が皆そうだったから気にもしなかった。
⑦「意思が弱い」何度も禁煙に挑戦しても、理由を付けて止められな人がいる。良くわかる!自分も禁煙するのに20年もかかった大バカ者だから。タバコを止められない事を周りはあきらめて意外に寛容に許してくれる。それだからなおさら止められない。そうゆう人を意思が弱い人と呼ぶ。(笑)

いかがでしょう喫煙者のみなさん、多くのお相手がタバコを吸わない人を結婚条件にあげている現代。止める事が成婚の第一歩です。しかし、そうは上手くいかない事も良く承知しています。それでは順番を変えてお相手を先に探してタバコを止めるか?タバコを先に止めてお相手を探すか?さあ、あなたならどちらを選びますか?

興味のある、貴方やアナタは「日本仲人協会・横浜山手支部・フォロー・ウインド」で検索してみて下さい。ちなみに私はタバコを吸いません。そして残念ながら既婚です。

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自衛隊は頼もしいなぁー。

2016-04-21 13:47:26 | 日記
四月十八日(月)晴れ。

しかし、マスコミと言うのは、人命よりもスクープを優先するのか、地上でSOSを発信していても、それを映すだけで何もしない。自社のヘリがあるのだから、自衛隊も警察も手いっぱいなのだろうから、自らが救援物資を運ぶくらいのことができないのだろうか。先日の、利根川の氾濫の時も、孤立した人たちを助ける自衛隊や警察の救助活動を中継していたが、このピンポイントでヘリをホバリングさせて、人を吊りあげると言うのは、非常に難しいことらしい。その近くで、マスコミのヘリが飛ぶと、その風で煽られてとても危険と、本で読んだことがある。

もちろん私は全くの素人なので、マスコミのヘリが物資を運ぶことが可能なのか、不可能なのかは分からないが、高須クリニックの院長が、ヘリをチャーターして支援物資を運ぶのだから、マスコミのヘリだって物資を空輸することぐらいできそうなものではないか。テレビの中継車も、空いたスペースに水や簡単な食料を積んで、取材先で困った人がいたならば、そこに持って行くぐらいのことをしたら感謝されるに違いあるまい。またマスコミこそ、取材スタッフ専用のキャンピングカーを準備しておいて、緊急の場合は、中継車と共に移動して、なるべく被災地のホテルや公共施設は、被災者の皆さんを優先させたらどうかと思う。

米軍のオスプレイの運用にしても「日米安保のパァフォーマンス」などと論じたり、そう言うことに同調する人たちがいるが、この危急の時に、オスプレイだろうが、コスプレだろうが、使えるものはどんどん投入した方が良いのは言うまでもない。百歩譲って、オスプレイの投入に何か瑕疵があるのならば、落ち着いてから検証すればよいではないか。同胞が不自由な思いをしている時に、何もしない人たちが、批判する。嫌な人達がいるものだ。

倒壊家屋や、避難している家に対する不届きな「火事場泥棒」などの監視には、ドローンなどを使えないものなのだろうか。夜間の暗視装置などを搭載したドローンで監視すれば、人員の節約になるかもしれない。こんな時にこそドローンは活躍するのではないかと思った次第。

しかし、そう言うお前は何をしているのか。と言われたならば、うなだれるしかない。野村一門はもとより、民族派の諸兄と共に、何が出来るのかを早急に考えてみたい。宮崎には、野村先生の関係者で県議をしている方がいたり、社友もいるので、連帯してお手伝いをさせて頂きたいと思っている。しかしながら自衛隊は頼もしいなぁー。国の誇り。こういう言葉に一番ふさわしいのは、自衛隊の皆さんでであると私は思う。

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酒とズブズフの関係になっている。

2016-04-19 12:04:53 | 日記
四月十七日(日)雨のち晴れ。

早朝、横浜に泊まった大熊雄次氏をホテルまで迎えに行く。ホテルの前の大岡川沿いで町内の人たちが、大勢で道路を清掃していた。えらいなぁー、と感心していたら「皆さんお疲れ様でした」という声に聞き覚えがあった。目を凝らして見ると高校の同級生の杉本純三氏だった。彼は、町内に国旗の掲揚台を作ったり、お祭りや清掃にと中心になって活動している。心の中で沢山拍手をした。

共に伊勢原に野村先生のお墓参りに行く、大熊雄次氏が、眠そうな顔をして出てきた。聞けば、我々と別れた後に、カメちゃんに誘われて、福富町にある開店が十一時、それも会員制と言うラーメン屋さんに行ったとのこと。ここのラーメン屋さんは知る人ぞ知るお店で、経営しているのはカメちゃんの伯母さんである。以前、私もカメちゃんに誘われて幾度か顔を出したことがある。しかし夜中のラーメンは、この歳では命懸けなので、もっぱらネギチャシューとシナチクを肴に、いつもビールだけ飲む。その後、私の友人が経営している、手打ちラーメンの「山賊」にはしごしたらしいが、残念ながら休み。私も気になっていたのだが、もう長いこと閉店しているので、ちょっと心配している。仕方がないので、朝方まで営業している「長八」というトンカツ屋で〆たらしい。大熊氏いわく、「行った記憶がない」とのこと。

大熊氏が車に乗ると、酒臭いことこの上もない。きっと私も、いつも家族にこんな思いをさせているのに違いない。高速道路は、ガラガラ。途中、海老名のSAで「かき揚蕎麦」の朝食。お墓に着いた頃は、雨が強くなった。正午より墓参。一時前に解散。

横浜に着いてから、愚妻と共に大熊氏が好きだと言う平沼の「角平」へ。同行は、昨日に続きカメ&アコちゃん。軽く飲んだが、大熊氏は、二日酔いと、お寺での昼食で、何も手を付けず。「蕎麦焼酎」の蕎麦湯割り、を飲んでまったりした。昼下がりの酒というものは、何か背徳感と罪悪感が入り交じって普段の酒とは一味違う感じがするから不思議だ。焼酎の蕎麦湯割りを教えて頂いたのは、岐阜の花房東洋先輩だった。もう二十五年も前のことで、場所は、岐阜の蕎麦屋の名店の「吉照庵」。花房先輩はもとより、亡くなられた服部愛山先生や阿部勉さんも一緒だった。

大熊氏は、連日の酒でヘロヘロとなり帰宅。お疲れ様でした。今日が誕生日と言うアコちゃんの即席のお祝いを野毛のイタリアンで。初めてのお店だが、中々感じの良いお店だった。残念ながら、お腹が一杯だったので、生ハムのみを注文し、泡物で乾杯。体の具合も考えずに、この三日間、酒とズブズブの関係になっている。来週から、少しひかえます。

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