白雲去来

蜷川正大の日々是口実

気の合う同志らとの一献会。

2016-11-21 18:25:57 | 日記
十一月十八日(金)晴れ。

五時半に、電光石火の男、小澤君と待ち合わせて、彼の泊まっている旅館の近くに行くが、待ち合わせをしている「迎賓館」という結婚式場がどうしても見つからない。二三回、行きつ、戻りつ探したのだが、ないのだ。その迎賓館には、友人の結婚式などで何度も来ているのだから、間違える訳はない。仕方がないので、交番に行って聞けば、近くに移転したとのこと。どうりで分からないわけだ。無事に、小澤君と合流して、私の事務所に向かう。先生が監修した映画のDVDなどをプレゼントする。

七時に、久しぶりに「やまとし」にて、小澤君、山櫻者の吉本将誠氏、大行社の小針政人氏らを交えての一献会。そう言えば、このメンバーで飲むのは一年ぶりのこと。季節も今時分ではなかったか。時局を肴に、気の合う同志らとの酒席は楽しい。普段ならば、一軒では済まないのに、最近は、ちょっと飲むと、眠くなってしまう。考えたなら、後四年もすれば、古来稀な歳となる。大した酒でもないのに、ヘロヘロになって帰宅。良い夜だった。

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白菜が高いなぁー。

2016-11-20 09:21:31 | 日記
十一月十七日(木)晴れ。

主婦でもないが、白菜が高い。四分の一のカットの物が、二百九十円だった。丸丸一個だと、千円以上だ。白菜一個が、千円か。家庭では、他の物で我慢も出来るが、料理屋などは大変だろうなぁー。私は、白菜が好きで、おしんこは勿論、きくらげと白菜を炒めて鶏がらスープで味付けしてから、片栗粉で餡かけにするのが得意である。他の物は一切入れない。この時期の美味しい白菜をどっさり使って食べる。煮過ぎて、クタっとなった物は好きではないので、鍋にはあまり使わない。白菜のキムチは、錦糸町の「223」の物が一番だが、最近は、みなとみらいにある「成城石井」で売っている物も美味しい。カクテキは、中川食品という会社の物が激ウマで、取り寄せていたが、通販をやめてしまいがっかりである。

まあどうでも良い話ですが、天候不良で、葉物の値段が上がっている。それでも考えてみれば、たかが二百九十円だ。お百姓さんの苦労を思ったら、あまり文句も言えない。

資料を整理していたら、国際労働総研発行の『われらのインター』という雑誌が出てきた。その二〇〇九年の第十七号に、松崎明氏が「銀河蒼茫-野村秋介獄中句集にふれて」というものを書いている。分かる人は、。恐らくビックリポンだと思う。国際労働総研と言えば、革マル派やJR総連系の団体?であると巷間言われている。松崎明氏は、元動労の委員長だった人だ。亡くなってしまったが、晩年に直接電話を頂き、野村先生の『銀河蒼茫』をまとめて三十冊ほど買って貰ったり、先生のDVDなども欲しいと言われ、送ったことがある。俳句が趣味と、その時に知ったが、反骨の人がどんな俳句を詠んだのか興味深い。あの世で、野村先生と、俳句談義でもしているのだろうか。いずれ、松崎氏の「銀河蒼茫にふれて」を掲載してみたいと思っている。

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寒い朝。

2016-11-18 11:50:06 | 日記
十一月十六日(水)曇り。

寒い朝だった。そう言えば、吉永小百合の歌に「寒い朝」とうものがあって、中学生の頃に、牛乳配達をしていた冬に、良くその歌を口ずさみながら、自転車のペダルをこいでいた。いまでもその歌を聞くと、牛乳配達をしていた中学生時代が甦って来る。

私が子供の頃は、子供が働くなんて普通だった。私は、小学生の六年生の頃は、新聞配達。たすき掛けの中に新聞を入れて、走って配ったものだ。まだ新聞が新しいと、四つ折りにして指を走らすと、ビッと音がした。これが出来ると一人前とみなされた。中学の時は、牛乳配達。一度、「新聞少年の日」ならぬ「牛乳配達の日」みたいなものがあって、その集会に参加したら、どこかのエライさんが、「牛乳は飲んでいる人よりも、配っている君たちの方が健康だ」と言って、子供心に妙に感心したことを覚えている。

高校生の頃は、バッティング・センターでの玉入れや、和菓子屋さんで暮の餅づくり。港の船の中での労働(これが一番日給が良かった)。横浜公園の前にあった「ボア」や伊勢佐木町の吉田橋側の「マイアミ」などで喫茶店のウェイター。確か時給が百円だった。夜中に、沖仲仕のバイトに行って、学校で寝ていることなど、しょっちゅうだった。高校の同級生で、今、金沢で(横浜の)神輿会の会長として頑張っている木川勲氏なども、良く夜中の沖仲仕のバイトに一緒に行った。仕事が終わると、朝方に、野毛温泉と言う銭湯に入ってから、揃って学校に行き、二人して机で寝ていた。

大人になってからは、ほとんどアルバイトはしていないが、考えたら、原稿を書くのもアルバイトのようなものだ。と言っても手を抜いている訳ではありません。

大行社の役員会議に出席。所用あって食事会には、参加せずに、帰宅。三島由紀夫研究会の玉川博己先生からご恵送頂いた、『三島由紀夫が愛した美女たち』(岡山典弘著・啓文社書房・千八百円+税)を読む。

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七五三のお祝い。

2016-11-18 11:11:15 | 日記
十一月十五日(火)曇り。

七五三か。男女とも三歳になると、髪置き(幼児が頭髪を初めてのばす儀式)の儀式を祝い、男の子はが五歳になると、はかま着の祝い、女子は七歳になって、帯解き(幼児がそれまでしていた付帯「つけおび」をやめ、初めて帯を用いるお祝い)。男女とも氏子入りできることを祝ったものである。

また和食には、七五三の饗膳(きょうぜん)というものがあり、これは儀式料理で最高のものを言う。本膳(七種)、二の膳(五種)、三の膳(三膳)。「忠臣蔵」の発端となった浅野家の「勅使饗応」には、この七五三の膳が出された。

朝から、事務所で機関誌の印刷と、丁合、中綴じ、といった編集作業をこなす。終わったのは六時過ぎ。帰宅してからは、白玉の 歯にしみとおる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり と牧水を気取って鳥鍋を肴に独酌。

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電光石火の男、来る。

2016-11-18 10:27:43 | 日記
十一月十四日(月)曇り。

午前中に、電光石火の男、小澤拓也君が来訪。何でも、昨夜、豊橋の社友、竹田さんと飲んだとのこと。群青忌の朝食会が終ったのが、先月の二十三日。新潟に帰ると言う、山田さんを靖国神社を案内し、その後、東京駅に送ると聞いていたが、そのまま山田さんを新潟まで送って、トンボ帰りに、新潟のお酒やお米、酒の肴などを満載して、戻ってきた。これだけでも、車の運転が嫌いな私としては、「超」が五つぐらい付く驚きである。考えたら、彼は、札幌から車で、横浜まで来たのである。それから彼は、西へ下って、まずは、豊橋に向かい、そののちに、宮崎、鹿児島と巡って、再び戻って来た。そして、伊勢原に野村先生のお墓に詣でて、近くの旅館に二白してから東京の友人宅に向かうと言う。正に電光石火の男である。以下は、小澤君のFBの旅日記、豊橋編である。

「ええ、昨日の晩の出来事です。僕はこれから運転があるから駄目だと申しました。すると兄さんはうるせ〜と激しく激昂し、大きな体躯に物言わせ、嫌がる僕を抑えつけ無理矢理口移しで、、、あとは察してください。あ〜あ書いちまった(爆笑)
御土産のお酒が大変な事になりました。簡単に御説明申し上げます。飛ばす、急ブレーキ、舞う。停車後確認すると何故か蓋が開いて中身が空っぽ。車の調子が良くなったのは言うまでもありません。愛を知るを発ちます。これより神奈川へ戻ります」。ふふふ楽しそうだ。

午後から、歯医者。上の歯が一本コンディションが良くないので、抜くことになった。いやはや、約四十分、ギリギリ、グラグラ、ギシギシ。麻酔が効いているので痛くはないが、見えないだけに落ち着かない。という訳で、抜歯、した後に傷口を縫ったので、今日は酒を厳禁された。嗚呼!そんな訳で、薬を飲んで早めに寝た。

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