白雲去来

蜷川正大の日々是口実

後輩の偲ぶ会

2018-11-19 09:43:18 | 日記
十一月十四日(水)晴れ。

今年の九月に五十八歳で亡くなられた菅野政明さんの「偲ぶ会」が、大塚正美、仲程通也、丸川仁の諸氏のお世話で行われ出席。久しぶりに周本昌山さんと同席。最近は海外で事業展開しているとかで、忙しそうである。追悼の御挨拶をさせて頂いたが、すぐ前で目頭を押さえている菅野さんの奥さんを見て、胸が痛んだ。舟川孝さんや神奈川以外の同志諸兄も来訪して、菅野さんを偲んだ。いい会だった。終了後に、舟川さんらを誘って「サリーズ・バー」へ。

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産めよ、増やせよ。

2018-11-16 18:49:42 | 日記
十一月十三日(火)曇り。

何だか良く分からないが、労働力不足で、移民をどどっと受け入れようとしているらしい。移民によるドイツやフランスの治安の悪化を『週刊新潮』で藤原正彦さんが指摘していた。私は、国家百年の計を考えて、「産めや増やせよ」の運動をしたら良いのではないかと、無責任にも思うのである。

第一子が誕生したら、お祝いに百万円。第二子には五百万円、第三子以降には一千万円のお祝い金を渡す。使い道は問わない。好きに使って貰う。また高校までは無償で行かせる。過疎地には「新都市計画」を立てて、企業や病院を誘致して、税金などを優遇し、一軒家には二十年住んでくれると言うならば、ただで上げる。都会の団地も、せめて七十㎡ぐらいの物を用意する。財源は、消費税を十五パーセントでも仕方がないか。

アホな素人考えですが、人口を増やすには、若い人が安心して子供を生み、育てられる国づくりをすることが先決で、短絡に移民を受け入れるよりも良いのではないだろうか。農業だって高年齢化している現実にどう対処するのか。若い人たちが、希望を持って農業に従事出来るように、大手企業の参入も視野に入れた改革をする。二十代の夫婦が、都会でマンションの家賃を払いながら生活し、子供を育てることは、かなり大変である。国会でパソコンが使える、使えないなどと議論している場合ではないと思うのだが。

大学から帰ってきた下の子供と関内駅で合流して、愚妻と三人でお酉さまに出かけた。平日なので空いているかと思ったら、凄い人出だ。ぐるっと一回りしてから、自宅近くのお好み焼「鶴屋」にて食事。塾の先生のバイトをしている上の子供も合流。皆でコナモンとなった。

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大臣がパソコンが出来ないから、何だ。

2018-11-15 12:13:54 | 日記
十一月十二日(月)曇り。

立憲民主党の今井議員がサイバーセキュリティー戦略の担当大臣の桜田五輪相がパソコンを使えないことを非難していたが、この今井と言う議員は、本当に大丈夫かと思った。大臣と言う職務は、専門的な人たちを監督し、指示することが主な仕事ではないか。パソコンが出来ようが出来まいが、そんなことは、関係ない。この今井とかいう男の論理で言ったら、では防衛大臣になる人が、小銃を撃った経験があるのか、戦車を動かしたことがあるのか。外務大臣が、すべての外国語に精通しているのか。法務大臣が、司法試験の合格者か。農林大臣は、農業を経験したことがあるのか。となってしまう。ほとんど揚げ足取りのイジメに近いと感じてしまう。

またなぜ蓮舫だけが、名前で呼ばれるのか。他の議員が。名前だけ呼び捨てで呼ばれたら「無礼者」となる。レンポーだろうとアホーだろうとどうでも良い。苗字はたしか村田なんだから、これからは村田議員と呼ぶようにすれば、ホーをポーと間違えることもなくなるかと思う。国会ではもっと建設的な議論をして貰いたいと思っているのは、私だけではあるまい。

事務所にて。『燃えよ祖国』の第二四四号の第一校が上がる。今週中には発送できそうだ。夜は、友人と自宅近くの「浜一」にて時局を肴に一献会。

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忘年会での不覚。

2018-11-14 16:51:45 | 日記
十一月十一日(日)晴れ。

年の瀬が迫って来て、忘年会の予定を書き入れた、我が家のカレンダーの赤丸が増えてきた。多い年には、様々な人たちの忘年会や納会に二十件近く出席する。まあ、呼ばれている内が華と思って出かける。またどうせお金を使うのならば、仲間の顔を見ながら一献傾けるのは、楽しいことだ。

来月の十四日は、いわゆる忠臣蔵の「志士討ち入りの日」だ。一説によると、大石内蔵助側の襲撃組、四十七人には、一人も死者がいなかった。反対に、吉良側は、約三倍の人数がいたにもかからわらず、吉良の首を取られたほかに、十六人もの死者が出た。その原因として、前夜吉良邸では忘年会が行われ、したたか飲んだ吉良の家来は、その寝込みを襲われたために、不覚を取ったと、本で読んだことがある。

元楯の会の会員で、若くして亡くなられた阿部勉さんの歌に、「数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん」というものがある。歳と共に「酒の過失」は少なくなった。それは分別がついたわけではなく、単に「過失」をするまでに眠くなって、それ以上飲めなくなったからである。一昔前までは、酒の過ちは、武勇伝として語られることもあったが、今はそんな時代ではない。単に、だらしない人として、友達が遠ざかる。

そういう私も、酔って帰宅すると、子供たちから「また飲んでるの」。「バカ、股で酒が飲めるか」。「何処で飲んだの」、「口だよ」。などと、開き直っていたが、今では、ひたすら平身低頭するのみである。

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酉の市と鶏鍋。

2018-11-13 11:30:14 | 日記
十一月十日(土)晴れ。

今月は、七日が立冬。この立冬の前に「とり」の日が来る年は「三の酉」まである。ちなみに十一月一日が「とり」の日だった。酉の市は、鷲神社、酉の寺、大鳥神社など鷲や鳥にちなむ寺社の年中行事として知られ、関東地方を中心とする祭りである。多くの露店で、威勢よく手締めして「縁起熊手」を売る祭の賑わいは、年末の風物詩である。また三の酉まである年は、なぜか「火事が多い」と言われている。

子供の頃は、「お酉さま」と聞くと、何かそわそわしたものだ。母に連れられて、酉の市に出かける。金魚すくい、ヨーヨー釣り、射的、綿あめ、キャラクターのお面。何十年も変わらない景色だ。三の酉は二十五日の日曜日だが、行事が重なっており、あの喧騒を味わうことが出来ない。酉の市に前後して、中華街に「上海蟹入荷」の張り紙が貼られ、木枯しがぴゅーっと吹くと、師走。除夜の鐘の代わりに、横浜港に停泊している船が一斉に汽笛を鳴らせば、年が改まる。横浜に住んでいて良かったと思う時でもある。

午後から事務所にて、機関誌の編集。夜は、肉屋に旨そうな鶏肉の「つみれ」があったので、頂き物の昆布でダシをたっぷりとって「とり鍋」を家族で囲んだ。

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