(つづく)
昭和58年の「19番」の時刻表。
当時の郊外側の起点は四箇田団地で、郊外側は駅前一丁目。
本数の違いは西高下(現在の講倫館高校前)発着の便があるため。
「19番」とともに、四箇田団地、金武地区と福岡都心部を結ぶ他の路線「2番」「201番」には「次郎丸経由と田隈新町経由」という2つのルートがあるが、この「19番」には、これまで一度も田隈新町経由が設定されたことがない。
この春で廃止となる「501番」や、アジア太平洋博覧会開催当時に一日数本しか運行されなかった「2-3N」ですら2つのルートが設定されたことがあるのとは対照的であり、「19番」は“ジローマルスタンダード”を地で行く路線といえる。
福岡市の旧西区(西区、早良区、城南区)から六本松、城南線経由で博多駅に行く路線は、東から、福大が「16番」、茶山が「18番」、早良が「17番」、四箇田団地が「19番」、野方が「214番」。
位置関係と数字の大小が対応しておらず、しかも野方は10番台ですらなく、さらに言うと、国体道路や都市高速、明治通り、昭和通りなど他の道路経由の路線の行先番号とも対応していないが、路線の形成過程を直接的・間接的に反映していて趣味的観点からはとても面白い。
なお、「18番」は2009年に廃止となっていて現在は欠番なので、「214番」を「18番」に改番するなら今なのだが、改番したところで根本的な解決には程遠いし、また、そもそも「解決」が必要なのか?、何をもって「解決」というのか?…などの問題もあり。
来年度、地下鉄七隈線の天神南~博多間が開通すると、「19番」の存在意義もかなり揺らいでしまいそう。
“19番じゃないと行けないところ”を少しでも増やす意味でも、有田~荒江四角間のルートを、現在の「原往還、原経由」から「原中学校前、飯倉一丁目経由」に変更してみては?、と結構前から思っているのですがいかがなものでしょう。
(つづく)