(つづき)
例えば3番目の例は、「柏原」の文字を大きく表示すると、近隣にある「桧原営業所」と見間違う可能性があり、親切心から「柏原」の文字を小さく表示する方法を考えて生まれた表現であろう。
ただ、「柏原団地(柏原営業所)」でも「柏陵高校(柏原営業所)」でも、特に経路が変わる訳ではない。
また、10番目の「白水(博多南駅)」という表現は、「博多南駅」だと、パッと見「博多駅」と見間違う可能性に配慮して考えられた表現だと思うが、だったら「博多南駅」という表現が併用されている現状は、当初の目的と矛盾することになる。
何か注意を喚起するために「あえて」表現を変えているのであれば、それなりの意味はあると思うが、前述の表現の違いに関しては、あまりポリシーというか意図を感じ取ることができない。
さらに、対象を前述のような「終点」に限らず、「経由地」の表示にも広げるならば、数え切れないほどの膨大な「表現の違い」が出てくる。
このように、利用者が一番注目する行先表示に、不用意&不必要にいろんな表現を持たせるのは混乱のもとではないかと考える。
こういう状況が生まれる背景には、営業所単位で表現を考えていて、全体としてのマネジメントをする体制がないからではないかと推測する。
そんな中、西鉄バスの行先表示は、従来の「幕式」に代わって、「LED式」が急速に幅を利かせている。
(つづく)
例えば3番目の例は、「柏原」の文字を大きく表示すると、近隣にある「桧原営業所」と見間違う可能性があり、親切心から「柏原」の文字を小さく表示する方法を考えて生まれた表現であろう。
ただ、「柏原団地(柏原営業所)」でも「柏陵高校(柏原営業所)」でも、特に経路が変わる訳ではない。
また、10番目の「白水(博多南駅)」という表現は、「博多南駅」だと、パッと見「博多駅」と見間違う可能性に配慮して考えられた表現だと思うが、だったら「博多南駅」という表現が併用されている現状は、当初の目的と矛盾することになる。
何か注意を喚起するために「あえて」表現を変えているのであれば、それなりの意味はあると思うが、前述の表現の違いに関しては、あまりポリシーというか意図を感じ取ることができない。
さらに、対象を前述のような「終点」に限らず、「経由地」の表示にも広げるならば、数え切れないほどの膨大な「表現の違い」が出てくる。
このように、利用者が一番注目する行先表示に、不用意&不必要にいろんな表現を持たせるのは混乱のもとではないかと考える。
こういう状況が生まれる背景には、営業所単位で表現を考えていて、全体としてのマネジメントをする体制がないからではないかと推測する。
そんな中、西鉄バスの行先表示は、従来の「幕式」に代わって、「LED式」が急速に幅を利かせている。
(つづく)