(つづき)
先日の「LEDであそぼう(12)」に関し、「47番」に関するコメントをいただいたので、今回は「47番」「48番」の昭和58年8月1日当時の時刻表を取り上げてみることにした。
松下電器前(現在の「パナソニック前」)からは、以下の行先が運行されていた(本数は平日のもの)。
・都心向け
「47番」「48番」
駅前四丁目経由博多駅行き…61本
「47番」
駅前四丁目、博多駅経由祗園町行き…22本
「48番」
駅南三丁目経由博多駅行き…6本
・郊外向け
「47番」
清水二丁目経由、大橋駅経由那珂川営業所行き…31本
「47番」
清水二丁目経由大橋駅行き…8本
「47番」
清水二丁目、大橋駅経由三宅本町行き…18本
「47番」
清水二丁目、大橋駅経由福商高校行き…2本
「48番」
福岡製紙前、大橋駅経由福商高校行き…29本
当時の都心向けは合計で89本であったが、現在は132本となっており、約1.5倍に増えている。
都心向けに関しては、現在は博多駅から博多埠頭まで終点が延びている(ただし、博多駅→博多埠頭間は「99番」として運行)。
また、当時は「祗園町行き」が存在した(「博多駅」の下に小さく「(渕上前・祗園町)」と書かれた方向幕があったことを記憶している)。
「駅南三丁目経由」は、この時点で6本しかないが、現在でもしぶとく生き延びている。
郊外向けの「福商高校」とは、今の「福翔高校」のことであり、現在はそこから「レークヒルズ野多目」まで終点が延びている。
当時は、通学用に「大橋駅~福商高校」の区間便も存在した。
「福岡製紙前」は、その後「本州製紙前」→「美野島南公園前」と名称を変えており、工業地域から住宅地域へと変わっていく様子を反映している。
また、当時は「47番」に「三宅本町行き」が存在したが、西高下、三軒屋、小笹団地東門などと同様、途中の折り返し場は減少傾向にある。
松下電器前~清水二丁目~塩原方面の道路は比較的新しく、もともとはすべて「福岡製紙前」を通っていたが、その後、「47番」が清水二丁目経由、「48番」が福岡製紙経由と区分されるようなった。
また、美野島交差点~博多駅前四丁目交差点に関しても、昔は、現在の経路(旧鹿児島本線の線路跡の道路)ではなく、そのひとつ西側の道路(通称「小柳通り」)を通っていた。
ただし、この二つについてはリアルタイムでの記憶がないため、過去の地図やその後見聞きした情報などを総合したうえでの推定であり、誤りがあるかもしれません。
(つづく)
先日の「LEDであそぼう(12)」に関し、「47番」に関するコメントをいただいたので、今回は「47番」「48番」の昭和58年8月1日当時の時刻表を取り上げてみることにした。
松下電器前(現在の「パナソニック前」)からは、以下の行先が運行されていた(本数は平日のもの)。
・都心向け
「47番」「48番」
駅前四丁目経由博多駅行き…61本
「47番」
駅前四丁目、博多駅経由祗園町行き…22本
「48番」
駅南三丁目経由博多駅行き…6本
・郊外向け
「47番」
清水二丁目経由、大橋駅経由那珂川営業所行き…31本
「47番」
清水二丁目経由大橋駅行き…8本
「47番」
清水二丁目、大橋駅経由三宅本町行き…18本
「47番」
清水二丁目、大橋駅経由福商高校行き…2本
「48番」
福岡製紙前、大橋駅経由福商高校行き…29本
当時の都心向けは合計で89本であったが、現在は132本となっており、約1.5倍に増えている。
都心向けに関しては、現在は博多駅から博多埠頭まで終点が延びている(ただし、博多駅→博多埠頭間は「99番」として運行)。
また、当時は「祗園町行き」が存在した(「博多駅」の下に小さく「(渕上前・祗園町)」と書かれた方向幕があったことを記憶している)。
「駅南三丁目経由」は、この時点で6本しかないが、現在でもしぶとく生き延びている。
郊外向けの「福商高校」とは、今の「福翔高校」のことであり、現在はそこから「レークヒルズ野多目」まで終点が延びている。
当時は、通学用に「大橋駅~福商高校」の区間便も存在した。
「福岡製紙前」は、その後「本州製紙前」→「美野島南公園前」と名称を変えており、工業地域から住宅地域へと変わっていく様子を反映している。
また、当時は「47番」に「三宅本町行き」が存在したが、西高下、三軒屋、小笹団地東門などと同様、途中の折り返し場は減少傾向にある。
松下電器前~清水二丁目~塩原方面の道路は比較的新しく、もともとはすべて「福岡製紙前」を通っていたが、その後、「47番」が清水二丁目経由、「48番」が福岡製紙経由と区分されるようなった。
また、美野島交差点~博多駅前四丁目交差点に関しても、昔は、現在の経路(旧鹿児島本線の線路跡の道路)ではなく、そのひとつ西側の道路(通称「小柳通り」)を通っていた。
ただし、この二つについてはリアルタイムでの記憶がないため、過去の地図やその後見聞きした情報などを総合したうえでの推定であり、誤りがあるかもしれません。
(つづく)